やまとの神さま
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第141回 2025年11月20日掲載
送迎太神宮の拝殿、移築   火幡神社(王寺町)


火幡(ほばた)神社の拝殿=王寺町畠田5で


 火幡(ほばた)神社は、明神山(みょうじんやま)(送迎山(ひるめやま))の参道である送迎道の近くに鎮まります。
 送迎道は王寺町畠田と大阪府柏原市を結ぶ道でもありました。
 社伝によりますと、平安時代前期の806(大同元)年の創建で、祭神は火之戸幡姫命(ほのこはたひめのみこと)とされ、すぐれた織物や機織を意味する火幡(秀機(ほぼた))の言葉から養蚕や機織を担う集団により祭られたのが始まりとされます。
 拝殿は1971(昭和46)年に再建されました。それ以前は明神山の山頂にあった送迎太神宮の拝殿を移築したものと伝わっています。拝殿の後ろに神明造(しんめいづくり)(伊勢神宮本殿と同じ構造)で三間社(さんげんしゃ)(正面の柱の間が三つ)檜皮葺(ひわだぶき)の本殿が鎮まっています。
 江戸時代には一斉に伊勢神宮にお参りする現象があり、「おかげ参り」と呼ばれました。1830(文政13)年は大規模なもので、これを基に送迎太神宮を建立し、伊勢神宮の天照大神が祭られました。しかし、翌1831(天保2)年に本殿は伊勢神宮の偽物として、畠田村の領主であった郡山藩主によって取り壊されました。
 鳥居前にある一対の石燈籠は大阪の人々が奉納したもので、送迎太神宮が撤去された後にこの場所に移されたと考えられています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 坂口隆信)


(住所)王寺町畠田5の12の1
(祭神)天児屋根命(あめのこやねのみこと)、
    息長帯比売(おきながたらしひめ)命、誉田別(ほんだわけ)命、
    玉依姫(たまよりひめ)命、天照大神
(交通)JR畠田駅から徒歩約20分
(拝観)境内自由
(駐車場)あり
(電話)090・9889・7028


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