気都和既(きつわき)神社は明日香村東部・上(かむら)地区の冬野川沿いにある「茂古(もうこ)の森」に鎮座しています。創始は不明ですが、平安時代の延喜式神名帳(じんみょうちょう)に記載された式内社です。
飛鳥時代の645年に起きた乙巳(いっし)の変。蘇我入鹿が中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らに飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で討たれるなど蘇我本宗家は滅び、政治は大化改新へと動きます。
暗殺後、鎌足は入鹿の首に追われ気都和既神社まで逃げのびたという伝承があります。茂古の森の名はそのときに鎌足が言った「もう来ぬだろう」が由来とされ、境内には鎌足が腰を掛けたと伝わる石があります。
同神社の祭神、気津別命(きつわきのみこと)は物部氏と縁があるとされます。鎌足は、かつて仏教導入をめぐって蘇我氏と敵対した物部氏の系統の同神社に逃げ込んだとの解釈もあります。
入鹿の首は飛鳥寺西側や奈良・三重県境の高見山まで飛んだとも伝わります。同神社と高見山は飛鳥板蓋宮跡から見てほぼ東方向にあるのが興味深いところです。
明治時代に上地区近くの春日神社など2神社が廃止され、祭神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)が気都和既神社に合祀(ごうし)されました。天児屋根命は中臣氏の祖神です。時を超え鎌足は同神社と縁が深いようです。
(奈良まほろばソムリエの会会員 久門たつお)
(住所)明日香村上172
(祭神)気津別命、天児屋根命
(交通)近鉄橿原神宮前駅東口または飛鳥駅前から赤かめ周遊バス「石舞台」下車、徒歩約40分
(拝観)自由
(駐車場)無(若干の駐車スペース有)
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