WEBソムリエの風

45号 令和6年(2024年)10月1日

目次

今年の奈良は、秋の彼岸の入り(9/16)になっても、最高気温が30℃を超える真夏日が続きました。「おかしいな、暑さ寒さも彼岸までというのに」と不満に思っていましたが、彼岸の中日(9/22の秋分の日)になって、やっと最高気温が29℃に下がり、秋の到来を感じることができました。


「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と申しますが、ヒガンバナは今年も彼岸に合わせて咲きました(写真は2021.9.22撮影)。全く、大自然の摂理には驚かされます。
当会は9月に入ってからも活発な活動が続き、また10月以降も、様々な活動を予定しています。なお毎日新聞に好評連載中の「やまとの神さま」は、この10月から、掲載日が水曜日に変更されますので、ご注意ください。以下、当会の主な活動を紹介いたします(専務理事 鉄田憲男)。

パリオリンピック開催記念「シャンソンの夕べ」

2024年11月9日(日)奈良ロイヤルホテルで、今年開催されたパリ五輪にちなんで、「シャンソンの夕べ」を開催します。シャンソン歌手のSARAH(さら)さんと、ギタリストの田村太一さんにご出演いただきます。お2人は「SARAH-DA(サラダ)」というユニットを組んでおられ、「ムジークフェストなら 2023」にも出演されました。


本番を控えた9/6(金)、大阪府豊中市で開催されたライブを見に行きました(この日の伴奏は、別の方によるピアノでした)。SARAHさん(向かって左)の美しい歌声と楽しいトークを堪能してまいりました。たくさんのお申し込みをお待ちしています!

「ヒメヒコ制」の終焉


9/8(日)、南都銀行西大寺銀行クラブで、恒例の「サロン・ド・ソムリエ」を開催しました。今回の講演会の講師は梅田加都さんで、演題は〈「ヒメヒコ制」の終焉~倭姫命はなぜヤマトを旅立ったのか~〉でした。記紀などの文献資料に基づき、ヒメヒコ制の実例や倭姫命の巡幸について、詳しく楽しくお話しいただきました。講演会には19人、懇親会には18人の方にご参加いただきました。次回は11/4(月・祝)、森本泰広さんによる「當麻曼荼羅を読み解く」を予定しています。ぜひ、お申し込みください!

講師養成講座2024


9/21(土)、恒例の講師養成講座を南都銀行西大寺銀行クラブで開催しました。ご参加者は15人。藤永理事の冒頭挨拶のあと、メイン講師の柏尾理事から「パワポを使った講演ノウハウ」のお話、そのあと鉄田から講演の実例として「桜の吉野山~なぜ全山桜の山になったのか~」をお話しいたしました。たくさんのご質問もいただき、充実した時間となりました。ご出席いただいた皆さんには、来年度の「奈良シニア大学」などの講師として、ご活躍いただきたいと思います。

啓発サークル「自主勉強会」が再開


担当理事の急逝により活動を休止していました啓発サークルの「自主勉強会」が、10月から活動を再開します。「飛鳥・藤原」の世界文化遺産国内候補推薦を記念して10/27(日)と11/23(土・祝)、明日香村教育委員会の西光慎治(さいこう・しんじ)さんをお招きして、飛鳥を語っていただきます。9/23(月・休)にメールでこの講座の募集をかけたところ、たちまち満席になりました。


なお啓発サークルの「奈良のうまいものを極める会」と「酒蔵見学」も、本年度下期以降に再開することとして準備しています。今年度の新会員である葛本雅則さん(写真向かって左端)と今中奈穂さん(右から2番目)に担当をお願いして、企画を練っていただいています。写真は、初回の打合せ時(9/21)に撮影しました。

挽き茶体験会(橿原市中曽司町)

茶葉を石臼で挽き、塩を加えて茶筅で混ぜる

NPO法人「奈良の食文化研究会」の企画で、昨年に引き続き今年も9/29(日)、橿原市中曽司(なかぞし)町で「中曽司の挽(ひ)き茶体験会」が開催されました。今回は鉄田に講演のご依頼をいただき、「国のはじまり、食文化のはじまり」と題して、60分のお話をさせていただきました。講演のあとは、おいしい挽き茶(ほうじ茶および緑茶の抹茶)と茶の子(茶菓子、おかず)をいただきました。ゲストにお招きした橿原市の亀田忠彦市長は、「橿原市が誇る食文化として、挽き茶を市長応接室でお出しすることを準備しています」とお話しになりました。

お茶にきりこ(あられ)をトッピングし、茶の子(おかず)を添えて、おいしくいただいた

「ゆうドキッ!」にご注目を!

