戦国時代の兵火により、奈良の大仏様は江戸時代、大仏殿が無く雨に打たれていました。少年の頃にそれを見た公慶上人は、大仏様の復元と大仏殿の再建をしたいと志を立てたそうです。そして37歳のとき、江戸幕府に大仏殿の再興と諸国勧進を願い出ました。
公慶上人はまず大仏の修復に6年を要し、さらに大仏殿の再興に尽力しましたが、その完成をみることなく落慶法要を前に亡くなりました。
大仏殿の落慶法要には全国から何十万人ものお参りがあったと伝えられています。東大寺では鎌倉時代の俊乗房重源に次ぐ、第二の中興開山とされており、現在、公慶上人の像は東大寺の公慶堂に安置されています。お墓は北御門町の五劫院にあり、本堂北東奥の五輪塔です。
【奈良まほろばソムリエの会理事 松森重博】
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