WEBソムリエの風

51号 令和8年(2026年)6月25日

目次

石舞台の桜(2026.4.2 撮影)

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関、イコモス(国際記念物遺跡会議)は6月6日(土)未明、奈良県と橿原市、桜井市、明日香村が世界遺産登録をめざす「飛鳥・藤原の宮都」について、世界文化遺産に登録するよう勧告しました。これに基づき、7月19~29日、韓国・釜山で開かれるユネスコ世界遺産委員会で審査され、正式決定される運びとなります!


県内にはこれまで3件の世界遺産があり、すでに日本の都道府県で最多ですが、飛鳥・藤原が世界遺産登録されれば、他県の追随を許さない突出した存在となります。(専務理事 鉄田憲男)

総会、講演会、懇親会を開催

豊田理事長による開会挨拶

6月14日(日)、奈良ロイヤルホテルで、第14回通常総会、講演会、懇親会を開催しました。総会開始前には豊田理事長から、関東グループ(=関東サークル、代表:原英男さん)に対し、感謝状を授与しました。

奈良検定試験当日の東京会場(1級・2級試験)でのお手伝いや、毎月1回の奈良まほろば館(新橋)での当会の講座の設営・受付・集金・資料配付などの業務を担当していただいています。授与式には、同グループの内藤幹(みき)さんに、ご出席いただきました。

関東グループからは、内藤幹さんに来ていただいた

総会への出席会員総数は242人(出席率49.8% うち実際の出席者103人、表決委任者139人、会員総数485人)でした。今回は理事の定数を従来の15人から、20人に増員するという議案が付議されましたが、これを含め、すべての議案が原案どおり可決されました。

小池香津江さんのご講演

講演会には、小池香津江さん(明日香村教育委員会参事兼文化財課長事務取扱)をお招きし、今話題の〈「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産登録に向けた取り組み〉について90分、お話しいただきました。

新入会員さんと記念撮影

懇親会には48人(小池講師を含む)が出席。入会されたばかりの会員とともに、和気藹々(あいあい)とお酒を酌(く)み交わしました。

入会説明会、合格祝賀会を開催

入会説明会(2026.5.30)

5月30日(土)、ホテルリガーレ春日野で、入会説明会と合格祝賀会を開催しました。今年の奈良検定では、67人がソムリエに合格されましたので、たくさんの方にご出席いただきました。参加者数は、それぞれ71人(うち今回の合格者52人)と54人(同36人)でした。

啓発サークル
女性サークル

13時半からの入会説明会では、各グループ・サークルなどが活動内容を詳しく説明、17時からの合格祝賀会では、今回合格者のショートスピーチやクイズ大会などで、大いに盛り上がりました。

合格祝賀会

東海奈良県人会などと連携

薬師寺・生駒管主のご講演

当会は15周年を記念し、他団体との連携を深めようと動いています。その手始めとして、6月6日(土)、名古屋市に本拠を置く「東海奈良県人会」(堀井孝洋会長)の総会にお招きいただき、鉄田が参加し、「飛鳥・藤原の宮都」などを紹介いたしました。

当日は福谷副知事、ビジターズビューローの竹田専務理事のほか、王寺町長、曽爾村長など、自治体関係者もたくさん参加されました(参加者総数=約90人)。講演の部では、薬師寺の生駒基達管主がお話しされました。早速、同県人会は10月17日(土)に当県に来られ、「飛鳥・藤原」を観光バスで周遊されることになり、鉄田がガイドする予定です。

豊臣兄弟の出身地(名古屋市中村区)にちなみ、豊臣の陣羽織で登壇(鉄田)

このほか、「奈良シニア大学 in 東京」(=同学東京校)では、昨年12月の第3回「飛鳥・藤原 まるごと博物館」検定で、ただ1人上級編に合格された当会の橋本厚さん(後述)が、7月6日(月)、東京で「飛鳥・藤原と東アジア~仏教伝来前夜を中心に~」という授業(出張講座)をしてくださる予定です。

久門たつおさん初の著書『奈良の太平洋戦争』を刊行

当会会員で、元保存継承グループ担当理事の久門たつおさんが、初のご著書『奈良の太平洋戦争』(税込み1,100円)を京阪奈情報教育出版から刊行されました(本年1月20日)。内容については、2月7日に開催された当会の「研究発表会」で発表され、その要旨は、当会HP「研究発表会主旨」に紹介していただきました。

さらに5月8日には、毎日新聞奈良版「やまと人模様」欄で、〈奈良の戦争被害伝える書籍出版 久門たつおさん(73)=奈良市 行政動かす“後方支援”〉として、大きく紹介されました。

毎日新聞(2026.5.8付)

葛本 雅則

 

