大和郡山市豊浦(とようら)町は、近鉄橿原線とJR大和路線に挟まれた田園地帯にある約20軒の農村集落で、八幡神社は集落の北側に鎮座しています。創建については明らかではありませんが、室町時代後期と伝わります。
県指定文化財の本殿は、二つの社殿を並べ、一つの屋根に収めた特異な造りです。桁行2・67メートル、梁(はり)行0・90メートルと小規模ながら、屋根は本瓦葺(ほんかわらぶ)きで、細部は装飾模様や極彩色に彩られています。
拝殿前の鳥居には、かつては赤膚焼(あかはだやき)の瓦が載せられていました。
1945年ごろまで、例祭の宵宮には篝火(かがりび)をたいて、「宮相撲(みやずもう)」と呼ばれる子どもたちの相撲が行われていました。秋の例祭では、当屋(世話役)の家の屋根にお仮屋(かりや)を載せ、祭神の移し回しをする神事が行われてきました。今も簡略化されて続けられています。
神社の北側は、郡山城に至る街道が通る集落の入り口でした。今も小さな地蔵堂があります。昔々クロというタヌキがいて村人にかわいがられていました。周辺で戦が起きたとき、クロは村人たちの日頃の恩に報いるため、金色の山車(だし)に化けて戦を止めましたが、力を使い果たして死にました。村人たちはこの地蔵堂に亡骸(なきがら)を葬った、という話が伝わっています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 戸尾知子)
(住所)大和郡山市豊浦町
(祭神)誉田別命(ほんだわけのみこと) 三筒男命(みつつおのみこと)
(文化財)本殿は県指定文化財
(交通)近鉄郡山駅から徒歩約30分
(拝観)境内自由
(駐車場)なし
(電話)なし
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