奈良テレビ放送の「ゆうドキッ!」木曜日の「推しナラ」コーナーに、当会会員が交代で出演しています。この10月で、放送もはや6年目を迎えました。奈良の「食」「お出かけ情報」「雑学」のジャンルで、ヨソでは聞けない奈良まほろばソムリエならではの情報を提供しています。

飛鳥・藤原検定の要点整理

「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定が2023年度にはじまり、本年12月には第2回試験(初級編および中級編)が実施されます。この試験の受検者のお役に立てるよう、鉄田は公式テキストを要約した「飛鳥・藤原検定の要点整理」(初級編・中級編受検者向け)を個人ブログ「どっぷり!奈良漬」に順次アップしています。12月までには連載を終える予定で、出そろえば、当会ホームページにも掲載する予定です(無料でダウンロードできます)。受検をお考えの方は、ぜひお役立てください。

MYウォーク 吉野川分水を歩く④-1

コースD 東部幹線水路と最古の道 山の辺の道コース 前半

12月も半ばというに、寒くもなく、頬うつ風は冬の陽光で柔らかく穏やかなウォーキングであった。Dコースは全行程20.7Km5時間15分のコースであるが、前半と後半に分けてコースを組んでくれている。もちろん、一日で歩いてもいいが冬場は日の暮れるのも早くここは半分に分けてウォークすることにした。この東部幹線水路コースは、山の辺の道ウォークがベースであり途中分水施設へ寄り道するといった経路を取る。山間の分水であり水路は安全性やゴミの落下を防ぐため、ほとんどが地中であり、日の目を見ても蓋がしてある。分水のすごい施設はない。しかし、山の辺の道に近い平野部を流れているだけに、名所旧跡・文化財を多く目にすることができるし、大和平野の眺望を楽しめる。
桜井駅からスタートし、山の辺の道おなじみの「馬出橋」、「仏教伝来の地碑」、「金谷の石仏」、「平等寺」、「大神神社」を経由して、茅原サイホンを目指す。途中、ほとんどの人が見逃すが、是非「磯城瑞籠宮跡伝承地」(崇神天皇の宮跡)に寄ってもらいたい。同場所にあるのが「志貴御県坐神社」で古代王朝が偲ばれる歴史の地である。

磯城瑞籠宮跡伝承地

八大龍王神社の道標を過ぎたあたりで、山の辺の道を西にそれる、やがて着くのが今回初めての分水施設「茅原サイホン」。ここを後にして、再度東へ道を取り、山の辺の道に戻り、「玄實庵」経由「桧原神社」へ向かう。このルートによくパンフレットにでてくる「山邊道」の道標がある。

山邊道道標

桧原神社で行程半分だろうか。ここで山の辺の道からは外れ、「桧原わらべ花の道(水森かおりのデビュー20周年記念碑あり)」を経由すると吉野川分水に出くわす。分水は久々に地下から日の目を見るのであるが、蓋がしてあり、水流は見えない(もっともこの時期は水は流れていないが)。ここから分水は北へ一直線に伸びるが、ほとんど地下である。ウォークはこの分水に沿って歩く。途中纏向川サイホン確認後、景行天皇陵の側を通り、西門川分水工を目指す。この分水工、均等に分水しているのではなく、西側3,北側7ぐらいの分水になっている。

西門川分水工

分水工を後にして、崇神天皇陵を経由して柳本駅向かう。今回のコース、分水施設は3か所しかなかったが、途中の文化財の見どころも多くその分時間を食ってしまう。
パンフレットは10.2Km 2時間35分である。

今回の工程  11.1Km 2時間52分。 (2023年12月13日のウォーク MAPは10.2Km 2時間35分)(広報 吉川和美)

一刀彫に挑戦

奈良観光協会発行の「ならり」をパラパラと捲っていると、「一刀彫体験」の文字が目に飛び込んできた。
奈良を巡っていると、どうしても寺社は外せなく、寺社を巡っていると仏像に行き当たる。やはり仏像に興味を持ち、そうなると、仏像を自ら彫り出してみたくなる。そんなところから木彫りに興味を持ち,一刀彫とは?となる流れは必然であった。「一刀彫…木彫刀で荒いタッチを生かしてつくる木彫り細工。一刀で刻み上げたような味がありこの名がついた。小形の作品で、発生は鎌倉時代という。現在は観光地の土産品などにみられる。」(コトバンク抜粋)

