WEBソムリエの風

42号 令和6年(2024年)2月14日

目次

この写真は、平成20年(2008年)2月9日、12年ぶりの大雪の日に撮影しました。最近では奈良であまり雪は降りませんが、冷え込みの厳しい日もありました。当会は12月に「師走の文化イベント」を開催するなど、多彩な活動を展開しました。以下、主なできごとを紹介いたします。(専務理事 鉄田憲男)

師走の文化イベントを開催!

写真は向かって左から、ゲストの難波利光さん(周南公立大学教授)、豊田理事長、鉄田

令和5年(2023年)12月10日(日)、当会は奈良ロイヤルホテルで、「師走の文化イベント」として、「雅楽・舞楽公演」(第1部)と「懇親会」(第2部)を開催しました。第1部には50人(ゲスト2名様を含む)、第2部には40人(ゲスト11名様を含む)が参加。雅楽の公演は、実に10年ぶりの開催でした。

雅楽公演は、雅楽演奏家の山口創一郎さんが主宰する「陽雅会」(陽気に雅楽をやろうという団体)にお願いしました。この日の演目は、管絃 平調(ひょうじょう)『五常楽 急』、管絃 平調『鶏徳』、神楽歌『其駒(そのこま)』、舞楽 『陪臚(ばいろ)』(毘盧遮那仏=奈良の大仏にまつわる曲)、太食調(たいしきちょう)『長慶子(ちょうけいし)』(三度拍子=舞立のテンポ)。

雅楽の合間に、山口さんのレクチャーが入り、これが分かりやすくて好評でした。「雅楽とは何か」「雅楽の楽器紹介」「雅楽の練習方法について」。

フィナーレは、舞楽『陪臚』(林邑八楽の1つ)。大仏(毘盧遮那仏)開眼供養(752年)のときに演奏されたとも言われます。槍や刀を持ち、力強い舞でした。あとで聞きますと、舞い手は中学2年生!もっとも、2歳の頃から舞楽を学んでいたそうで、堂々たる舞でした。

公演のあとは部屋を変えて懇親会。陽雅会メンバーにも加わっていただき、お酒と食事を楽しみました。向かって左端は、不空院ご住職の奥さん・三谷早苗さん(ゲスト)。

サロン・ド・ソムリエ、楽しく継続中!

昨年9月16日(土)にスタートした「サロン・ド・ソムリエ」は、同年11月12日(日)、今年1月20日(土)と、隔月に開催しています。開催場所は「南都銀行西大寺銀行クラブ」です。奈良シニア大学など外部団体での講演の足慣らしとして、45分間のミニ講演を披露していただきました。

講演のあとは、楽しい懇親会。今後の開催予定日は3月17日(日)、5月19日(日)です。たくさんのお申し込みをお待ちしています!

奈良検定の認定支援セミナーに講師を派遣

今年度の奈良検定は、3月3日(日)に実施されます。これに先立ち、令和5年(2023年)12月3日(日)にはソムリエ、同月10日(日)には1級と2級の「認定支援セミナー」が天理大学で開催され、各級に2人ずつ、計6人の講師を派遣しました。写真はいずれも、ソムリエ対策の講座です(12/3開催)。

奈良佐保短期大学の後期授業「奈良の伝統行事」

当会は平成26年(2014年)6月、奈良佐保短期大学と連携協定を締結し、同年9月から、後期授業「奈良の伝統行事」に講師を派遣しています。当初は数名が交代で対応していましたが、近年は西田裕美さんがお1人で授業されています(写真は1/11撮影)。しかし誠に残念ながら、同短大は令和7年度(2025年度)以降の学生募集を停止し、2年後の春には約90年の幕を下ろされることになりました。

奈良県立医科大学の「奈良学」

奈良県立医大では毎年1月、地元を知るため、5日間の「奈良学」という授業を医学科と看護学科の1年生計約200人を対象に実施されています。令和3年(2021年)1月からは当会にもお声かけいただき、初日に鉄田が「深イイ奈良の歴史と文化」という90分の講演を行っています(写真は1/29の授業)。

奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」

令和元年(2019年)9月から、当会会員は奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」に交代で出演しています。今は毎週木曜日、「推しナラ」(ひたすら推したい!奈良のススメ)という約10分のコーナーで、雑学、お出かけ情報、グルメ情報などを発信しています。

「おとな旅あるき旅」

当会会員で、明日香村でガイドをされている井上千恵さんが、テレビ大阪の「おとな旅あるき旅」第716回「奈良・明日香」編で、三田村邦彦さんたちを案内されました。石舞台古墳の中で江戸時代の「寛永通宝」が発見され、「ここで博打をしていたのかも知れません」という井上さんのお話に、旅人のお2人は、ビックリ!(写真は1/20の放送回)

年末年始も「グルメサークル」(奈良シニア大学)

当会は奈良シニア大学奈良校・橿原校で授業をするほか、「グルメサークル」というクラブ活動も担当しています。この年末年始は、豪華ランチを楽しみました。12月18日(月)は、登大路ホテルの「ル・ボワ」でクリスマスランチ、1月12日(金)は「西大和さえき」でお正月ランチを堪能しました。

2023年12月16日 奈良県コンベンションホールにて、第14回あしたのなら表彰の表彰式がありました。
ことしの受賞者は2名と1団体。
あしたのなら表彰には、奈良観光コンシェルジュであり、奈良まほろばソムリエの会・広報グループで活躍する、38才の松原純さんが選ばれました。

受賞理由は◇
インバウンド客にも奈良の魅力を伝えるため、2年間オーストラリアへ語学留学し、帰国後
は奈良市の宿泊施設に就職して、インバウンド客とコミュニケーションを取りながら奈良の魅
力を伝えておられました。Nara 観光コンシェルジュや観光ガイドとして活動を行うほか、
YouTube や SNS を使った魅力発信活動や映像クリエイターとしても幅広く活動されています。
ということです。

松原さんは、県内の案内ガイドだけでなく、日本の歴史ガイドで広く活躍されています。
松原さんの YouTubeは、https://www.youtube.com/c/NaraConcierge
で見ることが出来ます。とくに来村先生と松原さんの対談は興味深いものがあります。
これからのますますのご活躍をお祈りいたします。

ところで、
あしたのなら表彰というのは、奈良県知事表彰で、
1.奈良の魅力PR・魅力向上

  • 地域の魅力向上に大いに寄与するまちづくり活動等
  • 奈良のイメージアップや観光客増加につながるPR活動

2.元気、感動

3.地域貢献

  • 地域のために行う地道な地域貢献活動等
    が選考のポイントです。個人、団体が対象です。

今まで、奈良まほろばソムリエの会関係では、鉄田憲男、吉田利明、若林稔、木村三彦、松森重博、友松洋之子、松原純(敬称略)のみなさんが受賞しています。
(広報グループ 文:松森重博、写真:礒兼史洋)

<MYウォーク 吉野川分水を歩く②>

コースB 西部幹線水路と當麻寺、旧街道コース

 今回は、前回コースAのゴール(くず)の東西分水工から西に延びた西部幹線水路沿線を行きます。西部幹線水路は御所葛城山麓を北上し、葛城地方を潤す水源となります。今回のコースは近鉄新庄駅からアプローチを開始し、その幹線沿いを北上散策する葛城市南北縦走ルートです。

 3月28日に歩いたのですが、桜の咲くこの季節ならでは風景をそよ風を受けながらのウォークとなりました。

 近鉄新庄駅西側の柿本神社にてまずウォークの安全をお願いし出発。目指すは、中戸新池。

柿本神社

 柿本神社は字のごとく柿本人麻呂を祀った神社で、石見で没した人麻呂を770年に改葬してここに祀ったのが起源とされています。この神社の北側の道を西へ歩き、旧村井邸(重文指定 江戸時代の民家)を経由して進むと、最初の目的地の中戸新池に出ます。季節柄、池の側にある公園の桜は満開。穴場かな、人出は少なく独占できました。この池にも分水の水が供給されています。

