超昇寺村(現在の奈良市佐紀町)に生まれた河辺隆光(りゅうこう)は、唐招提寺で律宗を修めた後、長谷寺や興福寺、法隆寺でも学び、江戸に出ました。知足院では徳川綱吉の母桂昌院の帰依が厚く、幕府の護持僧として活躍しました。
隆光は桂昌院を動かして、公慶上人が進める東大寺大仏殿の再建や、法隆寺金堂・五重塔の元禄大修理を支援するほか、室生寺や長谷寺、唐招提寺などの復興にも尽くしました。しかし、綱吉の死後、生類憐(あわ)れみの令を進言したとの汚名を着せられて失脚し、超昇寺に退隠、1724(享保9)年に没しました。
1978年、超昇寺跡に奈良市立佐紀幼稚園(現在は閉園)が建設される際、遺徳を称えるため南に墓域が整備され、小さな自然石の墓石が建てられました。また、唐招提寺の奥之院である西方院には、隆光が自ら建てた供養塔と伝えられる五輪塔があります。
■メモ■ 墓石へは近鉄大和西大寺駅から東へ徒歩約15分、平城宮第一次大極殿の北西200m。
【奈良まほろばソムリエの会 池内力】
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