私は、奈良へやってくる修学旅行生の姿をみるのが大好きです。奈良は日本の発祥の地、日本文化が集まっているところですので、❝教育❞という言葉がよく似合い、修学旅行先として最も適した地と思っています。かつて薬師寺の高田好胤和上は、自ら境内に立ち修学旅行生に法話を行い、そのユニークな法話が他の立ち寄り場所より心に残り、成人してから再び薬師寺を訪れる人がたくさんいらっしゃるようです。私一人ではとてもそのようなことはできませんが、ソムリエの会で、修学旅行生をはじめ奈良に住む子どもたちにも奈良を語る取り組みを是非行ってみたいと思います。

駒田 文雄

 この度、「奈良まほろばソムリエの会」令和8年度通常総会役員改選におきまして、新しく理事を拝命いたしました駒田文雄でございます。急速に変化する環境の中にあっても、皆様と力を合わせ、より強固な組織づくりに貢献したいと考えております。
また、今まで培った人脈、知識と経験を活かし奈良に訪れる観光客へディープな奈良の魅力や情報を発信していきたいと思っております。
 今後、奈良まほろばソムリエの会の発展と皆様のご期待に沿えるよう、誠心誠意努力いたす所存でございますので、ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

西橋 奈穂

 

 このたび、理事をお引き受けすることになりました西橋(今中)奈穂です。2024年にやっとソムリエ級に合格した未熟者で、先輩ソムリエの方々のように歴史・文化の知識が豊富ではありませんが、自分なりに貢献の仕方を考えていきたいと思っています。その一つが食文化です。私は、これまで、啓発サークルの「奈良のうまいものを極める会・酒蔵見学」の企画を担当してきました。食の楽しみは観光の大きなコンテンツの1つです。現代のトレンドも取り入れ、訪れた方に奈良の魅力をよりいっそう感じていただけるよう、皆様とともに楽しんで活動していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

藤田 道夫

 

ガイドグループ担当の理事に就任しました藤田です。これまで7年間の活動を通じ感じたことは、奈良ソムリエの皆様こそ、奈良に熱い情熱と愛情を持った根っからの奈良派の集まりだということでした。多くの学びと感動を皆様から頂戴しました。一方で全国には数多くの奈良派の皆様がおられることも肌で感じました。お客様の「私奈良が好きなんです。」の言葉は、何よりの喜びであり何よりの励みとなります。今年は大河ドラマと新たな世界遺産登録期待で奈良大注目の年です。奈良人気が一過性で終わらぬよう「私は奈良派」と言ってもらえる奈良ファンの着実な拡大に貢献できるよう、皆様と一緒に頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。2019年入会。

森本 泰広

 

思いもかけず総務を担当する理事を拝命いたしました森本泰広です。奈良まほろばソムリエの会の歴史と伝統の重さに対し常に謙虚でありつつ、先輩の皆さまのお力をお借りして懸命に努める所存でございます。法人の目的に基づいて活動される各グループの皆さまが日輪ならば、総務は月影であると思います。皆さまが心おきなく活躍されるための下支えとなり、会の更なる発展の一助となれますよう精進してまいります。
ぜひご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

柏尾 信尚

 

1期半の3年間、理事を務めさせていただき、このたび退任させていただきました。ごく近くにあった法隆寺、その法隆寺を核にして「斑鳩の里観光ボランティアの会」でのガイドから始まり、その会話の中で「奈良まほろばソムリエ検定」を知り、幸いにも平成24年~26年で「ソムリエ」に到達することができました。平成28年にはこれも幸運なことに「Nara観光コンシェルジュ」に認定され、奈良観光に関しての自信を深めることができました。斑鳩でガイドを始めるにあたり、モットーが「私しゃべる人、あなた聞く人にならない案内」で、双方向対話型を目指し、これまでに1400組4000人近くの方を案内しました。理事としては自主勉強会を担当し、考古学、建築史、文献史学、万葉集、古事記・日本書紀、観光、地理気候、郷土史など多岐にわたり、専門の先生をお招きし、講演いただきました。アウトプットのためのインプット部分であり、いわば投資のような感覚でかなりの経費を使わせていただき、ご迷惑をおかけすることの連続であったと反省の極みです。余生はガイドの基本「一に安全、二に時間、三・四は省略して五に楽しく」でガイドと少々の講座などで動こうと思っております。みなさま、ありがとうございました。

三宅 努

 

ガイドグループ代表として理事に就任し、皆様のご協力の下3期6年務めさせていただきました。就任当初は、コロナ禍の真っ只中でした。ガイド活動をはじめ、あらゆるイベントが中止となり、先行きが見えない不安な日々でしたが、皆様と共に知恵を絞り何とか乗り切ることができたことは、今では深い感慨とともに思い出されます。 その後、お陰様でソムリエの会の会員数は増加し、ガイドグループ員もほぼ倍増いたしました。規模が拡大した今、これからは旧来の枠にとらわれない、新しい発想による組織運営が求められる時期にきています。頼もしい後進の皆様が、新しい息吹を吹き込んでくださることを心から期待し、退任の弁といたします。ありがとうございました。