これは是非体験せねばなるまい。
一人3800円。すぐに申し込んだ。

奈良ソムリエ試験でも度々出題される一刀彫。決して一刀で彫るものではないことは勉強済みである。

一刀彫の鹿・鹿・鹿

日時
7月28日 13時〜16時
場所
なら工藝館
講師は奈良一刀彫職人の平井和希さん
どうやら、体験として鹿を彫るとのこと
参加人数は11名
男女比率6:5
平均年齢は58ぐらいか

皆の集まりは良く、定刻より5分ほど早めに始まった
まずは平井先生による一刀彫の説明
・一刀彫の起こりは春日大社の祭礼「おんまつり」の田楽に用いられた神事用の人形であること。
・神様にお供えする人形なので、極力人の手を加えず、清浄な状態にしたいので、シンプルに一刀で彫ったかのような見た目であること。
・『一刀彫』と呼ばれるようになったのは、明治に入ってからのとのこと。
・木には順目と逆目があり、どちらから彫り出せば綺麗に削れるか、などなど。先生の話し方はぶっきらぼうな感じではあるが、多分、不慣れな感じなのだろう質問すれば丁寧に返ってくる
今までは中学生相手の体験しかやっていなかったらしく。大人向けの体験は今回初めてだそうな。きっとこれから内容などは洗練されていくのだろう。一通り説明が終わり、いよいよ実技となる。
まずは大きな木材を鑿と木槌で成形体験。
参加者が順番に専用の台の上にある木材に鑿をいれる。手を叩かないように気をつけて、ガンガン鑿を叩く。慣れてくればストレス解消にもなりそうだ。
続いて、いよいよ鹿の掘り出しである。みんな初心者で時間も限られている。ある程度成形してもらっている木材が手渡され、それを見本に倣って彫り出す。まずは先生による実演。みんなが見てる中、先生はスパスパと掘り出している。見てる分には簡単そうだ。さて、実践。
ありゃ、やっぱり上手く削れない。表面を真っ直ぐ削ろうにも、途中で止まってしまう。深く刃が入りすぎると木材が割れてしまう。やはり先生のようにはいかない。木材は綺麗に彫れば断面がツルツルになる。面を削り、出来るだけ荒々しい感じも残したい。面は平らに削りたいが湾曲するし、角角を丸く削れば一刀彫らしさがなくなる。うーん…
参加者もみんな同じような感じのようで、先生が回りながら指導や修正などしてくれた。先生が手直しした部分だけが美しい。
とかなんとか、1時間ほど削って木彫り体験は終了。彫刻刀にも少し慣れてきた頃合い。まだまだ続けたい気持ちもあるが、制限時間だ。まぁちょっとは見本に近づいたかな。定刻通りの16時に怪我なく無事に全体験が終了。
先生に挨拶して、なら工藝館をあとにした。

一刀彫、奮戦中

まずまず楽しい体験であった。一刀彫を見る目が変わりそうだ。なかなか愛らしい鹿である。作った鹿は持ち帰りOKであり、リュックに入っている。まだ完成していない。一刀彫には彩色もある。
彫刻刀と絵の具をメルカリで買わねばなるまい。
帰り電車の中でメルカリを検索をし、彫刻刀と絵の具の購入ボタンをタップした。(広報 東宏行)

11月10日 行基さん大感謝祭

『行基生誕1356年記念シンポジウム』の受付が開始されました!!

行基さん大感謝祭当日に開催する「地域連携セミナー」と「行基さん講演会」の申込受付を開始しました。各プログラムの詳細および申し込みは以下の一般社団法人近畿建設協会のホームページからお願いします。無料です。

『行基生誕1356年記念シンポジウム』|近畿建設協会からのお知らせ

近畿建設協会からの募集・開催 に関する『行基生誕1356年記念シンポジウム』 のお知らせです。

【日時】

2024年11月10日(日)

10:00~15:00(受付開始9:30~)

【第一部】 地域連携セミナー 10:00~11:30

【第二部】 行基さん講演会  12:30~15:00

【会場】

奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター 関野ホール 【重要文化財】

※会場内は土足禁止となっており、入り口にて簡易スリッパと靴袋をお渡しいたします。

〒630-8213 奈良県奈良市登大路町50番地

TEL 050-5542-8600

行基さん大感謝祭のホームページです。トップページ | 行基さん大感謝祭 (gyoki.jp)

(広報 松森重博)

