日本書紀によると、神武天皇は九州の日向国(ひゅうがのくに)高千穂から大和を目指して出発され、6年をかけて東征し、大和三山の一つ、畝傍山の東南麓の橿原の地で初代天皇として即位されました。
皇后は事代主(ことしろぬし)の御娘の媛蹈?五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)。お二人を祭神としてお祀(まつ)りしているのが橿原神宮です。
東南麓の橿原の宮跡は畑地でしたが、明治になると、民間から建立の請願が相次ぎ、1890(明治23)年4月2日、官幣大社として創建されました。明治天皇から京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿(しんかでん)を下賜(かし)され、移築して本殿(重文)、神楽殿として受け継がれています。
境内は約53万平方メートルと非常に広く、甲子園球場の約13個分の大きさです。神武天皇即位から2600年とされる1940(昭和15)年には国を挙げて奉祝記念事業が実施されました。その一環で宮域の拡張整備が行われ、全国から集まった延べ約120万人の奉仕員の人々が建設に参加しました。その際、約7万6000本の樹木が植栽され、現在の緑豊かな神宮の森になっています。
2月11日の「建国記念の日」に同神宮で最も重要な祭典(例祭)である「紀元祭」が勅使参向(さんこう)の下、厳粛に行われます。
神武天皇が崩御したとされる4月3日には神武天皇祭(春季大祭)が執り行われます。地元や近郊の人々から「神武さん」と親しみを込めて呼ばれ、各種の行事で終日、にぎわいます。
橿原神宮を参拝後は、北へ徒歩約15分で、畝傍山の東北にある神武天皇陵を参拝されては、いかがでしょうか。
(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)
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