 ガイドグループから東西ガイド交流の紹介をいたします。
西の奈良には奈良まほろばソムリエの会、東を代表する古都鎌倉にはNPO法人鎌倉ガイド協会という会員数約120人のボランティアガイド団体があります。奈良まほろばソムリエの会ガイドグループとよく似た規模感で古都鎌倉の史跡めぐりのガイド活動をされています。
 昨年の3月、縁あって鎌倉ガイド協会のガイド5名が奈良を訪れ、当会ガイドグループの弘瀬典子さん、本田倫子さんが2日間にわたって山の辺の道、大神神社、長谷寺、聖林寺、談山神社、安部文殊院などガイドしたところから両会の交流が始まりました。おふたりの丁寧なガイドぶりにたいへん感銘を受けられた鎌倉ガイドの面々は翌年の奈良訪問も約束して帰って行かれました。秋には弘瀬さんが鎌倉を訪問し鎌倉ガイド協会にガイドをしてもらい、より親密な関係となりました。そしてこのたび約束通り鎌倉ガイド協会から弘瀬さんあてに飛鳥のガイド依頼があり、この3月25日、26日の2日間にわたって弘瀬さんが鎌倉ガイド協会のガイド5名を案内されました。飛鳥は世界遺産の候補地ということもあり鎌倉ガイドの期待値はマックス状態でした。


 初日はあいにくの雨でしたがこれは鎌倉ガイドの中に「レインマン」とあだ名される雨男がおられたためで「ああ、やっぱりなあ」とみなさん納得のご様子(笑)。80代の方が2名おられ傘をさしての雨中行軍は心配もありましたが、さすが現役ガイドだけあってみなさんお元気で健脚、全く心配無用でした。JR飛鳥駅をスタートしまずは岩屋山古墳から牽牛子塚古墳へ。牽牛子塚古墳では白亜の八角形の美しい姿に皆さん感嘆の声をあげておられました。予定していた益田岩船は足元悪く残念ながら断念しましたが、檜隈寺跡、キトラ古墳、高松塚古墳と順調にまわることができました。高松塚古墳の高松塚壁画館では奈良まほろばソムリエの会広報グループ所属で古都飛鳥保存財団の福岡康浩さんの丁寧な解説を聞くことができみなさん大変喜んでおられました。
 翌日は雨も上がり向原寺(豊浦宮跡)、水落遺跡、飛鳥寺、酒船石遺跡、飛鳥宮跡、石舞台古墳、橘寺など飛鳥の魅力ぎゅうぎゅう詰めの行程で回り、さすがに帰りの電車では鎌倉ガイドのみなさん爆睡のご様子でした(笑)


 弘瀬さんの丹念な下調べで行程が組まれ、鎌倉ガイドのみなさんにも大満足いただけるご案内ができ、ますますこれからも関係が深まっていくことができたのではないかと思います。次回は来年3月どこのガイドをご希望されるのか、楽しみです。また弘瀬さんから他の方へもガイドの広がりが出て会全体のつながりができればと願っています。
(広報グループ 藤崎俊彦)

お写経の勧め

お写経
お写経

 「おめでとうございます。」昭和51年4月1日、薬師寺金堂落慶法要での高田好胤和上の第一声です。1月以上続いた法要の初日に集まった人々は5,000人を越えていました。そのほとんどは、お写経のご納経者。普通であれば、「ご納経いただいたおかげで、立派な金堂ができ落慶の日を迎えることができました。ありがとうございます。」というようなお礼の言葉で始まりそうなところですが、高田和上の言葉は、お祝いの言葉だったのです。
 昭和42年に、薬師寺の住職に就任された高田和上は、悲願の金堂復興を成就するため「金堂復興百万巻写経」を掲げられました。ご納経料1巻が当時1,000円、そのお写経を百万巻集めて主財源にしようと考えられたのです。「写経」というものが知られていない時代に、誰もが不可能と思いました。実際に、第1巻目がご納経されたのは、和上が住職就任後、半年を過ぎてからのことでした。建設費を寄付しようという企業もあったようですが、その話を断り、お写経勧進に全国を行脚されたのです。昭和51年に百万巻が集まり、金堂が落慶しました。「おめでとうございます」という言葉は、「この金堂は、ご納経された皆様全員のもの、薬師寺はその管理をするだけ」という高田和上の思いを表しています。

薬師寺金堂
薬師寺金堂

 法要時、金堂の建築にあたられた宮大工・西岡常一棟梁は、金堂の鑰(やく)※を直接高田和上に渡さずに、一旦ご納経者代表の方に渡され、その方から高田和上に渡されました。棟梁も高田和上と同じ思いだったのかもしれません。西岡棟梁はまた、落慶法要のご挨拶の中で、金堂の次は「西塔」を復興したいと高田和上に進言されました。高田和上が参拝の方々に尋ねたところ、大きな拍手が湧き、西塔復興が決まりました。その後、中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍、大講堂、食堂(じきどう)と復興されました。中門に立ち、伽藍を見渡すと、国宝東塔と東院堂以外は、すべて朱色のお堂です。この色のお堂は、すべてお写経勧進により復興されたお堂です。もし企業からの寄付を受けて金堂を復興していたら今の薬師寺の伽藍はなかったと思います。
※鑰(お堂の鍵)