気が付いたら、ならまち遊歩のイベント部長就任

~奈良まほろばソムリエは何でもやりまっせ!~

ならまち遊歩ー夜の猿沢池

「ならまち遊歩」は観光客が少ない夏の終わりに、猿沢池やならまちの町家に提灯を吊るし、街の散策や飲食店への集客を促すために、県と市と地元が連携し2017年に始まった行事です。私は、翌年の2018年から「ならまちナイトツアー」の企画運営に携わることになりました。

ナイトツアー

普通のガイドではなく夜の街をそぞろ歩くツアーなので、歴史やご由緒を軽く説明するように心がけ「ならまちの不思議伝説」にスポットをあて、「へぇー、ほんまかいなぁ~⁈」と楽しく歩けるコースを作成し、ガイド部会のメンバーにガイドをお願いしました。お化けが出たら面白いかもと思い、お化けを仕込みお客様の叫び声に「やった!」と一人でにんまり。奈良テレビ「ゆうドキッ!」やNHK「奈良ナビ」が取材に来てくださったこともあります。「ならまちナイトツアー」担当で参加したはずでしたが、翌年から、年明けの会議に呼ばれるようになり、気が付いたらイベント部長に就任していました(笑)

クイズラリー

夜だけではなく、昼間にお客様の周遊を促すために「クイズラリー」をすることになり、そのクイズを考えるのも私のお役目。初回は奈良まほろばソムリエ検定を参考にクイズを考えましたが、翌年からは子ども達も楽しめるようにと、「動物クイズ」や暑さをしのげる「なら工藝館」の問題を盛り込み、少しずつバージョンアップしていく「ならまち遊歩」と私です。

狐の行列

 今年はコロナで中断していた「狐の行列」が5年ぶりに再開されました。狐に扮するのは本物のご夫婦。猿沢池から人力車に乗って、仲睦まじくならまちの御霊神社にお参りされました。行列に参加するアンバサダーとコスプレイヤーを誘導するのは実行委員の仕事。私も警棒を持って大きな声で注意を促しながら歩きました。ガイドで鍛えた誘導技術と大きな声。アンバサダーたちに「的確な警備」とお褒めの言葉をいただきました。

猿沢池入水体験ー長靴を履いた猫、いや友松

 猿沢池の提灯は電動で点灯するとお思いの方がいらっしゃるようですが、実は胴付長靴を履き池の中に入って、一つ一つ提灯の中に電球をセットしていきます。前から猿沢池の中に入りたかった私は一度点灯役をさせてもらいました。すごく楽しかったのですが、県の職員さんが転ばないようにと、ものすごく気を遣ってくださるので、迷惑をかけてはいけないと思い、今はおとなしく池の外から若い人たちを見守っています。

アンバサダーと

「ならまち遊歩」に関わって7年。要望に応えるために自転車操業で頑張ってきました。遊歩を通してたくさんの方々と素敵な御縁を結ぶことができました。今は「やってて良かった。ならまち遊歩!」と思っています。(ガイドG&ソムリエンヌ 友松洋之子)

 橿原市の「歴史に憩う橿原市博物館」のすぐ近くに「新沢千塚古墳群」があります。橿原市の南部で、厳密には飛鳥ではありませんが、広い意味での飛鳥地域にあたります。この古墳群の成立は4世紀~7世紀で、飛鳥時代(6世紀末~8世紀初頭)よりも古くから築成されていました。
 『魅力ある飛鳥・藤原』では飛鳥・藤原地域の魅力を、飛鳥時代よりも前=「前飛鳥時代」、「飛鳥時代前半」「飛鳥時代後半」「飛鳥時代以降」と時代別に分けてご紹介する予定です。 第一回は、飛鳥時代より前、つまり「前飛鳥時代」の飛鳥・藤原をご紹介します。

(1)飛鳥の形成

 4世紀頃、応神天皇の時代に大陸から渡ってきた集団がいました。集団のリーダーの「阿知使主」が檜隈に居地を与えられました。檜隈は狭義の飛鳥ではありませんが、飛鳥を囲う丘陵地帯にあたります。有力な渡来系氏族の「東漢氏」はその阿知使主を祖としており、檜隈は東漢氏の本貫地となりました。また、4世紀辺りから数多くの渡来系墳墓が築かれています。前述した「新沢千塚古墳群」もその渡来系の墳墓群で、中でも126号墳からは「火熨斗=アイロン」や「ガラス皿」「金の指輪」など技術・文化の高さを感じられる多くの出土品がありました。このように高度な技術集団が4世紀から飛鳥近傍で文明生活を営んでいたのです。
 そして、その高度な技術集団を利用したのが、同じ高市郡の豪族・・・蘇我氏でした。蘇我氏には蘇我韓子、蘇我高麗などいかにも大陸を象徴したような名前を持つ人物がいました。蘇我高麗「高麗(コマ=駒)」の名の通り、蘇我氏は「兵馬」を使いこなす一族でした。その蘇我氏は「東漢氏」を用いることで、文化・技術を高め、蘇我稲目や蘇我馬子が天皇に娘を嫁がせるなどして、急速に勢力を伸ばしていきました。
 

