二上山(にじょうざん)は葛城市と大阪府太子町にまたがる山で雄岳(標高517メートル)と雌岳(同474メートル)の二峰からなります。古代の人々は二峰を男女の二神に見立てて、「二神山(ふたかみやま)」とも呼んでいました。
奈良盆地から見ると、陽の沈む方角であるために、仏の来迎(らいごう)思想が生まれました。そのため、飛鳥時代に処罰された大津皇子(おおつのみこ))が雄岳山頂に埋葬されたと伝えられています。大津皇子は天武天皇の皇子ですが、天皇崩御の直後に謀反の罪でとらえられ、皇后(後の持統天皇)から死を命じられました。その時の辞世の歌が万葉集にあります。また、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が大津皇子をしのんで、二上山をわが弟と詠んだ歌も万葉集に収められ、いずれも名歌と言われています。
また、二上山は休火山で、石器に使われた岩石サヌカイト、古墳時代の石棺等に使われた凝灰岩や研磨用の金剛砂(こんごうしゃ)も産出し、古代から文化の発展にも寄与してきました。
北側を通る穴虫越(あなむしごえ)街道と南側の竹内越(たけのうちごえ)街道は、奈良盆地と大阪平野を結びました。奈良側に当麻寺(たいまでら)や石光寺(せっこうじ)があり、大阪側には聖徳太子、推古天皇、孝徳天皇などの陵墓が築かれ、「河内飛鳥」とも呼ばれました。
奈良側山麓(さんろく)には道の駅「ふたかみパーク当麻」があり、そこからも山頂に登ることができます。雄岳山頂には葛木二上(かつらぎふたかみ)神社が鎮座し、大津皇子の墓があります。しかし、登り口にある鳥谷口(とりたにぐち)古墳が真の大津皇子の墓と言われています。雌岳山頂からは奈良盆地や大阪平野が見渡せます。万葉の時代に思いをはせて立つ山頂の風は心地よいものです。
(奈良まほろばソムリエの会会員 橋本篤実)
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