国府(こくふ)神社(高取町)の由緒は不詳ですが、説明板に「大和国(やまとのくに)の総社(そうじゃ)」だったと書かれています。総社とは特定地域の神社の祭神を集めて祭った社。古代の国司(こくし)(現在の知事)は管内の神社を巡回するのが務めでしたが、省力化で平安時代後期、国司が政務を執る国府の近くに総社を設けることが広まったそうです。
総社とする理由は、旧高市郡役所発行の「高市郡志料」が(1)国府跡と国府神社は共に高取町下土佐ナマコ山にある(2)かつて拝殿に掲げられ、数百年前に作られた扁額(へんがく)に「国府宮」の文字があった(3)役所の名称から転じたと思われる「松笠(まつかさ)」(役所の馬司(うまつかさ)がなまった可能性)や「ミヤマ」(貴人の馬小屋の御厩(みやま))などの地名があった――と記すのが根拠です。平城京朱雀大路から南に延びる官道「下(しも)ツ道(みち)」沿いの立地も総社にふさわしい。
ただ、大和国の国府の所在地については諸説あるうえ、高市郡志料も国府は平城遷都で現在の大和郡山市今国府町(いまごうちょう)付近に移ったと記します。
国府神社は明治期、「八幡(まちまん)神社」で内務省に登録されましたが、氏子の運動で現名称に戻りました。氏子は昔、例祭の日に国府の文字が入った高張提灯(たかばりぢょうちん)を軒につるしたといい、本神社は地域の暮らしに溶け込んでいます。
(奈良まほろばソムリエの会会員 吉田英弘)
(住所)高取町下土佐402
(祭神)応神天皇(主神)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、言代主神(ことしろぬしのかみ)
(交通)近鉄壺(つぼ)阪山駅から徒歩約10分
(拝観)境内自由
(駐車場)高取町観光第1駐車場を利用(無料)
(電話)なし
掲載記事(pdf)はこちら
|