薬師寺伽藍
薬師寺伽藍

 薬師寺のお写経の大きな魅力は、なんといっても、書いたお写経が永年保管され、毎朝僧侶の祈りを受けるということです。お写経は、1巻1巻、大切にお堂内の納経蔵に納められます。そのため、「自分の生きた証」としてお写経をされる方もおられます。
次に、お写経道場の静寂な雰囲気が素晴らしいです。日常から離れ、無になってお写経に集中し自分の心を見直すことができる時間を過ごすことができます。薬師寺のご本尊薬師如来は現世利益の仏さまです。漢字を書くことで、脳が活性化し、認知症を予防する効果が期待できるほか、書写に集中することで邪念が払われ、心が安定するという、まさに現世利益的な功徳があるといえます。近年では、デジタルデトックスにも最適です。筆、墨、和紙を使うお写経には、奈良の文化が凝縮されています。是非、皆様も薬師寺のお写経とご縁を結んでください。

お写経道場
お写経道場

(啓発サークル:葛本雅則)

「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定 上級編  受験奮闘記

 2025年12月13日、近鉄橿原神宮前駅近くの橿原市商工経済会館で、はじめての上級試験がスタート。受験者は33名。初級編、中級編と比べると、さすがに上級編までチャレンジする人は絞られています。 
 上級試験の試験要領が公開されたのが昨年の夏頃。語句・穴埋め等問題は20問で40点、小論文問題は3問で60点という配点で、予想通り四択問題はなく、全問記述式で、おまけに合格ラインが80点以上とかなり狭き門の予感・・・。とにかく、漢字と小論文が大きな課題と感じて、まずは漢字の練習から。10年ほど前の京都検定受験以来、久々の漢字練習ですが、その時の教訓は『間違って覚えていた漢字』がたくさんあったこと。これは、自分で正しいと思い込んでいるので、一番始末が悪い課題で、とにかく全ての漢字を正しく確認する作業からでした。加えて、纏向と繍帳、厩坂と遁甲、王震爾と観勒、郭務悰と祢軍、祓いと禊ぎに重祚・・・・。いやいや、10覚えると12忘れる年代になっているので、ただただ書き取り練習でした。
 小論文は一回目なので、出題の傾向が全く分からない手探り状態。一生懸命予想した30問は全てはずれで、1問も出ませんでした・・・。『試験はじめ』の合図とともに、まず確認することは小論文に何が出題されているかということ。小論文の一問目『飛鳥寺の創建瓦について』。『ヨシ!』。二問目『大化の薄葬令とその意義について』。『何とかヨシ!』。三問目『斉明天皇と万葉集について』。『があーん!』『愛孫、軽皇子のことしかわからない・・・。』恐らく今回受験されたほとんどの方が、ここで啞然とされたような気がします。『なぜ、斉明天皇と飛鳥の石造物にしないのか・・・』。小論文の鉄則は一問について最低五つのキーワードを書くことですから、あと四つが思い浮かばない・・・。気を取り直して穴埋め問題に取り組んでいるとき、ふと思いついたのが額田王と中大兄皇子の二人でした。『二人を万葉歌人として育てたのは皇極・斉明天皇ではないのか?ヨシこれを加えよう・・・。』。因みに、模範解答の参考キーワードには「額田王・有間皇子・中皇命・崗本天皇・皇極天皇」等が挙げられていましたが、このキーワードの中では額田王しか書けませんでした。何とかしがみついて、ここで10点程度確保できたことが合格の最大のポイントだったような気がしています。
 80点が合格ラインで、最高点が81点というすさまじい試験でした。思えば十数年前に奈良まほろばソムリエ検定試験に合格したあと、大阪・京都・お江戸・神社と渡り歩いて、最後の最後、飛鳥・藤原まるごと博物館検定上級で『八角形の勲章』をいただき、本当に感謝しております。受験の反動で、今は簡単な漢字でさえも正しく書けなくなってしまいましたが・・・。                      (公民館講座サークル 橋本厚)

「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」上級合格の橋本厚さんと合格証

「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」上級に挑む

令和7年12月13日、第3回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」の上級を受験しました。
初めて実施される上級試験ということで、過去問は存在しません。事前に公表されていた内容も、「語句・穴埋め等問題20問以内及び小論文3問以内」「専門的な知識レベル」などの簡単な情報のみ。配点は不明で、小論文の文字数も分からず、手探りで準備を進めていく状態でした。
 学習にあたっては、漢字や用語を定着させるために実際に書いて覚え、主要な出来事や遺物について自分の言葉で説明できるよう整理しました。また、現地にもたびたび足を運び、観光を兼ねながら理解を深めました。結果は100点満点中63点。合格基準の80点には届かず、不合格となりました。受験した印象としては、これぞ飛鳥・藤原と感じられる問題が想像より少なく、幅広く専門的な知識が問われていたことです。また、配点や小論文の文字数が当日初めて提示されたため、戸惑いも少なからずありました。今回の上級受験を通して、これまで知らなかった深い知識を得ることができ、視野が広がったと感じています。とりわけ万葉集については、苦手だった意識を払拭でき、理解を深めるきっかけになりました。今年は「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録が控えています。ますます魅力を増していく飛鳥・藤原に、これからも関心を深めながら応援していきたいと思います。
(広報グループ 礒兼史洋)

