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天理市の七廻峠 ―― 婆羅門杉と受取り地蔵石仏
 
 「巨樹というと老木で痛々しいというイメージがあるが、七廻(ななまわり)峠の婆羅門(ばらもん)杉は違う。心に迫ってくる」と友人に聞き、現地に出かけてみた。
 七廻(または七曲)峠は大和高原の天理市福住(ふくずみ)町から、盆地部のJR帯解駅(奈良市)方面に至る道の天理市側にある。名阪国道の開通で通行人が途絶え、廃道同然になっていたが、天理市の有志が草刈りなどの整備活動を進め、近年に復活した。
 天理市側からは、ヤマトカントリークラブの西から、穏やかな登り道が峠に続いている。奈良市側からは米谷(まいたに)町行きのバスに乗り、中畑町下車。名阪国道の下を抜けて東へ急坂を進む。
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 めざす大杉は峠の東側、下之坊(しものぼう)と呼ばれる普光山永照寺(ふこうざんえいしょうじ)にある。参道石段の両側に、天を突く山門のようにそびえている。とりわけ向かって右側の杉は木肌(きはだ)が紅(くれない)色で、巻き上がるような枝ぶりは不動明王の背炎(はいえん)を思わせる迫力がある。
 感嘆していると、地元・福住町の浦辻亨(うらつじとおる)さんが「寺は地元の23軒でお守りしています。昔は祈祷(きとう)寺だったそうですが、今は本堂裏の不動明王が眼病に霊験あらたかなので、お参りに来られます」と教えてくれた。
 さらに「聖武天皇勅願寺なので瓦も菊の紋。東大寺にもない聖武天皇位牌堂があります。昔は弁天池の向こうに神社もありました。最近はアライグマが本堂の屋根裏に入り込むので困っています。これまでに4匹も捕獲しました」と説明してくれた。
 関東からインターネットのウェブサイト「日本の巨樹・巨木」を見て、この寺を訪ねる人も多いそうだ。
 「奈良県の杉では、ここと玉置神社、室生龍穴(むろうりゅうけつ)神社、高井千本杉、伊豆神社が選ばれているそうですが、地元では何の指定も受けていません。平成25年に地蔵堂を二百数十万円かけて改築するとき、根を伐りました。拡がった根が本堂の床束(ゆかつか)を持ち上げていて、床が凸凹でした」
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天を突く山門のようにそびえている七廻峠の婆羅門杉=天理市

 境内に次のような案内があった。  「婆羅門杉。推定樹齢800年、幹回り約6.8メートル。この山門の大きな二本の杉は、当寺ご本尊、十一面観音像が聖武天皇と婆羅門僧正の合作と伝えられる寺伝にちなみ、婆羅門杉と呼ばれている」
 婆羅門僧正とは天平8(736)年に来日し、大仏開眼の導師を務め、聖武天皇、行基(ぎょうき)、良弁(ろうべん)と並んで東大寺四聖と称えられた菩提僊那(ぼだいせんな)のことだろうか。


鎌倉時代の銘が残る「受取り地蔵石仏」
 七廻峠で見落とせないのは、鎌倉時代の建長5(1253)年の銘が残る「受取り地蔵石仏」だ。
 頭と側面を大きな板石で囲まれた堂々たる石仏。その前に四角い石が2つあり、これは棺(ひつぎ)台だそうだ。地蔵仏は死者の魂を受け取り、浄土へ送ってくれる。
 地蔵仏は南側の共同墓地(埋め墓)の方を向いている。墓地には檜(ひのき)の色の残る卒塔婆(そとば)が見える。大和高原は「埋め墓」と、石の墓石がある「参り墓」の両墓制なのだ。この地蔵仏は、これまでどれほどたくさんの死者を浄土へ送り、峠を越える旅人を見送ったのだろう。
 峠を越えて西側に出れば、奈良盆地だ。東西に走る名阪国道は、このあたりで大きく北に折れて、すぐに南に曲がる。鋭い傾斜をかわすための道路建設の苦労がしのばれる。
 大和高原には多くの石仏の優品が、地元民の素朴な信仰の対象として残されている。美しい景観に心が洗われる。
 

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)

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