続日本紀に登場する美努岡萬(みののおかまろ)の名をご存知でしょうか。河内国美努郷(大阪府八尾市や東大阪市周辺)出身の豪族で、1872(明治5)年に出土した墓誌(国の重要文化財、東京国立博物館所蔵)に遣唐使であることが記されています。大安寺を建てた道慈や万葉歌人の山上憶良らとともに、702(大宝2)年に唐へ渡っています。また、帰国後、平城宮の主殿寮頭(とものりょうのかみ)に任ぜられました。
美努岡萬は、辛苦や危険を顧みず遣唐使や官僚として重責を果たしました。平城京に近く、暗峠(くらがりとうげ)越道を望む地に葬られ、古代のロマンが見え隠れします。奈良県の初代知事税所篤(さいしょあつし)が、彼の功績をたたえて顕彰碑を建立しました。石碑には墓誌に記された文字が刻まれています。
【奈良まほろばソムリエの会 津山進】
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