中戸新池周辺の公園 桜が満開

 ここまで西部幹線水路は地下から地上に出てはまた潜りを何回か繰り返しながら、葛城山麓を縫うように走っています。ウォークルートは分水から東へ少しルートをとり、旧跡を目指します。目指すは「孝女の碑」現徳寺。「孝女の碑」は、親の面倒をよくみた娘の伊麻の孝行のお話を碑として造立されているものです。

また、側の現徳寺にはここに蓮如上人が立ち寄られた時に、松の木に柿の木を接ぎ木された「松柿」(下が松、上が柿)という珍しい霊木があり、今も柿が成るらしいです。

孝女の碑

 「孝女の碑」から西に道を取ります。田園地帯の中を整備された道で長閑です。伊邪那岐神社を右に見て直進すると、今回ウォークの分水の目玉、長尾水路橋に着きます。分水を渡すための橋ですが、コンクリートで造られており、中を見ることはできませんが、少し上の高台にある池の堤から見下ろせば、全体像が確認できます。分水は土地の高低差をうまく利用して造られてているので、こういった形の人工水路橋が必要になるのでしょう。「南海トラフのような巨大地震がきて、分水施設が崩壊したらこれはもう大変だなあ」という思いが過りました。近鉄新庄駅からここまでは、分水ルートをかなり迂回するように歩いて来ましたが、ここからはほぼ分水が通っているルートに沿って歩くことになります。

長尾水路橋

 分水はここからまた地下に入り、当麻の馬見サイホン入り口までお目見えしません。ウォークルートはほぼこれと同じコースをとり北上、當麻寺方面へ向かいますが、ここからは史跡を多く目にすることができ、観光にも適しているのではないかと思います。松尾芭蕉旧跡の「綿弓塚」竹ノ内街道の古い町並み、ナベ塚古墳、史跡の丘公園等を経由して當麻寺仁王門の前に着きます。「綿弓塚」にはいいタイミングで休憩所(きれいなトイレ有)があります。桜のシーズンに歩いたのですが、史跡の丘公園の北側にはきれいな桜の木があって、家族連れが花見を楽しんでいました。隠れスポットですね。

綿引塚
竹ノ内街道

 ウォークルートはさらに北上し、當麻寺を目指します。やがて桜満開の當麻寺に入り、北門を抜け、中将姫の墓所を左に見て、石光寺に向かいます、この途中のゆうあいステーションの所に、第二目的地の「馬見サイホン入り口」の施設があるのです。

桜満開の當麻寺
中将姫墓所

 サイホンの原理はご存じだと思いますが、高い所から下に水を流し、最下点より高い所(真美ケ丘住宅街)に、上へ水圧で水を湧き出させる仕組みです。昔理科の実験でよくやったのを思い出しますが、そのことを思えばスケールの大きいサイホンの仕組みですね。細かく、高低差を計算し設計した苦労が目に見えてきます。

馬見サイホン入り口

 馬見サイホン入り口から入った水路は大きく東に向きを変え、これまた長い地下水路となり、葛城市、香芝市、広陵町の地下を直進します。その湧き出るところが広陵町真美ケ丘住宅街にある円形分水工です。分水の水を均等に分離する施設です。ここの最終目的地に至るのにウォークルートは、分水からは少し北に外れたルートとなりますが、石光寺道の駅ふたかみパーク腰折田の伝承の碑(相撲発祥の地伝説)長持型石棺の蓋石恵心僧都誕生の地碑神武天皇遥拝所跡、等を経由し、歴史に想いを馳せることのできる道となっています。

相撲伝承の碑 腰折田
長持ち型石棺

 ほぼ4Km程の単調な道ですが歴史好きにはたまらないでしょうね。そして今回の最終目的地「円形分水工」に到着。西部幹線コースの後半は車もたくさん通り、注意しながら歩かないといけませんが、新しい発見がきっとあります。健脚向き。

