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中家住宅 ―― 中世の創意工夫を知る
 
 大和川の堤防がすぐ南に見える安堵町窪田(くぼた)に「中家住宅」は建っている。大和地方の典型的な環濠屋敷(かんごうやしき)の姿を現在に良く残す貴重な住宅だ。
 屋敷は二重の濠(ほり)に囲まれ、内堀と外堀の間に竹やぶがあり、遠目にみれば鎮守(ちんじゅ)の森のように見える。外堀の南半分は集落に埋まってしまったが、当時を知るのに十分な建築資料だ。
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 中家住宅の中氏は現在の三重県鈴鹿市の土豪で、足立氏と称していた。
 足利尊氏(たかうじ)に従って大和に入り、窪田姓を名乗り、この地に居を構えた。明徳2(1391)年に窪田中氏と改め、周囲の岡崎、笠目、窪田を拝領し、筒井一族の武士となって長く活躍した。
 筒井氏の伊賀への国替えに同行せず、帰農。大地主となり近世を過ごしたので、武家造りと農家造りをあわせ持つ造りとなった。
 屋敷の各時代の工夫がおもしろく、感心するものも多い。見学していると、時間を忘れてしまう。
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 武家の備えとしては、表門前の内堀に架かる橋が跳ね上げ橋となっている。中央の板橋を外すことができ、外敵の侵入を防いで要塞化できる。


中家住宅の内堀に架かる跳ね上げ橋=安堵町

 今では珍しくなった大和棟(やまとむね)の姿を残す母屋は、万治(まんじ)2(1659)年の創建と推定される。文政2(1819)年の大修理の時、現在の農家風に改修された。
 土間のかまどは焚口(たきぐち)が11個もある。1人で煮炊き番ができるように、勾玉状(まがたまじょう)に半円を描いて造られており、今でも使用できる。また煙が座敷に行かないように、煙返しの梁があるのも見逃せない。
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 安永(あんえい)2(1773)年に建てられた新座敷は、水害の多い土地に配慮し、母屋より80センチほど高く、村人の避難場所にもなった。
 新座敷は「勅使の間」とも呼ばれた。中家の所領は天領で、4年に1度の検分役人を迎えるために造られた。襖(ふすま)絵も見事な花鳥画だ。
 奥には「戸棚(とだな)風呂」と呼ばれる現在のスチームサウナが設けられている。
 廊下奥に茶室のような小部屋があり、戸を開けると中年太りの私には入室不可能な小部屋になっている。床下の鉄釜で湯を沸かすと、蒸気が小部屋に充満する仕組みだ。


半円を描く中家住宅のかまど
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 内堀には石垣が切り込まれた箇所がある。これは船着き場で、堀に小舟を浮かべ、観月会(かんげつえ)を催して役人を楽しませた。
 これだけ接待されれば、お役人もさぞかし楽しく、ゆるい検分になったことだろう。
 他に寺院顔負けの持仏堂や米蔵、馬屋、庭園と挙げればきりがないが、私が一番感心するのは梅干しだ。なんと天正4(1576)年に漬けた梅干しが残されている。
 歴史年表を見れば、織田信長が安土城を建てた年だ。木箱に入った壺の蓋(ふた)を取ると、塩の結晶をまとって黒っぽくなった梅の実が100粒ほど姿を現す。当時の梅干しは、食事の友よりも疲労回復などの薬として貴重で、「末代まで伝えよ」との家訓に従い、残されているそうだ。
 建物の多くや、竹やぶまでもが国の重要文化財に指定されている。  これだけの建築物などを、こうして今も見られることに感謝したい。見学には事前の予約が必要。問い合わせは中家(Tel0743−57−2284)。


(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 西川誠)

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