保存継承グループ 奈良市(帯解寺子安地蔵会式)

安産・子授けの寺として広く知られている帯解寺で7月23日に「子安地蔵会式大法要」が営まれ、保存継承グループの10名でお参りさせていただきました。

帯解寺門前の提灯

帯解寺は、奈良時代後期に高円山麓に建立された岩淵千坊と呼ばれる広大な寺院の塔頭の一つで、美しい松があったため「霊松庵」と言われたと伝わっています。

平安時代、「文徳天皇と后の染殿皇后(藤原明子)が長く世継ぎに恵まれながったが、藤原家の祖神である春日明神のお告げにより帯解寺で祈願されたところ、清和天皇を授かられた。大変喜ばれた文徳天皇が、天安2年(858)に更に伽藍を建立し、帯解寺と名付けられた。」という伝承があります。

提灯が巡らされた帯解寺本堂

その後江戸時代にも、世継ぎがなかった徳川第二代将軍秀忠の正室・お江の方が祈願すると第三代将軍・家光を授かり、家光の側室・御楽の方が祈願すると第四代将軍家綱を授かったと言われています。その返礼として徳川家より多くの寄進を受け、家光寄進の誕生釈迦仏(秘仏)や家綱寄進の手水鉢などが伝わっています。

当日、16時半頃から1時間ほど猛烈な夕立が降り、昼間の暑さがやわらぎ、埃もすっきりと洗い流されました。18時半頃には門前に15店ほどの夜店が並び、大勢の人たちで賑わっていました。

帯解寺の門やお堂にはたくさんの提灯が灯されて、普段とは違う華やかな雰囲気です。本堂裏手にある新御堂の辺りから練り歩きが始まるということで、僧侶と長さ約30mの紅白の岩田帯を持った信者さん方、NARA CITYコンシェルジュ(ミス奈良)などが出発準備をされていました。

コロナ禍以前は、JRの線路を挟んで西側に建つ隆興寺から帯解寺までの約300mを、50人ほどが練り歩いたそうです。2020年、2021年は法要のみ。昨年と今年は、境内付近の約150mを30人ほどの練り歩きに縮小されています。それでも、天理市の和爾下神社からはほら貝奏者、高野山からは僧侶が参集し、さらに真っ白な衣装に身を包んだ奉賛会の方々による、おごそかな練り行列が繰り出されました。

帯解寺子安地蔵会式は、平安時代から行なわれていたと記録されていますが、明治維新後の廃仏毀釈や戦争によって一時中断されていました。昭和48年(1975)に奉賛会の方々が中心になって復興されたそうです。奉賛会は、主に地元の方たちで構成され、高齢化してきてはいるそうですが、お寺の色々な行事や研修旅行などで日頃から親睦を深めておられるということです。

「子供の頃は福引きなどもあって楽しかった」と懐かしく話しておられるのを聞き、今の子供たちにも同じ思いを持ってもらえるといいなと思いました。

僧侶たちが散華を撒きながら入堂された後、岩田帯が本尊に供えられ、理趣三昧大法要が営まれました。この法要は翌日の夜にも行われます。地元では、地蔵会式に合わせて、結婚して故郷を離れた子供や孫たちが帰って来ることが多いそうで、法要の間、大人に混じってたくさんの子供や、赤ちゃんを抱いた方々がお参りされているのが印象に残りました。

昔は、練り行列に使った岩田帯をご本尊に巻き付けて、少しずつ切って参拝者に配られたそうですが、重要文化財のご本尊を傷つけてはいけないということから、今は畳んでご本尊の前に供えておられるとのことです。

本尊 地蔵菩薩半跏像(帯解寺HPより)

ご本尊の地蔵菩薩半跏像は、鎌倉時代造立の像高182,6㎝の桧材の寄木造りで、明治43年(1910)に国の重要文化財に指定されています。

地蔵菩薩は、お釈迦様の入滅後、弥勒菩薩が如来として現れるまでの無仏の間、衆生を救済するために現れたとされ、日本では平安時代後期以降に信仰され、特に子どもの守り神とされてきました。

特にこの仏さまは、左手に宝珠、右手に錫杖を執り、左足を踏み下げておられ、今にも救いに来て下さるようなお姿で、腹前に結び紐が表されているところから「腹帯地蔵」「裾帯地蔵」と呼ばれ、広く信仰を集めてきたそうです。

堂内での撮影は出来ませんので、全身のお姿は拝観してご覧ください。3月の秘仏公開、11月の寺宝展では、多くの宝物に出会うことが出来ます。

理趣三昧法要の様子
江戸時代の「帯解寺」扁額が掲げられている拝所

奈良市では、帯解寺と同じく7月23日に、福智院、十輪院、傳香寺、璉城寺など、地蔵菩薩を祀る多くのお寺で法会が営まれます。また、町の中の小さなお堂のお地蔵様や石仏を地元の人たちで祀る地蔵盆行事も行われます。

奈良では中世以降、地蔵菩薩が春日明神の本来の姿とされ、春日信仰とともに地蔵信仰も盛んになったそうです。他県では8月23日頃に多くの地蔵盆行事が行われますが、奈良市界隈では、江戸時代頃から1か月早く行われるようになったとのことです。

夜店で楽しそうにじゃれ合う子供たちの間をすり抜けながら、このような情景がいつまでも見られることを願い、読経の続く帯解寺を後にしました。

保存継承グループ  文:大谷巳弥子  写真:鶴田吉範・本井良明・大谷巳弥子