新沢千塚古墳群のすぐ近くにある 橿原市立「歴史に憩う博物館」
新沢千塚古墳の126号墳
「阿知使主」が主祭神の「於美阿志神社」

(飛鳥が政治の中心となっていく流れ)

 1⃣明日香村にある檜前(檜隈)は阿知使主を祖とする東漢氏などの渡来系ハイテク集団が暮らす里になりました。                   
 2⃣蘇我氏が渡来系氏族東漢氏を用いて「飛鳥周辺」を政治的、文化的に、地ならしを行いました。
 3⃣蘇我氏が地ならしを済ませた「文化・技術の地=飛鳥」に大王(天皇)家を招聘していきます。          
 4⃣大王(天皇)家と蘇我氏が徐々にタッグを組んで「飛鳥時代」が始まりました。

(2)前飛鳥時代の古墳

 ①四条古墳群:古墳時代中期前半~後期前半の100年ほどの間に小規模から中規模の古墳が造営されています。
  墳形は円墳、方墳、帆立貝式古墳などの多様な古墳群ですが、藤原京造営のために多く削平されました。
 ②新沢千塚古墳群:総数600基以上の群集墳。中でも5世紀中頃に築かれたと思われる126号墳の出土物は重要文化財として東京国立博物館に収蔵されています。
 ③五条野丸山古墳:全長318m…奈良県内最大の前方後円墳です。羨道の長さは20.1mで全国最大規模を誇ります。6世紀後半の築造で、被葬者としては蘇我蝦夷や欽明天皇の名があがっています。家形石棺が2基L字に置かれています。 
 ④梅山古墳(欽明天皇陵):全長140mの三段築成の前方後円墳。6世紀後半の築造で、宮内庁が檜隈坂合陵と治定し欽明天皇陵として管理しています。
 ⑤都塚古墳:別名「金鳥塚」とも呼ばれ、41m×42mの多段築成方墳です。6世紀後半築造。
 ⑥真弓鑵子塚古墳:牽牛子塚古墳の西南の麓にある6世紀後半の古墳。ドーム状の石室で、ミニチュア炊飯具(土師器)なども出土していますので、渡来氏族の古墳と思われます。(現在閉鎖されていますので石室の見学はできません)

梅山古墳・・・欽明天皇陵(檜隈坂合陵として宮内庁治定)
金鳥塚として知られる都塚古墳(ピラミッド型の古墳)

飛鳥時代に造られた古墳は「終末期」にあたりますが、それ以前に造成された古墳は古墳時代から飛鳥時代へと変貌する様子を見ることができます。大きな前方後円墳や群集墳、またピラミッド型の古墳など特徴のある古墳を時代順に巡るのも飛鳥散策の魅力です。
また藤原宮の造成時に多くの古墳が削平、消失しています。藤原宮散策の時には、古墳を破壊してまで造成された「都」造りの偉業を想像するのも面白いと思います。

(3)前飛鳥時代の飛鳥・藤原地域にあった皇居跡

飛鳥時代の始まりは、推古天皇の「豊浦宮」と言われています。しかし、この飛鳥・藤原地域には「豊浦宮」よりも古い皇居跡、つまり飛鳥時代より前の皇居跡伝承地が多くあります。
①初代:神武天皇(橿原宮)
②第4代:懿徳天皇(軽曲峡宮)
③第8代:孝元天皇(軽境原宮)
④第15代:応神天皇(軽島豊明宮)
⑤第19代:允恭天皇(遠飛鳥宮)
⑥第23代顕宗天皇(近飛鳥八釣宮)
この他に、飛鳥・藤原にほど近い「磐余(橿原市~桜井市辺り)」には 
⑦第17代:履中天皇(磐余稚桜宮)
⑧第22代:清寧天皇(磐余甕栗宮)
⑨第26代:継体天皇(磐余玉穂宮)
⑩第31代:用明天皇(磐余池辺雙槻宮)などの宮が飛鳥時代以前に造られています。
伝承地として不確かな宮も含まれてはいますが、古くからこの地に多くの宮が造られたのは確かだと思います。中でも第19代の允恭天皇に関しては、飛鳥甘樫丘で盟神探湯を行ったことで知られています。この盟神探湯は熱湯に手を入れて罪を問う…一種の裁判ですが、甘樫丘の麓にある甘樫坐神社で毎年4月に盟神探湯神事が行われています。

