ボタンの名所で知られる長谷寺のある桜井市初瀬は現在、「はせ」と言いますが、古くは「泊瀬(はつせ)」と呼ばれ、その地名の起源とされる「泊瀬(とませ)石」が、長谷寺参道の與喜(よき)天満神社下の河原にあります。
大昔、泊瀬川上流の瀧蔵権現のそばに天神が作ったとされるほこらがありました。ある時、雷が落ち、まつられていた毘沙門天の持っていた宝塔が流れ、この石の上にとまったことからそう呼ばれるようになったそうです。
また、長谷については、この地が長い谷の続く奥まった地形であり、山に囲まれ隠れているような地形から、隠れの国と言われ、万葉集では「隠口(こもりく)の」と枕ことばが付いて読まれます。そして、いつしか「はつせ」と読まれるようになり、現在は「はせ」と読みます。
【奈良まほろばソムリエの会 楠田英雄】
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