やまと百寺めぐり
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第80回 2020年12月03日掲載
豊臣秀長の菩提寺  春岳院(大和郡山市)


風格ある「秀長公木像」は桂材の寄せ木造り=大和郡山市新中町の春岳院で

 豊臣秀長は「大和大納言」とも呼ばれ、今なお多くの人々に敬慕されています。春岳院(しゅんがくいん)は秀長の菩提(ぼだい)寺で、位牌(いはい)や肖像画が残されています。さらに近年、多くの市民の浄財を得て、「秀長公木像」が造られ本堂に安置されました。
 1585(天正13年)、秀長は紀州一揆の制圧後、兄である秀吉の名代として四国征伐の大役を果たし、その功により大和・紀伊・和泉の百万石の大守として、大和郡山の地に入城します。秀長は百万石にふさわしい規模の城郭と城下町を整備して、今日の大和郡山の礎を築きました。
 秀長は、お膝元の城下を町の自治で治める「箱本」という制度を作りました。城下町の十三町が地子(じし)免除などの特権を受け、併せて町々は輪番で御朱印箱を持ち回り、当番の町が治安・消火・伝馬などの責務を負う制度でした。
 この箱本の制度は豊臣氏滅亡後も、松平氏、本多氏、柳澤氏と受け継がれていきました。春岳院には、箱本に関わる文書とそれを納める御朱印箱が残されています。
 秀長の墓所は同市箕山町に置かれ、大納言塚と呼ばれます。毎年4月22日には大納言祭が行われています。
【奈良まほろばソムリエの会 会員 浅井博明】



■宗派 高野山真言宗
■住所 大和郡山市新中町2
■電話 0743・53・3033
■交通 近鉄郡山駅から徒歩約10分、JR郡山駅から徒歩約15分
■拝観 要予約
■駐車場 有(無料)



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