保存継承グループ 本薬師寺跡(橿原市)で美化奉仕活動

保存継承グループ 本薬師寺跡(橿原市)で美化奉仕活動

保存継承グループは、11月25日(土)に美化奉仕活動を橿原市の特別史跡・本薬師寺跡(もとやくしじあと)で行いました。当初予定の11月18日が雨天のため順延となったもので、当グループ11名、ソムリエの会から5名の計16名が参加。真冬並みの寒波が押し寄せるという天気予報で、皆さん防寒対策十分でしたが、作業が始まって半時間も経つと、寒さも忘れ、快い汗を流しました。

本薬師寺は天武9年(680)、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願されましたが、天皇は伽藍を見ることなく崩御し、後を継いだ持統天皇により、文武2年(698)の完成とされています。現在は金堂跡に礎石、東塔跡、西塔跡それぞれに土壇と礎石があります。平城遷都に伴い、今の西ノ京に移築されたのか、一定の時期まで藤原京に存続していたのかという「薬師寺論争」がありましたが、最近の発掘調査などから、西ノ京の薬師寺は移築ではなく新たに建築された説が有力です。

参加者は県内から13名、大阪から2名、愛知から1名。畝傍山をバックに西塔跡で

参加者のうち電車組は午前9時半に近鉄畝傍御陵前駅に集合、徒歩で本薬師寺跡に向かい、マイカー組は本薬師寺跡西隣の駐車場で徒歩組と合流しました。10時頃から各自、鎌やビニール袋を持ち、地元の方も1名加わり合計17名で金堂跡や東西両塔跡の3カ所に分かれて作業を始めました。地元自治会が年2回草刈りを実施されており、草ボウボウではないものの、金堂跡では笹や樹木に巻き付いた蔓も目立ち、3カ所とも礎石周辺の雑草などを刈り取りました。

薄紫色の花が可憐なホテイアオイが周辺に植え付けられていて8月から9月にかけて訪れる人も多かったのですが、2020年以降は新型コロナ感染予防対策として、また今年は橿原市の行財政改革の一環として植え付けは中止されています。 

金堂跡の礎石周辺で雑草を刈る参加者

心礎にホテイアオイが残る東塔跡で作業をする参加者

西塔跡で作業する参加者。周囲は刈り取りが終わった田んぼ

本薬師寺周辺は水田に囲まれ、500m余り西を国道169号が走っていますが、ここに西ノ京の薬師寺と同規模の伽藍が拡がっていたとは信じられません。金堂跡、東西両塔跡には、当時の礎石がそのまま残っており、1300年余り前に設置された礎石を前に作業をしていると、座学で得た知識とは違い、天武・持統天皇の時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えました。

美化奉仕活動に何回も参加している人は手慣れた様子で進めておられましたが、木々に絡まった蔓を取り除いたり、大きな笹を刈り取る作業は、結構大変でした。刈り取った雑草や枝葉は橿原市指定のゴミ袋に入れ、大きな蔓などは指定された場所に積み上げて約1時間半で作業を終えました。

金堂跡でのガイドグループの新森さんによる特別レクチャー

作業終了後、参加されたガイドグループの新森幸枝さんにお願いした本薬師寺の特別レクチャーがありました。新森さんは橿原でボランティアガイドもされており、持参された資料を使い、金堂跡・東塔跡・西塔跡と場所を変えながら丁寧にお話しいただききました。本薬師寺の伽藍は、修理されつつ平安時代中頃まで存続したと考えられていますが、本尊の薬師三尊がどのようなものであったかは、依然不明のままだそうです。

保存継承グループ主催で実施する社寺などの美化奉仕活動は、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の社会貢献活動の一環として実施しています。次回開催予定の2024年春に会員の皆様にご案内しますので、関心のある方々のご参加をお待ちしています。

文・写真  保存継承グループ  河添正雄