甘樫坐神社にある「盟神探湯(くがたち)」の説明版
明日香村八釣にある「弘計皇子神社」・・・第23代顕宗天皇の近飛鳥八釣宮の宮跡ともいわれている

(4)飛鳥の神奈備山

飛鳥坐神社は、平安時代に飛鳥の神奈備から現在の鳥形山に遷座されました。その「飛鳥の神奈備」とは、八十万の神々を天の高市に呼び寄せたところとのこと。
①雷説
②甘樫丘説
③岡寺山節
④ミハ山説
⑤天神山説
⑥南淵山説
「飛鳥の神奈備」は、このように主に6つの説が挙げられています。どれが本当の神奈備かなどの言及は避けたいと思いますが、どの山も飛鳥の美しい景観を形づくり、それぞれ飛鳥に関りのある神話や伝承を紡いでいます。それぞれの山を眺めながら「神奈備山」のいろんな説を確認して、伝承を模索することで、神話時代の魅力ある飛鳥散策を楽しむのもいかがでしょうか。

①雷丘(現在の山田道を西進する車上から。右に畝傍山と二上山の遠景、左に甘樫丘と葛城山の遠景)
②甘樫丘(入鹿の首塚から甘樫丘を望む)

 

③岡寺山(藤本山と岡寺山を万葉文化館から望む)
④ミハ山(祝戸荘辺り)
⑤天神山(酒船石遺跡のある丘陵辺り)
南渕山(棚田辺りの農面道路から)
⑥南渕山(農面道路から)

第2回 飛鳥・藤原検定(飛鳥・藤原まるごと博物館検定)

飛鳥・藤原の魅力・・・「神話」「伝承」~古墳時代の飛鳥成立以前の飛鳥にも魅力がたくさんあります。神話や伝承を調べ、飛鳥時代とは違った魅力や飛鳥時代に至る経緯などを思い浮かべながら、自然いっぱいの飛鳥・藤原散策するのはとても楽しいものです。

 9月9日の重陽の節句の日に、文化審議会世界文化遺産部会が「飛鳥・藤原」を世界遺産候補として推薦することを決定しました。
資産名称は「飛鳥・藤原藤原の宮都(Ancient Capitals of Asuka and Fujiwara)」です。現在日本には文化遺産21件、自然遺産5件の計26件の世界遺産が登録されています。「飛鳥・藤原」は、 次の27番目の世界遺産登録を目指しています。その登録に向けて、多くの方々に飛鳥・藤原への関心、興味、理解を深めていくために「飛鳥・藤原検定」を行っています。第1回は2月に実施しましたが、第2回は少し時期を早めて12月14日(土)に行います。
今回は、①飛鳥・藤原会場(橿原市商工会館)②奈良会場(帝塚山大学東生駒キャンパス)③東京会場(一般財団法人公園財団)の3ヶ所が検定会場となっています。
お申込みおよび詳細は https://www.asukabito.or.jp/certification_3.html をご覧ください。

(広報 福岡康浩)   

「大和川」を渡る鉄道

「こもりくの初瀬」に源を発し、奈良盆地に降り注いだ雨を集めて、龍田・亀の瀬を経て、大阪平野に流れ出る「大和川」。そのため、盆地内のあちこちで、鉄道は大和川を橋梁で渡ります。それぞれの橋には様々な特徴や、成り立ち、風景があります。今回はこれらの橋梁をすべて(?)紹介します。

まずは「JR大和路線」に架かる橋梁。蛇行する大和川に沿って走る大和路線は法隆寺‐高井田の間でなんと6回も大和川を渡ります。法隆寺‐王寺間の「第一大和川橋梁」から河内堅上‐高井田間の「第六」まで、その内「第四」以降は大阪府の所在ですが今回併せて紹介します。ところでなぜ、奈良側から順番に番号がついているのか? 年配の方ならご存じだと思いますが「大和路線」の正式名称は国鉄時代につけられた「関西本線」。名古屋とJR難波(旧駅名:湊町)を結びます。国鉄時代からのルールで路線は基本的に「東京駅」に近いほうが”起点”となり、関西本線も起点は名古屋、終点はJR難波なので、起点に近いほうから「第一」~「第六」となります。(参考までに三郷‐河内堅上間の3つのトンネルは三郷側から「第一~第三明神山トンネル」です)

