河俣神社は延喜式神名帳(じんみょうちょう)という平安時代に諸神社を記録した書物に記載されている高市御縣坐鴨事代主神社(たけちのみあがたにいますかもことしろぬしじんじゃ)だとされる古社です。古くから天皇に祝いの言葉などを述べる「出雲国造神賀詞(くにのみやつこのかんよごと)」に、出雲の神が天皇守護のために四柱の神を大和国へ送った、そのうちの一柱が宇奈提(うなせ)に送られた事代主神(ことしろぬしのかみ)であることが書かれていますが、その神が当社の祭神の鴨八重事代主神だとされています。宇奈提の地名は現在も当社のある雲梯(うなて)町に呼び継がれています。
奈良時代に編纂された日本書紀にも当社が登場します。壬申の乱の時、当社の事代主神が大海人(おおあまの)皇子(後の天武天皇)軍のある将軍の口を借りて「神武天皇の陵(みささぎ)に馬や種々の兵器を奉れ」と告げました。その通りにして戦に勝った大海人皇子は即位後、事代主神にお礼に神階(しんかい)という位を贈りました。
また当社は「装束の宮」とも呼ばれます。これは古くからの大阪の住吉大社が、お祭りで使う土器を作る材料の土を当社の東にある畝火(うねび)山口神社で採る神事を行う際に、大社の使いは当社に詣(まい)り服装を整えてから畝火山口神社に向うのでそう呼ばれました。
河俣神社はいにしえの書に記されたことが今に伝わる雲梯の古社です。
(奈良まほろばソムリエの会会員 大江弘幸)
(住所)橿原市雲悌町689
(祭神)鴨八重事代主神(かもやえことしろぬしのかみ)
(交通)JR金橋駅または近鉄坊城駅から徒歩約25分
(拝観)境内自由
(駐車場)無
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