龍門(りゅうもん)騒動とは、今から200年前の1818(文政元)年12月15日に吉野の龍門郷で起こった百姓一揆のことです。
この地の15村・3,500石は中坊((なかのぼう)氏の領地で、平尾村には代官所が設けられていました。
当時の農民の生活は苦しく、年貢減免の声が強かったことから、代官の浜島清兵衛は庄屋を集めて農民をなだめるように酒食を振舞っていました。こうした中、蓑笠(みのかさ)姿で竹やりを持って集った600人余りの農民が、代官所になだれ込みました。代官は先頭の若者を袈裟(けさ)切りにしましたが、最後は農民に惨殺されました。
この騒動は奈良奉行所の知るところとなり、翌年11月、首謀者は死罪などになりました。
今、平尾代官所跡とされる場所には石積みが残っています。また、平尾区共同墓地の一角には、代官の自然石の墓が建てられています。
【奈良まほろばソムリエの会理事 池内 力】
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