最終目的地 円形分水工

 住宅地のど真ん中にある。馬見丘陵で一番高いということです。

 今回の工程 令和5年3月28日 桜咲く時期

距離 15.1Km 4時間25分 健脚向き

(記事:広報G:吉川和美)

ソムリエの風では、「奈良まほろばソムリエ」として活躍されている場面を、奮戦記として掲載してまいります。どしどし投稿して頂き、会員の皆様方へその奮戦ぶりを劇場チックに演じてください。今回は第一回目ですので不肖私吉川が劇場に立ちます。

第一幕 ー平城東公民館に立つー

 鉄田専務理事よりお声がかかり、令和5年11月7日11時、平城東公民館2F大会議室でマイクを握った。これから長丁場120分の講演である。題目は、お得意の「奈良市の地名・知ったかぶり!」。公民館からは「”奈良市の難読地名”を講演してほしい」というリクエストであったが、奈良市には120分を語る程の、難読地名の題材がなく(県レべルなら沢山あるのだが)、「奈良市の地名・知ったかぶり!」に変えてもらった。ここで、難読地名、伝説、ユニーク地名などを織り込み話すのだが、今まで長くても90分。120分となると未知の領域である。さてどうするか、追加するしかない。もちろんお題を頂いてからかなり時間があったので、追加すべくあちこち現地を訪れ、材料は集めたが、それでもまあ105分かな。あとは、休憩、間合いをもってなんとかなるやろというノリで臨む。お見事110分で終わり、残りは質問タイムをとり、無事3分前に終了。理想を絵に描いたような時間配分、我ながら感心した。アンケートを取っておられたので、ちょっと見せてもらった。おおお、なかなかいい評価ですやん。満足、満足、大満足というやつですわ。この日の大収穫は、高校時代の女性同級生2名がチラシを見て駆けつけてくれたこと。

                                                                                                       (記事:広報G:吉川和美)

第10弾 高取町「町屋の雛めぐり」

 3月になりますと、全国各地で「雛めぐり」なるイベントが開催されます。中でも高取町の「町屋の雛めぐり」は有名で、2007年から始まり今年で18回目の開催となります。

 町の大通りである土佐街道の街並み約50軒の民家でずらりとお雛様がが飾られます。民家での展示ではその雛人形にまつわる思い出話を「雛物語」と称して共に飾られるのが特徴です。

 今回のスケッチはメイン会場に飾られる「天段の雛」です。原画は土佐街道沿いにある奥村胃腸科クリニックの入り口に展示いただいております。メイン会場「街の駅 城跡」には17段もある巨大なピラミッド型の雛段に500体もの雛人形が美しく飾られ、それはそれは圧巻です。

 2018年からは壺坂寺も4千体余りを飾る「大雛曼荼羅」で参加しています。令和6年3月1日(金)~31日(日)の1か月間開催されますので、皆さん足を運んでみてはいかがでしょうか。

(広報G 佳山隆生)

(明日香の保存)
 奈良まほろばソムリエの方なら平城宮跡の保存に尽力した「棚田嘉十郎」の名前を知らない人はいないでしょう。では、飛鳥の保存に尽力した「御井敬三」の名前はお聞きでしょうか?
(御井敬三)
 御井敬三は非常に評判の良い漢方医・鍼灸師でした。鍼灸や漢方脈診が1000年以上も前に中国から飛鳥に伝わった技術であることをきっかけに、御井は1965年ころから足しげく飛鳥に通っています。1966年に「古都保存法」が制定され明日香村の一部も保存地域に指定されました。しかしそのころ、奈良県は大阪のベッドタウンとして開発が急ピッチで進みます。飛鳥駅から大阪阿部野橋駅まで通勤電車で50分かからない所要時間なのです。隣接の橿原市や桜井市にも新しい住宅地がどんどん増えていき、その造成の勢いは当然明日香村に迫ってきました。放置しておくと飛鳥にも新興住宅がどんどん出来かねない状況に御井は危機感を覚え、親しくしていた松下電器創業者の松下幸之助の勧めもあり、当時の総理大臣佐藤栄作あてに直訴を行ったのです。