「飛鳥・藤原まるごと検定」検定主催者からの報告

 2025年12月13日に、飛鳥藤原会場(橿原市商工経済会館)、奈良会場(帝塚山大学東生駒6号館)、東京会場(江戸川ビル)の3会場に分かれて実施しました。特に支障なく定刻に開始され、予定通り無事終了しました。今回は、初めて上級の検定を実施しています。奈良まほろばソムリエの会の方も多く受検いただきました。ありがとうございます。
 初級受検者:179名、中級受検者:135名、上級受検者:33名でした。南は佐賀県から、北は北海道からの受検者もいらっしゃいました。初めての上級検定で、ソムリエの会の橋本厚さんが見事合格!「飛鳥・藤原」通の方が口々に「うわっ 難問・・・」とおっしゃっていた中での合格、本当にすごいです!

 次回の「飛鳥・藤原」検定は、2026年12月12日(土)に開催いたします。なお、初級の特別テーマは「天智天皇とその時代」です。ぜひ、ご参加ください。

(広報グループ、古都飛鳥保存財団 福岡康浩)

 前回は、城主秀長公の6年間について「公儀ノ事」(政策運営全般)をお話しましたが、今回は、「内々の儀」(家臣団、家族、恋愛物語、健康問題)についてお話したいと思います。

【家臣団】  道は君臣合わす

 大徳寺古渓宗陳(こけいそうちん)の言葉によると「道は君臣合わす」とあり、家臣とは厚い信頼関係で結ばれていたことが分かります。ここでは、その家臣の中でもキーマン4人をご紹介しておきます。藤堂高虎、桑山重晴が軍事・外交を、小堀政次、横浜良慶が検地・寺社支配など内政・財政面を主に担い、各々が全力で奔走し秀長公の統治を支えました。
・藤堂高虎(1556~1630) 
元浅井長政家臣で、天正4年(1576)秀長公の求めで家臣に。各地を転戦する中、次々武功を上げ秀長公の側近中の側近として軍事・外交面を支えた。また築城の名人で、和歌山城をはじめ数々の城普請にかかわった。
・桑山重晴(1524~1606) 
秀長公の家臣の中では最年長(秀長公より16歳年長)で、当初秀吉の家臣だったが、天正11年(1583)賤ケ岳合戦で秀長軍の別動隊大将を務めて以降、秀長公とともに各地を転戦。藤堂高虎と同じく軍事・外交面で活躍し、紀伊・和泉で4万石の領主に。
・小堀政次(1540~1604) 
藤堂高虎と同じく、浅井長政家臣から天正2年(1573)浅井氏滅亡により秀長公が家臣に取り立てる。検地奉行として検地をリードし、財政面で秀長公を支えた。茶人・作庭家として名高い小堀政一(まさかず、別名遠州)は政次の長男。
・横浜良慶(一庵)(1550~1596) 
戦歴なしも、36歳にして秀長公より筆頭家老に抜擢された。秀長政権の財政面や寺社支配など内政面を担当し、家臣の中では最高の5万石を領した。
他にも有力家臣としては、家老の羽田正親(まさちか)や小川下野守(しもつけのかみ)の名があげられます。なお、秀長公亡き後の彼らの去就については、次回の最終回で触れます。

【恋愛物語】 禁断の恋を成就させた秀長公

 秀長公の正室は、まだ秀長公が兄秀吉とともに織田信長の直臣だった頃に結婚したと見られる慈雲院と呼ばれる女性ですが、ここで紹介するロマンスとは、後に側室に迎えたとも伝わる光秀尼との恋物語です。以下は、奈良市法蓮町の興福院にある説明版の内容です。
「法華寺を参詣した秀長公が、同寺の僧だった光秀尼を見初めて郡山城に連れ帰り、一夜を過ごしたのち寺に帰したといいます(1678年『奈良名所八重桜』の記述による)。法華寺にいられなくなった光秀尼は、興福院に身を寄せ、縁者の屋敷で娘を出産しました。これを知った秀長公は母子を城に迎え、光秀尼は僧侶から還俗して、側室「お藤」となったのです。」それは、天正16~17年(1588~9)の頃のことと思われます。秀長公の死後、お藤は菩提を弔うため2世藤譽光秀尼(とうよこうしゅうに)として興福院を継承します。
現在佐保丘陵にある興福院は、当時は尼ヶ辻駅の南東、現在の尼辻中町にありました。光秀尼は、1615年大阪夏の陣での豊臣家の滅亡を見届けた後、71歳で生涯を終えました。尼ヶ辻の旧興福院跡にある光秀尼の墓は、秀長公を思うかのように、郡山城のある南方を向いて立っています。また位牌は現在の興福院本堂で大切に祀られています。また、矢田寺大門坊には、光秀尼が秀長公の供養のために造立したと伝わる十三仏石像があります。

