箸尾城は、広陵町萱野(かやの)周辺に箸尾氏により築かれ、約220b四方の環濠(かんごう)を巡らせた平城です。箸尾氏は、筒井氏(大和郡山市周辺)、越智(おち)氏(高取町周辺)、十市(とおいち)氏(橿原市周辺)、古市氏(奈良市周辺)と並ぶ大和武士五強の一つでした。
箸尾氏は越智氏や、時に筒井氏と共に戦いを繰り返し、三好長慶の家臣松永久秀が大和に侵攻した際は久秀に味方しましたが、最後は久秀に反旗をひるがえしています。箸尾城は信長により取り壊され、現在、道路脇に城址(じょうし)碑と、水堀の名残の水路が残されているのみです。
大和武士は、春日大社の若宮おん祭での流鏑馬(やぶさめ)の奉納を誇りとしており、箸尾氏は祭礼に奉仕する長川党の盟主という立場で活躍していました。
広陵町広瀬には箸尾氏の菩提(ぼだい)寺だった常念寺があります。箸尾氏の墓碑(五輪塔)が36基並び、勇壮だった箸尾氏の活躍がしのばれます。
【奈良まほろばソムリエの会理事 大山恵功】
|