☜ 御井敬三(古都飛鳥保存財団提供)     松下幸之助(古都飛鳥保存財団提供) ☞


(カセットテープでの直訴)
 視力を失っている御井は、1970年1月に明日香村の景観保存を訴える内容のカセットテープを作成しました。それをPHP研究所の所員が再度朗読して録音をし、2月には松下幸之助を経て時の総理大臣の佐藤栄作に届けられました。そのカセットテープの内容が総理の心を動かします。この御井の直訴状が起爆剤となり、3月には「飛鳥を古京を守る会」が発足(初代会長末永雅雄)。5月には「飛鳥古京を守る議員連盟」発足(初代会長橋本登美三郎)。そして6月には佐藤栄作首相一行が明日香村に視察に訪れ「積極的な保存をしたい」との発言を行っています。そして同年12月には歴史的風土の保存と住民生活の向上とを2本の柱とする「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策について」の閣議決定されました。閣議決定の内容は、保存区域及び特別保存地区の拡大、環境の整備、歴史的風土特別保存地区の土地の買い上げ、保存財団の設立などでした。

(整備事業~明日香法)
 閣議決定を受けて、翌年から国営飛鳥歴史公園の整備に着手します。同時に翌年飛鳥保存財団(初代理事長 松下幸之助)も設立されました。こうしてさまざまな施策が始まり、また1972年には高松塚古墳からの極彩色壁画の発見などから考古学ブームが起こり、明日香村は歴史ファン、史跡ファンがより多く集まる観光地になりました。史跡や観光客のための施設の整備などは予定通り実施されたのに対し、住民生活の向上に関する施策については遅れがちになりました。
そこで、住民の生活の安定と歴史的風土の保存を調和させていくために、奈良県知事及び明日香村村長から内閣総理大臣宛に、「保全対策」「住民対策」「村財政対策」要望書が1978年に提出されました。
そして1979年、歴史的風土審議会から「明日香村の特性に鑑み、特別の立法措置により国家的見地から歴史的風土の保存のための方策及び住民生活安定のための措置を講ずべき」という答申が行われ、これを受けて翌1980年に「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」…つまり明日香法が施行されたのです。

(景観への配慮)

風土保存の方策と住民の生活を調和させるための、古都保存法と明日香法を受けて明日香村景観条例が施行されます。現在、明日香村は村全域において行為規制をおこない景観保全行っています。その例が建物の屋根が和瓦で葺かれていることです。

先日、関東から来られた方を飛鳥にご案内しました。そこで、道すがら明日香村内のコンビニエンスストアの屋根を一緒に眺め「和瓦」で葺かれている様子とその理由を説明しますと、「非常に面白い」とすごく関心を持たれました。そして、明日香村内のコンビニだけではなく、ガソリンスタンドやカフェやレンタサイクルやいろんなお店まですべて和瓦で葺かれている様子も案内しました。明日香村から市町村境をわずか越えると、ごく普通のコンビニエンスストアしかありません。あまりに明確な屋根の違いにとても興味を持たれました。

☜ カフェ        古都飛鳥保存財団 ☞

昨年移転した明日香村新庁舎の屋根も、もちろん和瓦で葺かれています。

明日香村役場新庁舎

「和瓦葺き」での景観配慮は非常に目につき分かりやすいのですが、他にも景観条例でいろいろな建築制約が設けられています。明日香村をご見学の際は、遺跡や文化財だけでなく明日香村のいろんな建物をご覧頂き、他の地域との違いを見つけて頂きたいと思います。

「古都保存法」「明日香法」「明日香村景観条例」などで村全体が守られていること自体非常に稀有な景観で、遺跡や文化財だけではなくその景観もまた明日香村の大切な財産なのです。

(広報G 福岡康浩)

「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定実施

令和6年2月10日(土)に古都飛鳥保存財団主催の第1回「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定が飛鳥会場(明日香村中央公民館)と奈良会場(帝塚山大学)の2か所で実施、両会場合わせて、274名の受検者が『初級編』にチャレンジされました。

