集会所の仏像が奈良市指定文化財に!

奈良市鹿野園(ろくやおん)町集会所奥の祭壇に祀られている木彫十一面観音菩薩立像が、平成4年(2022)3月25日に、奈良市文化財に指定されました。同町自治会では、この指定を祝して法要を営むことに。埃まみれだった祭壇を拭き、十一面観音像を中心に不動明王など他の仏像群を並べ替え、新しく法具や幕をそろえ、大慌てで準備しました。

鹿野園町集会所奥の十一面観音菩薩像を中心とする祭壇
奈良市指定文化財指定書

同像が市文化財の指定を受けることになったのは、拙著『廃寺のみ仏たちは、今』(2020年発行)の取材がきっかけでした。同著を出版しようと思い立ったのは、当会で私が所属している「保存継承グループ」の活動中でした。
同グループでは奈良県指定を受けている仏像や建造物などの現状を調査(素人の目線で見たり聞いたりしただけですが)をしていました。その折、村人たちに守られながらひっそりと祀られている数体の“廃寺の旧仏”に出合ったのです。
「様々な理由により多くの寺院が廃されていったが、ご本尊たちはどうされたのだろう」という思いがふとよぎり、すぐに廃寺旧仏の資料収集と取材に取り掛かりました。もちろん個人的な活動です。
取材も兼ねて、奈良国立博物館名誉館員の鈴木喜博先生の講演(2019年)を聴講した際、「鹿野園町の十一面観音像は、文化財に指定されるほどの名品である」とご教示いただきました。
拙著にも記していますが、同町に梵福寺という寺院がありました。高円山麓の旧岩淵寺の子院とも、鑑真和上の弟子が建立したとも伝わる古刹です。しかし江戸時代に無住寺になり、明治の廃仏毀釈のあおりで廃寺となり、諸仏が同町集会所に集められたとのことです。

『廃寺のみ仏たちは、今』文中に書かれた、廃梵福寺とその旧仏について
偶然にも私は鹿野園町の住民なので「あの取材した十一面観音さんが文化財に指定されるかもしれない」と知るや、自治会長に「教育委員会に申請しましょう」と持ち掛けました。自治会長も「よっしゃ、行ってくるわ!」と大喜びで奈良市へ。早速、同教育委員会の方や鈴木先生が集会所に来られて、仏像を厨子から出して綿密に写真を撮り、調査にかかってくださいました。

十一面観音像の正面(撮影:奈良市教育委員会)
十一面観音像の横からお姿(撮影:奈良市教育委員会)

調査報告によると、高さ約95㎝の、右手に錫杖を持つ長谷寺式の十一面観音像。頭上にいただく十面の配列は乱れているものの、後補は一面のみ。ヒノキ材の素木造りで清浄感を重んじた造像法とのこと。眉と目が大きく、頬骨が張った顔面、衣の縁が微妙にうねる質感の表現、少々胴長で厚みのある腰などの造像表現が、慈明寺(じみょうじ)(橿原市)安置の、椿井仏師舜慶(つばいぶっししゅんけい)作(室町時代)の十一面観音像と酷似する、貴重な仏像ということです。

十一面観音像のお顔(撮影:奈良市教育委員会)

5月28日午前、自治会主催で集会所にてお祝いの法要が営まれました。信貴山千手院高山別院の佐々木院主に導師をお願いし、千手院の後輩で弟子でもある私が脇僧を務め、読経しました。50人ほどの参列者も皆さん神妙な面持ちです。

法要に参列された方々
読経をする佐々木導師と小倉脇僧

翌々日、奈良新聞に法要の様子が掲載されました。町民の一部からは「防犯対策を考えなあかんな」と意見が交わされ、とりあえず防犯ベルを取り付けました。施錠は厳重ですが。

法要について掲載された、奈良新聞の記事

同集会所は「山の辺の道奈良道」の通過地点であることから、自治会では、今後は十一面観音像を日を決めて一般公開し、町の活性化と奈良観光に寄与していきたいとのことです。
高円山山麓の小さな町の大きな宝物として十一面観音さんは再び輝きを増しておられます。

文:保存継承グループ・小倉つき子
写真:奈良市教育委員会、鹿野園町自治会、小倉つき子