角刺(つのさし)神社(葛城市)は、祭神の飯豊青命(いいとよあおのみこと)(飯豊青皇女)が住んでいた忍海角刺宮(おしみつのさしのみや)跡に創建されたと伝えられています。「日本書紀」には、この宮が「倭辺(やまとべ)に見が欲しものは忍海(おしぬみ)のこの高城(たかき)なる角刺の宮」と書かれ、大層立派な建物だったことがうかがわれます。
なぜ、その様に立派な宮だったのでしょうか。諸説はありますが、飯豊青皇女は第17代履中(りちゅう)天皇の孫に当たります。第22代清寧(せいねい)天皇は皇子がないままに亡くなりましたが、皇女の弟である億計(おけ)皇子と弘計(をけ)皇子は譲り合い、なかなか皇位に就きませんでした。天皇が空位の間、政務を執ったのが飯豊青皇女です。「飯豊天皇」とする書物も複数あり、ここが宮と呼ばれる由縁です。
また、当社の北にある北花内(きたはなうち)大塚古墳は、宮内庁が飯豊天皇埴口丘陵(はにくちのおかのみささぎ)として管理しています。飯豊青皇女が政務を執った後、兄弟のうち弟の弘計が第23代顕宗(けんぞう)天皇、兄の億計が第24代仁賢(にんけん)天皇になりました。
境内には、平安時代に神宮寺として建立された忍海寺(にんかいじ)が残り、本尊の十一面観音立像は飯豊青皇女の顔を写したものと伝えられます。拝殿前の鏡池には、中将姫が當麻曼荼羅(まんだら)を織った糸をこの池の蓮から採ったとの伝説が残ります。
(奈良まほろばソムリエの会会員 西川誠)
(住所)葛城市忍海322
(祭神)飯豊青命
(交通)近鉄御所線忍海駅から徒歩約5分
(拝観)境内自由
(駐車場)なし
(電話)なし
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