受検者の最年少は12歳、最高齢は86歳。最北は北海道、最西は長崎県。飛鳥・藤原ファンが年齢問わず日本中にいらっしゃることを実感しています。当日アンケートも実施しています。回収されたアンケート用紙は272枚。アンケートの中で「今回の検定以外で、受検済または受検予定の検定は?」と問いかけていますが、「奈良まほろばソムリエ検定」と回答された方が実に154名もいらっしゃいました。また会場で奈良まほろばソムリエの会の会員の方もお見かけしています。
次回は令和6年冬頃実施予定です。今回受検されなかったソムリエの会のみなさまも、ご興味ありましたら次回是非ご検討下さい。

(広報G 福岡康浩)

ランニングを15年ほど前、50歳ぐらいから始め、奈良マラソンも初回からランナーで参加しています。また、地元の大会であり、歩いて会場(鴻池競技場)や沿道に行くことができるので、ほぼ1年おきにランナーで参加せずに大会運営のボランティアで参加、地元に来られる方のおもてなしもやってきました。

今まで、JR奈良駅からの参加者の道案内・誘導、手荷物預かり、ランナーへの給水・給食、ゴール後のお茶・お菓子接待、沿道での歩行者整理・誘導、スタート前の給水等々のお手伝いをやってきて、昨年12月は前日の参加者受付を担当しました。沿道の地元の人から迷惑だと小言を言われたり、ランナーを待たせないようにあせったり、なにかと気を使うことも多い活動です。ただ、ランナーから感謝の気持ちを伝えられるとうれしいものですし、ボランティア同士協力・工夫してやり遂げたときの充実感があり続けてきています。逆にランナーとして参加しているときは、ボランティアの方に感謝の声かけをするように心がけています。

昨年はランナーとして参加する年だったのですが、ランナーとしてエントリーをすませたあと事務局から前日ボランティへの協力お願いメールが届き、急きょボランティアでも参加することになりました。ランナーとボランティアと両方ともでの参加は初めてでした。県庁職員の方も多く活動されていましたので、ボランティアの応募が少なかったのかもしれません。当会の会員でもすでに奈良マラソンのボランティアに参加されておられる方もありますが、まだ参加経験のない会員のみなさま、たまには違ったスタイルでのボランティア活動はいかがでしょうか? 例年7月頃から応募が始まります。(中村茂一 記)

一昨年(2022年12月)、ボランティア活動風景 スタート前給水。朝7時前から準備です。

今年はランナーでも参加。高校時代の仲間たちと。応援は元気をもらえます。

「国鉄 奈良駅」の思い出

以前「ソムリエの風」に「奈良の鉄道遺産」を連載させていただいていました小林です。今回、「ソムリエの風」のWeb化にあたり、再度「鉄道」の記事を書かせていただくこととなりました。

その際にも述べましたが、「奈良ソムリエ」歴はまだ10数年そこそこですが「鉄」歴は50年以上。中学生時代から撮りためた写真とともに奈良県の鉄道をご紹介できればと思っています。紙の時はスペースの都合で割愛した写真などもありますのでお付き合いくだされば幸いです。

まず始めは「国鉄 奈良駅」。現在私は奈良県在住ですが、生まれ育ちは大阪市内。しかし”国鉄関西本線”の沿線(平野区)に住んでいたこともあり、中学生時代から頻繁にSL(蒸気機関車)の撮影で奈良~亀山間の関西本線沿線を訪れていました。

奈良駅は今は高架の近代的な駅ですが、1970年代はもちろん地平。駅の西側に隣接して「奈良運転所」と呼ばれたSLの機関庫がありました。
現在の「なら100年会館」のあたりにSLの向きを変える「転車台」とそれを取り囲むように「扇形庫」が建てられ、石炭を積み込む大型の設備も完備しており、絶えずD51(デゴイチ)など多くのSLが行ったり来たりしていました。
その様子は駅のホームからでも間近に眺めることができ、一日中飽きずに撮影していた思い出があります。