これらの橋梁はそれぞれ個性的な姿で、架けられた由来も様々です。

まず「第一大和川橋梁」。「法隆寺」-「王寺」の中間に位置します。形状はよく見かける「プレートガーター(板状の鉄板の桁で支える)橋」です。車窓から上流側(奈良に向かって右側)を見ると「潜水橋」(沈下橋)が見えます。その名の通り増水時は水の下に沈みますが流木などの障害物が引っかかる欄干がないため、崩壊する危険は少ないという特徴があります。この狭い橋を地元の人は車で楽々と渡ります。また、この付近から、奈良に向かう左の車窓に目を凝らしてみると、遠くに世界遺産「法隆寺」の伽藍が望めます。

第一大和川橋梁と潜水橋 バックは生駒山
第一大和川橋梁から北側に見える法隆寺五重塔

「王寺」を大阪方面に出てすぐに渡るのが「第二大和川橋梁」。これもプレートガーター橋ですが「第一」と違い下路式(線路がプレートの下側にある)なので、車両の足回り部分は隠れますので「撮り鉄」は注意。春には周辺の河川敷に地元の園児が模様を描いた「鯉のぼり」が泳ぎます。

第二大和川橋梁 バックは王寺町・三郷町の街並み
こどもの日の前後には、橋の両側に鯉のぼりが泳ぎます

「三郷」を出てすぐ、左に大きくカーブしながら渡るのが「第三大和川橋梁」。このあと紹介する「第四」と併せて「土木学会選奨土木遺産」に指定されています。

(土木学会選奨土木遺産のページ) https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/1064

選定理由は「大規模な地すべり地を迂回するために特異な架構形態を採用した希少な鉄道構造物」です。大和川の北側を通っていた旧線のトンネルが、北岸の”亀の瀬”地区で発生した地すべりにより崩壊したため、昭和7年、急遽対岸の南側に線路を付け替えることになりました。通常、橋は長さを短くするため、できるだけ川と直角に近い角度で架けますが、無理やりに地すべり地帯を避けようと、急カーブして大和川を跨ぐため、「第三・第四」とも川に対して浅い角度で架けざるを得ず、そのための工夫と苦労が見て取れます。

(国交省 大和川河川事務所 亀の瀬) https://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/guide/landslide/about/index.html

「第三」は下の写真のように、上辺が「曲線」の「直線」の2種類の形の違う「トラス」(三角形を組み合わせた構造)を持つ橋です。斜めに設置しているため、真上から見ると長方形ではなく「平行四辺形」になっています。このうち河内堅上側の曲線のものが昭和7年の線路付替当時のもの、三郷側の直線のものは昭和61年にそれまでのプレートガーター橋から架け替え変更されたものです。

2種類のトラスが珍しい第三大和川橋梁 左が三郷側
北側の山腹から望む 奥は奈良盆地

「第三橋梁」で大和川の南に渡り、「第一~第三明神山トンネル」を抜けてすぐ、もう一度、川の北側に戻るために架けられたのが「第四大和川橋梁」。これこそ非常にユニークな構造をもった鉄橋で、私が最も好きな橋梁です。

「第三」を過ぎると奈良と大阪を隔てる峡谷に入り、両側から山が迫ります。川幅は狭くなりますが「亀の瀬」と呼ばれるように流れは急で川の中間に橋脚を立てるのは困難。そこで川に対して斜めに架橋するための手段として、まず、川と直角に「トラス橋」を架ける。長さが短いため途中に橋脚は不要。次に、そのトラスの上に斜めに、プレートガーター橋をのせるという構造です。(参考文献:「鉄橋物語 日本の歴史的鉄道橋梁を訪ねて」・「鉄道ジャーナル2009年12月号」 鉄道ジャーナル社)

紅葉の第四大和川橋梁 上流(三郷)側から
第四橋梁の橋脚に設置された「土木学会選奨 土木遺産」のプレート
緑に映える201系ももうすぐ見納め
明神山展望台からの第四橋梁 土木遺産のプレートはこの下をくぐる道横の橋脚に設置

さらに進み、「河内堅上」を過ぎると蛇行する大和川を縫うように、「第五大和川橋梁」-芝山トンネル-「第六大和川橋梁」 と続きます。どちらも下り(大阪方面行)が新しいコンクリート橋、上り(奈良方面行)が古いプレートガーター橋です。車窓から目を凝らすと、現在の「芝山トンネル」の横に古いレンガ造りの旧トンネル入口が見えるので、下り線はトンネルの付替え時に架け替えられたのかもしれません。

