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春日はくたくうどん ―― 「うどんの元祖」奈良名物に |
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9月13日、奈良公園登大路園地で、食のイベント「索餅(さくべい)まつり」(奈良グルメフェア実行委員会主催)が開催された。
索餅は古代中国由来の食品で、奈良時代に仏教の広がりとともに日本に伝わった。索麺(さくめん)、麦縄(むぎなわ)とも呼ばれ、手延べそうめんの原形であり、日本の麺類のルーツとされる。それが三輪郷(桜井市)で作られ、そこから揖東郡(いっとうぐん)神岡郷(兵庫県たつの市神岡町)や、小豆島をはじめ全国に伝播(でんぱ)し、揖保の糸や小豆島そうめんなどになったようだ。
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イベントでは油で素揚げした唐菓子「麦縄」(索餅)が振る舞われ、そうめん流し大会が行われたほか、「第1回ならB級グルメ決定戦」でグランプリに輝いた「大和焼きそうめん」も登場し、人気を集めた。これは手延べそうめんを鶏ガラベースのスープで炒め、具には大和肉鶏(にくどり)や地場産野菜をたっぷり使った逸品だ。
イベントのもう1つの目玉は「春日はくたくうどん」だ。はくたくは餺飥と書く。平安時代中期、小野宮(おののみや)右大臣藤原実資(さねすけ)が日記「小右記(しょうゆうき)」に、一条天皇の春日大社行幸(989年)のおり、一行に餺飥が献上されたと記している。
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春日はくたくうどん
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関連情報を総合すると、小麦粉・米粉を山芋でつないで延ばした練り粉を切って作ったようだ。饗宴の場で、京都から随行していた20人の「餺飥女(はくたくめ)」が指先に油を少しつけ、切った練り粉を指先でもみ、音曲に合わせて麺にしたという。
できた麺はゆでて椀(わん)に盛り、小豆のタレをかけて振る舞った。つけ汁が登場するのは鎌倉から室町時代にかけてなので、餺飥は平安時代の祭り食として、このように食べられていたのだろう。
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うどんの起こりには諸説ある。室町時代の公家の日記「山科家礼記(らいき)」などの記載により南北朝から室町時代の初めとする説、関東の武将・北条重時の書簡により鎌倉中期以前とする説、鎌倉時代の仁治(にんじ)2(1241)年に中国から帰国した僧・円爾(えんに)が製麺の技術を博多に持ち込んだという説などだ。
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再現された餺飥(麺)
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今回、平安時代の餺飥を切り麺としてのうどんの元祖とし、鎌倉時代の料理書「厨事類記(ちゅうじるいき)」を参考にして、NPO法人奈良の食文化研究会(瀧川潔理事長)が中心となって現代風に再現したのが「春日はくたくうどん」だ。
小麦粉に米粉や山芋の粉などを混ぜ、幅約1.2センチ、長さ約10〜20センチのコシとモチモチ感のある平麺として完成させた。冷製のツユは鰹(かつお)ダシにしょうゆで味付けし、ユズで香りをつけた。トッピングはシメジ、刻みネギ、大根おろしと醤(ひしお)だ。イベントで用意した300食は、2時間足らずで完売した。イベントの委員長で奈良市飲食店組合長の増井義久さんは「うどんを食べて、奈良の食の奥深い歴史を感じてほしい」と話していた。
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このうどんは、奈良の食文化研究会推薦の「郷土料理しきしき」(新大宮駅南側)で味わうことができる。数に限りがあるので、ぜひ予約してお訪ねいただきたい(電話0742−36−8490)。今後は同組合を通じ、土産物としても商品化される予定だ。来年3月から、春日大社で20年に1度の式年造替(しきねんぞうたい)が始まる。これを機に参拝者には、ぜひ春日大社ゆかりのはくたくうどんを味わっていただきたいものだ。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
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