山の辺の道は、奈良盆地の東の山すそを縫うように走る古道です。古事記の崇神(すじん)天皇の段に「御陵は、山の辺の道の勾岡(まがりおか)の上にある」とあり、歴史に登場する最古の道と言われています。その昔、奈良盆地は湖沼、低湿地が広がり、微高地の山すそに人びとの生活の場ができ、それらを結んで道ができていったと考えられます。そのはっきりした道跡はわかりませんが、現在は桜井駅から春日大社の南側辺りまでハイキングコースとして整備されています。
特に、盆地の南東に位置し、三輪山をご神体とする大神神社から天理市の石上(いそのかみ)神宮までの沿道には、「元伊勢」と伝えられる檜原(ひばら)神社や景行(けいこう)天皇陵、崇神天皇陵など初期ヤマト王権をしのばせる遺跡などが多く残っています。また、田園風景が広がり、ところどころに野菜や果物の無人販売所があります。数多くの万葉歌碑も立っており、自然の息吹と歴史ロマンを感じながらハイキングを楽しむことができます。
一方、石上神宮から北へ春日大社辺りまでの道は「北山の辺の道」と呼ばれることもあり、沿道には弘仁(こうにん)寺、白毫(びゃくごう)寺、新薬師寺などがあります。
この道と関係があると思われる物語が日本書紀の武烈(ぶれつ)天皇の段に出ています。石上を支配地とする古代豪族・物部氏の娘である影姫。思い人が奈良と京都の境である奈良山で殺されそうなのを知り、泣きぬれながら思い人の元へ急ぐ様子が描かれています。
山の辺の道は、古代から多くの人びとがいろいろな思いをいだいてたどった道でもあるのでしょう。
(奈良まほろばソムリエの会会員 中村茂一)
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