元興寺は平城遷都に伴い、718(養老2)年、飛鳥の法興(ほうこう)寺(飛鳥寺)が新築移転してできた寺院です。
創建時の元興寺は、現在「ならまち」と呼ばれている地域の大部分が境内でした。今は国史跡の極楽坊境内(真言律宗元興寺)、五重塔跡(華厳(けごん)宗元興寺)、小塔院跡(真言律宗小塔院)が残っており、世界遺産「古都奈良の文化財」の一つに登録されています。
かるたの絵札には極楽坊境内にある国宝の極楽堂(右)と禅室(左)の二つの建物が描かれていますが、もともとは僧坊として一つの建物でした。僧坊の東側は智光(ちこう)曼荼羅(まんだら)(極楽堂の本尊、浄土変相図)を描かせた智光法師が住んでおられたことから、1244(寛元2)年に極楽堂として独立しました。床下には奈良時代の礎石が残っています。
二つの建物の屋根瓦は上方が狭く下方が広い丸瓦を重ねた行基葺きであり、小さな段差が魚の鱗(うろこ)のように見えます。この技法は飛鳥時代に伝来したものですが名称の由来は不明です。
使われている瓦には法興寺から運ばれたものと、それ以外のものがあり、法興寺のものは赤褐色をしています。これらの瓦は極楽堂の屋根の手前(南西)部分に集めて葺かれており、境内の南西から観察できます。
また、年輪年代法により、巻斗(まきと)(軒を支える組物)や頭貫(かしらぬき)(柱の上部を連結する部材)の伐採年が飛鳥時代であり、建築部材の一部は法興寺から運ばれていたとみられることが判明しました。
(奈良まほろばソムリエの会会員 池内力)
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