第五大和川橋梁 列車は「JR難波」行 
第六大和川橋梁 列車は大阪行 大和路快速

もちろん「大和路線」以外の鉄道も大和川を渡ります。まずは「近鉄生駒線」、「東山」以南が単線(線路が上下線共用の1線だけの線路、正確には萩の台-南生駒間も単線)の生駒線は「王寺」を出ると北にカーブし大和川を渡ります。渡りきったところにある駅が、かつて信貴山に登るケーブルカー「東信貴鋼索線」が発着していた「信貴山下」。駅前には当時のケーブルカーの車両が保存されています。(車内にも入れます)この橋の構造は何の変哲もない”プレートガーター橋”ですが、近づいて見ると、なんと「複線用」のコンクリートの橋脚がずらりと並んでいます。将来の利用客増加を見越して準備したものでしょうが、その日はなかなか来そうにありません。これ以外にも、近鉄生駒線の王寺付近には、複線化に対応できる設備があちこちに見受けられるので探してみてはいかがでしょうか。

複線化に対応できる橋脚が並びます 正面の山は信貴山
この周辺の河川敷には春には菜の花が多く咲きます

王寺付近を過ぎると大和川は、佐保川、飛鳥川など多数の支流を分けながら、奈良盆地を南東に向かって遡ります。次に渡る鉄道は盆地を南北に走る「近鉄橿原線」。「結崎」の北側で大和川を渡ります。この付近はまだ水量も豊かで、ゆったりとした流れですが過去には氾濫し水害をもたらしたことも・・・流域では現在も治水事業が行われています。

生駒山をバックに、橿原線 橿原神宮前行の急行
近鉄特急も頻繁に行き交います

奈良盆地の南東に近づくと、大和側の川幅もずいぶん狭くなります。次に渡るのは「JR万葉まほろば線」。「三輪」の南側で三輪山をバックに2両編成がのんびりと大和川を渡ります。この付近は「山の辺の道」や「仏教伝来の地」の碑の近くですが、この橋のすぐ南には中和幹線の大きな高架橋が迫り、ずいぶん風景も変わりました。

大神神社のご神体の三輪山をバックに、右が桜井方面

万葉まほろば線の鉄橋を最後に、あとは長谷寺方面の源流域へ遡るだけ。と思っていたのですが、マップを見ていると、なんと「近鉄大阪線」が大和朝倉の東側で、蛇行する大和川を2回渡っていることを発見!! これは知らなかったけど、「すべて」の為には載せなければと思い撮影してきました。ここまでくると小川のような流れで、そうと言われないとこれが「大和川」だとは気づかないでしょう。

大和朝倉の東側 1つ目の鉄橋 大きな岩や瀬もあります
2つ目の鉄橋 大和川も小川並みの水量

                                                  (広報 小林誠一)

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以上

中秋が過ぎても夏日と言われる日が続き、お彼岸が過ぎてようやく朝夕秋めいてきましたが、季節感がすっかりなくなってきている日本です。アパレルメーカーが今年四季から五季の提案をしました。
提案内容は春:3月~4月 初夏・盛夏:5月~7月 猛暑:8月~9月 秋:10月~11月冬:12月~2月 この五季の考え方は新しいものではなく、昔からありました。
その時の五季は春:3月~5月初夏:6月(梅雨入り前の穏やかな季節)長夏:7月~8月(梅雨入り後の季節)秋:9月~11月冬:12月~2月だそうです。
生活に密着した細分で、日常生活に影響したんでしょう。今提案のアパレルメーカーの場合は、細かい季節分けの対応した商品展開をしようということですね。
我々ソムリエの会がかかわってきている保存継承活動にもこの季節感がかかわってくるんでしょうか。もっと季節感がなくなっていって、「この季節にこの行事かよう、合わんなあ」なんてことになるかもしれません。45号もソムリエの会のみなさまのおかげで、無事発行できました。これからも皆様のご活躍の場を取材させていただいていい会報紙に仕上げていきたいと思いますので、皆様からの投稿をがんがん頂きたくよろしくお願いいたします。

(広報編集者)東・礒兼・今中・風間・柏尾・佳山・窪田・小林(誠)・阪本・島田・中村・仲村・野原・廣岡・福岡・二上・藤崎(俊)・藤田・松原・松森・吉川 (広報 吉川和美)