応仁の乱からさかのぼること75年、足利幕府三代将軍義満のあっせんで南北朝講和が成立し、後亀山天皇は京都嵯峨の大覚寺に移ります。しかし、和睦の条件は守られず、南朝方が皇位に就くことはありませんでした。
後南朝の皇子は再び吉野に逃れ、奥吉野に身を潜め再起の機会をうかがいます。しかし、南北朝合一から65年後の大雪の夜、後南朝の自天王は赤松一族に襲われ、殺されてしまいます。
後南朝に忠節を尽くした川上村の子孫たちはその死を悼み、村の奥地、三の公仮御所で行われた自天王の即位の大典をしのび、御遺品の鎧(よろい)、兜(かぶと)、太刀に礼拝し、元旦に宮中で行われる儀式「朝拝式」を、翌年より毎年欠かさず行ってきました。
561回となる朝拝式は、2月5日に金剛寺で行われます。
【奈良まほろばソムリエの会 前田景子】
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