光秀尼の墓(旧興福院跡)
現在の興福院
十三仏石像(矢田寺)
【家族】 戦国の世で波乱万丈の人生を歩んだ豊臣一族

 秀長公には正室慈雲院との間に男子(与一郎)がいたとされますが、早世したため、丹羽長秀の三男・仙丸を養子に迎えていました。ところが、天正16年(1588)、兄秀吉から姉の智の子秀保を養子に迎え跡継ぎにせよとの命が下され、かわいがっていた仙丸を手放すことになりました。仙丸は家老の藤堂高虎が養子にもらい受けることとなり、仙丸は後に藤堂高吉として名張藤堂家の祖となり、93歳の長寿を全うしました。一方、秀長公の後継として新たに養子に迎え入れられた秀保は、秀長公のたっての願いにより、前述のロマンスのお相手のお藤(光秀尼)との間に生まれたお菊(これについては異説も有ります)と祝言を上げました。時に天正19年(1591)1月、秀長公が亡くなる半月前のことでした。
 秀吉は、天下人に上り詰める過程で、様々な形で一族に犠牲を強いてきました。天正14年(1586)、徳川家康との和睦工作として、妹の朝日は夫と離別させられ家康の正室となりました。70歳だった母なかも人質として家康に差し出されます。そして、秀長公亡き後には悲劇が続きます。それについては次回の最終回で触れます。

【健康問題】

 以上二回にわたり城主秀長公の6年間を振り返りましたが、この6年間は兄秀吉の天下統一(当時は天下一統と言った)のいわば総仕上げの期間、秀長公は郡山城主として城下の発展に力を注ぐ一方で、天正15年(1587)年の九州平定では豊臣軍最大の軍勢を率いて島津を圧倒し降伏に導き、家康はじめ、かつて敵だった有力大名相手にはおもてなし接待を繰り広げ、偉大なる名補佐役として豊臣政権誕生の最後の一押しに粉骨砕身の働きをしました。また、母なかをはじめ一族の良き相談相手・蝶番としての役割を担いながら、片や光秀尼との道ならぬ恋も成就させるなど、私生活においても忙しく濃厚な6年間でした。

 そのような超繁忙が祟ったのか、秀長公の体調は次第に悪化し、天正18年(1590)の北条氏の拠点小田原城攻めの際には、秀長公は郡山城で病床に伏し、その姿はありませんでした。同年には興福寺をはじめ、大和各地の寺社で平癒の祈祷が行われました。巷では、多武峰の藤原鎌足像と墓廟を天正16年(1588)に郡山城下(現在の地名が大職冠の場所)に遷座した祟りとの噂も囁かれたため、12月には鎌足像の多武峰への帰山が行われました。大職冠の地には、秀長公も見た樹齢500年の楠が今もそびえ立ちます。しかし、そうした方策もかなわず、秀長公は、小田原城陥落により兄秀吉の天下統一が達成されたのを見届けるようにして、翌年天正19年(1591)1月、51歳で波乱万丈の生涯を終えます。

大職冠に立つ樹齢500年の楠


第四回の最終回では、秀長公の死とその後の時代について、お話したいと思います。

(広報グループ:藤田道夫)

 3つの世界遺産に代表される、様々な文化・自然・民俗遺産を有する奈良県には「奈良国立博物館」「橿原考古学研究所附属博物館」を始めとする総合博物館や、「東大寺ミュージアム」「興福寺国宝館」など大きな寺院の収蔵展示施設がありますが、それ以外にも県内の各市町村には、その地域に存在する遺跡から発掘された出土品や、各地に伝わる民俗資料を展示する施設が数多く設置されています。それらの中には他では見ることのできない貴重なものもたくさん。それらをシリーズで少しずつ紹介していきたいと思います。まずは私の地元の生駒郡地域から。

【安堵町歴史民俗資料館】

生駒郡安堵町東安堵1322 入館料:大人220円 https://mus.ando-rekimin.jp/

今村邸を活用した資料館の表門
炊事と食事道具、左側はかまど

 安堵の今村家は江戸期以降代々庄屋を勤めた家系です。その一人、今村文吾(1808~1864)は私塾「晩翠堂」を開き、幕末の尊王攘夷運動の集団「天誅組」の志士“伴林光平(ともばやしみつひら)”と親交があったことで知られています。

 明治の廃藩置県で誕生した最初の奈良県は、1876(明治9)年に堺県に合併され名称が消滅。1881年にはその堺県も大阪府に合併されました。文吾の甥、今村勤三(1852~1924)は、堺県会議員、大阪府会議員を歴任し、大阪府の一部として軽視され、重税に苦しんでいた大和地域を復興するため私財を投じて“奈良県再設置運動”に尽力しました。数度の請願の却下を経て、1887(明治20)年奈良県設置が裁可されました。その後、勤三は初代奈良県会議長に就任し「奈良県の父」と呼ばれています。また、“奈良鉄道”(現在のJR奈良線・桜井線の前身)や“郡山紡績”(→大日本紡績→ユニチカ)の設立など実業家としても活躍しました。

