発表日 2023年1月29日
発表者 山﨑 愛子

はじめに

『和州奈良之絵図』を片手に、江戸時代と現在の同じところ、違うところ探しながら、ならまちを歩くツアーを催行したのが2017年4月。所属しているガイドグループで、初めて企画催行した思い入れの深いツアーである。
 『和州奈良之絵図』に関する書物や論文などはあまりないため、調べるのに苦労をしている。奈良市立資料保存館には何度も足を運び、教えていただいた。お忙しい中、丁寧に対応してくださった学芸員の方々に感謝をしている。しかし、分からないことの方が多く、真実を知ることは難しいことだと痛感しているが、それでも奈良を知ることが出来る喜びはひとしおである。

和州奈良之絵図(奈良県立図書情報館所蔵)

1,「和州奈良之絵図」を用いたお勧めのコース

近鉄奈良駅 … ❶奈良地方裁判所 … ❷バスターミナル … ❸みとりゐ池園地 …❹初宮神社 … ❺旧鍋屋交番きたまち案内所 … ❻奈良女子大学 … ❼東向商店街 …❽御高札場 … ❾采女神社 … ❿絵屋橋の跡・元林院 … ⓫率川地蔵尊・嶋嘉橋 …⓬猿田彦神社 … ⓭ならまちセンター … ⓮元興寺 … ⓯芝突抜町 … ⓰元興寺塔跡 …⓱御霊神社 … ⓲元興寺小塔院 … ⓳陰陽町 … ⓴椿井町 … 近鉄奈良駅

奈良公園ウォークマップ(奈良市観光協会) 山﨑が加筆
和州奈良之絵図(奈良県立図書情報館所蔵) 山﨑が加筆

2,行先と見どころ

❶奈良地方裁判所 ← 一乗院
・興福寺の門跡寺院  明治時代、廃仏毀釈で廃絶
・門主覚慶は還俗し、室町幕府最後の15代将軍足利義昭となった
・一乗院の宸殿が移築され、唐招提寺御影堂に

❷バスターミナル ← 興福寺東円堂
・平安時代後期、待賢門院の発願で建立 室町時代末に焼失
・『沙石集』東円堂の八重桜  ナラノヤエザクラの名所
・いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな (伊勢大輔)

❸みとりゐ池園地 ← みとりゐ池・轟橋・雲井坂
みとりゐ池
・京都から奈良に歩いて来た旅人が、春日社の一之鳥居が見えてきた場所であることから、見鳥居池と呼んだのが名前の由来とも
轟橋 : 南都八景のひとつ「轟橋の行人」
雲井坂 : 南都八景のひとつ「雲井坂の雨」

❹初宮神社
・春日大社境外末社
・春日若宮おん祭 12月17日の午前中 田楽の一団が芸能を奉納

❺旧鍋屋交番きたまち案内所 ← 五軒ヤシキ
旧鍋屋交番きたまち案内所
・昭和初期の建物、昭和48年まで奈良署の派出所だった
五軒ヤシキ:奈良奉行所の与力の家が五軒あった

❻奈良女子大学 ← 御奉行所
奈良女子大学記念館
・明治42年 国立奈良女子高等師範学校
御奉行所
・慶長8年(1613)設置  徳川幕府の直轄地である奈良町を支配
・明治時代 廃藩置県で廃止された

❼東向商店街 ←  東向丁
・平城京の外京六坊大路
・通りの東側は興福寺の境内地、そのため西側にのみ建物が建てられ、全ての建物が東を向いていたことが、地名の由来という

❽御高札場
御高札場:東六坊大路と三条大路が交差する札の辻
お触れや通告を伝達する立札が建てられていた 
1984年、地元の人々の尽力により復元
奈良縣里程元標:明治21年 距離を測るスタート地点として、各府県に1基ずつ置かれた

❾采女神社
・春日大社の末社 祭神:采女命
・奈良時代、天皇の寵愛が薄れたことを嘆き、猿沢池に身を投げた采女の霊を慰める為に祀られたという

❿絵屋橋の跡 ← 絵や丁
・絵屋橋の欄干:暗渠となった率川にかかっていたもの
・絵や丁:江戸時代、仏画などを描く絵師が住んでいたことが由来

⓫率川地蔵尊・嶋嘉橋
率川地蔵尊:舟形の中州に、幕末の河川工事の際に見つかった約40体の石仏が祀られている
嶋嘉橋:私財を投じて架設した椿井町 嶋屋嘉兵衛の名を取った石橋

⓬猿田彦神社
・ご祭神:猿田彦命、市寸島姫命
・道祖神:道の辻、峠、国境などに祀られ、悪霊、疫病等から守る

⓭ならまちセンター ← 柳生藩南都屋敷
ならまちセンター
・明治に奈良町役場、明治31年(1898)市役所、昭和52年(1977)に新庁舎に移転、その後、ならまちセンターに
柳生藩南都屋敷
・四代目・宗冬の代に建設
・柳生家の領地・柳生の里と奈良市南部・天理市北部との連絡場所

⓮元興寺
・飛鳥時代、蘇我馬子が飛鳥に建てた法興寺
・平城遷都に伴い、元興寺として建立 南都七大寺の一つ
・平安時代以降は次第に衰退、室町時代(1451)、江戸時代の安政六年(1859)の火災で、伽藍のほとんどが焼失
・真言律宗の元興寺 華厳宗の元興寺(塔跡)、小塔院が残る
・真言律宗元興寺:世界遺産 智光曼荼羅、五重小塔、行基葺

⓯芝突抜町 ← きつねがつし
・参勤の大名の役人達や能役者などの宿泊所があったが、安政6年の火災で焼失

⓰元興寺塔跡 ← 元興寺五重大塔
・芝新屋町 華厳宗東大寺の末寺 
・安政六年(1859)の火災により、五重大塔と観音堂が焼失
・基壇と17個の礎石が残る 国史跡

⓱御霊神社 
・延暦19年(800年)、桓武天皇の勅願により五條市霊安寺から遷された
・遺恨の死を遂げた人々を祀る

⓲元興寺小塔院
・西新屋町 虚空蔵堂が建つのみ(仮堂・江戸時代)
・奈良時代、光明皇后の発願で、五重小塔を置くために造られたという
・称徳天皇が、百万小塔を納めたとされる

⓳陰陽町 ← いんよ丁
・町名は陰陽師が住んでいたことにちなむ
・庶民の最初の暦という奈良暦が作られていた

⓴椿井町
大宿所:おん祭の大宿所祭が行われる
椿井小学校  明治八年新築

古地図で歩く奈良PDF