生駒山を望む奈良市三碓(みつがらす)にある添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)は、添郡にある県の地を守る神社として建立されました。
添郡は添上と添下の二つの郡に分かれていましたが、神社は添下郡にあたります。県は朝廷の直轄地のことで、皇室に農作物などを納める御料地であったため、御をつけて御県と名付けられました。神話によると富雄川一帯は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)が治めていた地とされ、三祭神の一柱は那賀須泥毘古と伝えられています。
本殿は室町時代の初期に建てられ、柱の間が五つの五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で、国の重要文化財に指定されています。
神社に隣接する根聖院(こんしょういん)には、三碓の地名の起源である三穴のくぼみがあったであろう大石が展示され、唐臼(からうす)の残片と伝えられています。「三つからうす」が訛(なま)って「みつがらす」となったそうです。
【奈良まほろばソムリエの会 津山進】
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