 「安堵町歴史民俗資料館」は、この今村家から寄贈された、敷地・建物を活用し、改修・整備を経て1993年に開館しました。
館内では、”文吾””勤三”の肖像や、今村家ゆかりの資料をはじめ、地域の方々から寄贈された農具・民具など、貴重な民俗資料を多数展示しています。地域の暮らしや歴史を、具体的で身近な資料から学べるのが特徴です。

駕籠(東安堵・観音寺旧蔵)
水車(踏車)

見どころ

■ 灯芯ひき(町指定無形民俗文化財)

 安堵町の伝統技術である「灯芯ひき」に関する展示が充実しています。いぐさを用いて灯りの芯を作るこの技術は、寺社の灯明などにも用いられてきました。また、館では「灯芯ひき体験会」を始め、「わらぞうり作り体験会」「いぐさ植え見学会」「いぐさ刈り見学会」「いぐさ飾り作り体験会」などを定期的に開催しており、実際に体験できる点も魅力です。

https://www.town.ando.nara.jp/0000003966.html

灯芯引きの様子の再現

■ 天理軽便鉄道コーナー

 かつて「新法隆寺―安堵―平端―天理」を結んでいた天理軽便鉄道に関する展示も見どころのひとつです。復元模型、ジオラマ、関連資料などが展示され、地域の交通史をわかりやすく紹介しています。さらに、昭和20年に営業を終えた新法隆寺―平端間の最終運行日(2月11日)に合わせ、復元模型の運転会が毎年開催されています。

天理軽便鉄道を走った車両の模型とジオラマ
天理軽便鉄道で使われていた「レール」と「勾配票」

【斑鳩文化財センター】

生駒郡斑鳩町法隆寺西1-11-14 入館料無料(但し、特別展等で有料の場合あり) https://www.town.ikaruga.nara.jp/0000000145.html

概要「斑鳩文化財センター」は、世界遺産「法隆寺」の西側、そして未盗掘の横穴式石室から多数の装飾品が出土したことで知られる「藤ノ木古墳」の南側に位置する施設です。

立地を活かし、藤ノ木古墳を中心とした展示を通して、斑鳩地域の古代史や文化財をわかりやすく紹介しています。


展示の特徴

館の入口前には、藤ノ木古墳から出土した朱塗りの家形石棺のレプリカが設置されており、来館者を印象的に迎えます。

館内では、

  • 紹介映像が視聴できるホール
  • 横穴式古墳の羨道(せんどう)を再現した通路

を経て展示室へと進む構成になっており、古墳内部へ入るような体験ができるのが特徴です。

玄関前に置かれた藤ノ木古墳石棺のレプリカ
奥の展示室に続く石室の羨道をイメージした通路

主な展示内容

展示室では、

  • 蓋を開けた状態の石棺レプリカ
  • 石室内から出土した馬具
    など、藤ノ木古墳の出土品を中心に紹介しています。
開いた状態の石棺のレプリカ
中は、発見された時の状態が復元されています

なお、展示物は保存の観点からレプリカが中心で、国宝に指定された実物は橿原考古学研究所附属博物館に所蔵・展示されています。

藤ノ木古墳から出土した副葬品のレプリカ(時期により変わります)

ただし、期間限定で実物が公開される**「里帰り展」**が行われることもあり、貴重な機会となっています。


企画展・特別展

春と秋に開催される特別展では、藤ノ木古墳にとどまらず、

  • 斑鳩地域の古墳
  • 地域の歴史・文化財

などをテーマにした幅広い内容が取り上げられます。(途中です)

(広報グループ 小林誠一)

 今号より「奈良の自然を楽しむ!」と題し、広報グループメンバーを中心に、奈良の自然・情景を紹介していきます。

 第1回目は「奈良百遊山」の紹介です。「奈良百遊山」は、2003年に「健康づくり奈良百遊山」として選定された100の山々です。冊子も作成され推進されましたが、現在は、経年によるコース事情の変化(入山禁止の山もある)しているため、奈良県のHPからは冊子のダウンロードはできなくなっています。山の愛好家は、今でも達成をめざし山行されている方がたくさんおられます。

 そんな百遊山の中で、今回紹介するのは「古光山」、「こごうやま」と読みます。室生火山群に属する山で、標高953m。室生火山群と言えば、屏風岩、兜岳、鎧岳、倶留尊山に代表される奇岩を有する山々で有名です。古光山は室生火山群の中ではあまり知られないマイナーな山かもしれません。

古光山へのアプローチは、御杖村の御杖高原牧場そばの御杖斎場の登り口からのルートと曽爾村の曽爾高原からのアプローチの2つがあります。御杖村からのルートは登り始めからかなりの急登で、奇岩超えの連続です。お助けロープが何か所もあり、頂上まではかなり注意して登らないと危険です。これほど、急峻な山は奈良では珍しくちょっとした冒険ですが、頂上(古光山(南峰))にたどり着くと、そこには360度の眺望が広がる大パノラマが現れます。頂上を極めたものだけが見れる山望です。

岩場をロープ頼りによじ登る、超危険!超危険!