木津方面から、臨時のSL列車が「奈良駅」に到着。右側の奈良駅舎は観光案内所として、現役で使用中。曳家で現在の場所へ移動する前です。

当時はSLブームの最盛期で、毎週のように湊町駅(現JR難波駅)から伊賀・亀山方面にSLの旅客列車が運行されていました。

(ピントが甘くてごめんなさい)

機関庫で待機するSL。右に見える巨大な装置の下で石炭を積み込んでいました。後ろに見える窓のある建物が、SLを格納する扇形庫

駅構内東側の駅舎寄りのホームから、木津方面を望んだ光景。右に見える踏切は「三条通」。踏切の北西には円筒形のガスタンクがありました。

1972年ころ。奈良運転所の一般公開で扇形庫に勢ぞろいしたSL達、左からC50・C11・D51・C57・C58・C12の6台

「転車台」に乗ったD51。今では、日本国内でもほとんど見ることができなくなった「転車台」を見学会では間近で見ることができました。

もちろん、旅客列車はディーゼルカー。これは片町線(現:学研都市線)の長尾行。クリームと朱色の懐かしい国鉄色の車両が頻繁に発着していました。

昔の奈良駅の面影は、ほとんど残っていません。私もずいぶん探しましたがまったく見つけることができませんでした。

左の写真は「奈良運転所」の入口付近にあった「鉄道100年記念」のSLの動輪をはめ込んだモニュメント。てっきり撤去されてなくなったと思っていたのですが現在の「平城山(ならやま)」駅の東側にある「奈良電車区」(正式には吹田総合車両所・奈良支所)の中に移設されていました。平城山駅を東側に出て、車両基地を跨ぐ長い歩道橋から北側を見ると小さく見ることができます。(右写真:台座は変わっているようです)

ことしの若草山焼きは、天気に恵まれとても良く燃えました。

興福寺五重塔をシルエットにした光景です。このあと、十六夜の月が五重塔のすぐそばのように昇りました。

花火、若草山焼き、興福寺五重塔、十六夜の月、なかなか見ることが出来ない光景でした。

映像作家 保山耕一さんのyoutube映像です。https://www.youtube.com/watch?v=vDQqN22-Q08

そして、ことしから興福寺五重塔は10年ほど改修工事とのことです。

この秋頃、五重塔は高さ60メートルほどの素屋根に覆われる予定と、興福寺の辻執事長のお話です。

 さて、二月も半ばとなりました。10日から奈良国立博物館と東大寺ミュージアムではお水取りの展覧会が開かれ、中旬からは修二会の試別火が始められ、いよいよ奈良東大寺のお水取り行事が始まります。

ソムリエの風42号をWEBでお届けします。盛りだくさんの記事が集まりました。紙ベースより相当ボリュームがあると思います。


 そして会員の皆さまへの次号のお願いです。

今回、新企画である、奈良まほろばソムリエ奮戦記が始まりました。引き続き、皆さまから奈良まほろばソムリエの会の奮戦記をお寄せください。自薦他薦問いません。順次できるだけ掲載したいと思います。
宛先は⇒kouhouweb@stomo.jp

 また、奈良まほろばソムリエの会の皆さんの自由投稿をお待ちしています。字数は400文字程度、写真もつけてください。宛先は、kouhouweb@stomo.jpまでよろしくお願いします。

3月3日には、奈良まほろばソムリエ検定が、天理と東京で行われます。当会にも奈良商工会議所より支援を要請されています。支援の皆さまお世話です。2級、1級は奈良と東京で。奈良ではソムリエ級も。多くの皆さまの合格をお祈りします。そして新しい会員の入会をお待ちしたいと思います。(広報G 松森重博)

(広報G)礒兼・今西・風間・柏尾・窪田・小林(誠)・島田・中村・廣岡・二上・福岡・藤田・藤崎・松原・松森・吉川


奈良の魅力を奈良人が奈良から発信!! 京阪奈新書、あをによし文庫、奈良ガイド、自費出版