桜の名所を問われた時、必ず入る場所が吉野山でしょう。
飛鳥時代に役行者(えんのぎょうじゃ)がこの周辺の山で修行して蔵王権現(ざおうごんげん)を感得し、その姿をヤマザクラの木で彫ったとされることから、桜は吉野で神聖な木となりました。
豊臣秀吉も家臣を引き連れて花見を楽しんだほど、長く愛される桜の名所で、歴史の舞台にもよく登場します。
下千本から中、上と順に咲き、最後の奥千本が咲くまで長い期間、桜を楽しむことができます。
奥千本エリアには、平安時代の末期から鎌倉時代の初期、歌人として名をはせた西行法師が3年間過ごしたとされる西行庵が残ります。
西行は佐藤義清(のりきよ)という北面の武士(宮を警護するエリート武士)でしたが、あるときその地位や家族も捨て、僧となり、各地を行脚しながら歌を詠みました。
この庵(いおり)でも「とくとくと落つる岩間の苔(こけ)清水 くみ干すほどもなき住居かな」などの歌を詠んでいます。
西行に憧れた松尾芭蕉はこの場所を2度訪れ「露とくとく試みに浮世 すすがばや」の句を残しました。その苔清水は今も庵の近くで、とくとくと湧いています。
ここ数年、西行庵の周辺では杉や檜を伐採し、ヤマザクラを植樹しています。奥千本は桜の木が減り、数十本を数える程度でしたが、年々若い桜が育ち、景観も変わってきています。
桜を愛し、その花の下で人生を終えたいと願い桜の季節に亡くなった西行法師も、笑顔で見守っていることでしょう。
(奈良まほろばソムリエの会 会員 西川誠)
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