 古光山という名前には仏教的・神秘的な信仰の響きがあり、由来があるのであろうと、ちょっと調べてみると、やはり(1)神聖な場所としての尊(みこと)をそこに崇拝し、尊山(みことやま)という言い方の変化説(2)曽爾村周辺には、光にまつわる伝説や地名が多く残っていて、夕日に照らされた岩肌や、あるいはかつてこの山で何かが光ったという伝承から、**「古い光(あるいは黄金の光)」**という意味で名付けられたという説があるようです。

私も数多く山を登っていますが、信仰をバックに持つ山は結構多いです。まあ、急峻な山なので健康な方・体力に自信のある方にはおすすめする山です。

左から、屏風岩、兜岳、鎧岳

(広報グループ吉川和美)

松森重博著 歌集「大和しうるはし」

京阪奈情報教育出版 1800円+税

奈良まほろばソムリエの会会員(元理事)松森重博氏の第2歌集。

 2019年に上梓された第1歌集「大和まほろば」以降の6年間に詠まれた歌をまとめられています。
この時期には、2020年から始まった新型コロナウイルス感染症による世界的なパンデミック期を含みます。松森さんは、奈良市もちいどのセンター街にある「器まつもり」の店主でもあるため、コロナ禍の閑散とした商店街や市内の観光地の様子も読み込まれています。

「客少なく飲食店や商店街は休業する店次々出で来ぬ」
私も毎日の通勤途中で、シャッターが閉まり、人が歩いていないもちいどのセンター街を通っていましたが、この歌でどんな手記よりもまざまざとその頃を思い出しました。

「コロナ経て奈良公園にはようやくに修学旅行の生徒もどりぬ」
時間の経過とともに修学旅行生が戻り、活気が戻ってくる様子が感じられます。一瞬を切り取る歌の持つ力を十分に活かしています。
また、この間に松森さんが経験した恩師との別れや、ご親戚のことを詠まれた歌には、たとえその方を直接知らなくても、その場面をありありと思い描くことができます。

「奈良まほろばソムリエの会の広報の理事八年の務め終えたり」
「期待できる理事の後継現れてソムリエの会のあとを託しぬ」

こうしてバトンを渡されましたが、今もアドバイザーとして、広報グループを支えてくださっている松森さん。これからもお元気で、よい歌を作っていただきたいです。
奈良の風景や行事を詠んだ歌も秀作ぞろいです。皆さんもぜひ、この歌集を開いて、時間と空間を超えた旅に出てみてほしいと思います。

 (広報グループ:西橋奈穂)

 寄付金のお願いをいたしましたところ、会員の皆様からたくさんのご寄付をいただきました。誠に有難うございました。引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。
 なお、個人情報保護の観点からお名前の一部を非表示とさせていただいております。
○令和7年度寄付金受け入れ(敬称略、受付順)
鈴木(浩)、匿名希望、松浦(文)、生井澤(則)、鉄田(憲)、森本(泰)、松浦(富)、古谷(真)、豊田(敏)、大山(惠)、工藤(路)
○令和7年度の寄付金受け入れは合計 11名 336,000円となりました。

 6月に入り梅雨の中、雨に濡れた緑の風景が活き活きとした表情を現わしています。新しい命の誕生を感じる季節です。6月6日、ユネスコの諮問機関(イコモス)が「飛鳥・藤原の宮都」を世界文化遺産に登録勧告したと文化庁が発表しました。7月19日から韓国・釜山で開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式に決定する見込みで、登録されれば、国内の世界文化遺産は22件目、奈良県では国内トップの4件目となります。我々ソムリエの会としても大変うれしいことです。広報としても会報紙で「魅力ある飛鳥・藤原」シリーズを掲載してきたことで、少しは皆様方の関心を引き寄せたかもしれません。世界文化遺産に正式に登録が決まったあかつきには会としても大いにお祝いしましょう。
 この6月14日に令和8年度の通常総会も終了し、退任理事2人の貢献に感謝し、新任理事5人を迎えての新しい体制がスタートしました。ソムリエの会も設立16年目に入り、会員の皆様への満足度を高め、対外的にも広く深く活動を活性化していきたいと思います。広報もこれに見合う活動を実施すべく日々努力しておりますが、なんせ、活動部員数が少なく会員の皆様方の積極的なお助けに寄るところが大きくなっています。今後ともよろしくお願いします。

(広報グループ吉川和美)

(広報グループ編集者)礒兼・井原・風間・佳山・窪田・小林(誠)・阪本・島田・中村・西橋・野原・廣岡・福岡・二上・藤崎(俊)・藤田・松原・松森・吉川

                夏の花 ノウゼンカズラ in 馬見丘陵公園