WEBソムリエの風

50号 令和8年(2026年)2月1日

目次

「水滴の凍るゆふべぞ梅にほふ」(水原秋桜子)。まもなく梅の便りも聞こえてくる1月下旬になって、水滴も凍るような寒い日が続きました。最近は、日本気象協会が「服装指数」を発表してくれるので、便利になりました。指数は10~100まで、10段階で表示され、数字が小さいほど寒いことを表わしています。

例えば10なら「ぶるぶる、何を着ても寒い」、50なら「薄手のジャケットを羽織ろう」、100なら「暑さ対策必須、何を着ても暑い」という具合です。まだしばらくはこまめにチェックして、ヒートショックなどを起こさないよう、ご注意ください。(専務理事 鉄田憲男)

奈良のうまいものを極める会(新生第2回)

挨拶される尾川欣司会長(右端)。お隣りは尾川卓司社長

2025年10月13日(月・祝)、大和郡山市のフレンチレストラン「Le BENKEI」で、奈良のうまいものを極める会を開催しました。新体制になってからの2回目となりました。幹事は、当会会員の葛本雅則さんと今中奈穂さんです。

当日の肉料理
当日の魚料理(肉か魚は、どちらかを選択)

同店は、この年が創業50周年の年でした。ご参加者は、定員20人に対して19人。新鮮な食材を駆使したおいしいフランス料理に、皆さん、感激されていました。


ランチの後は、当会会員の森本泰広さん(大和高田市文化財ボランティアガイドの会会長)のご案内で、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目を集める郡山城跡と城下町郡山を散策しました。奈良が大河の舞台になるのは、1971年(昭和46年)の『春の坂道』以来とあって、地元は盛り上がっていました。

王寺町で「奈良ソムリエ講座」(毎月第3日曜日)


25年10月19日(日)から毎月第3日曜日、王寺駅前の王寺町地域交流センター「リーベルホール」(リーベル王寺東館5階)で、「奈良ソムリエ講座」が開催されています(11:30~12:00)。予約不要・参加無料です。講師は26年9月までは鉄田が務め、10月以降は講演講座グループのメンバーが、交代で務めます。同日の13:30からは、同じ場所で「歴史リレー講座」が開催されます。

第37回「たかとり城まつり」が満員札止めに!

仲野さんと目線が合った瞬間をパチリ!

毎年、11月23日(勤労感謝の日)には、高市郡高取町で「たかとり城まつり」が開催されます。25年のこの日には、大河ドラマ「豊臣兄弟!」で主人公の秀長役を演じる仲野太賀さんが登場!会場は、立錐の余地もないほどたくさんのご参加者で埋め尽くされました。

秋の文化イベントは、おとなバンド「まほろばclub」

まほろばclubの迫力ある演奏


25年11月29日(土)、奈良ロイヤルホテルで、恒例の「秋の文化イベント」が開催されました。今回は、南都銀行の行員やOBらによるおとなバンド「まほろばclub」によるライブでした。ライブには22人、懇親会には21人が参加されました。ライブではメンバーによる歌と演奏のあと、全員でさだまさしの『まほろば』と坂本九の『上を向いて歩こう』を合唱しました。 まほろばclubのサイト

SDGs再研修を実施


25年12月17日(水)、「SDGs学び旅」に関する再研修を実施し、座学に21人、ガイド実習には20人に参加していただきました。SDGs学び旅とは、奈良教育大学や奈良商工会議所が中心となって発足した事業で、2021年(令和3年)にスタートしました(事務局=株式会社学びの旅)。当会は初年度から、ガイドとして協力しています。

再研修では、東大寺ミュージアムでの約1時間の座学(講師=鉄田)のあと、会員の大江弘幸さんのガイドで、東大寺境内を「SDGs的」にご案内いただきました。

東京講座(於:奈良まほろば館)、順調に推移

東京・新橋の「奈良まほろば館」における当会の「奈良まほろばソムリエの会講座」、当会関東サークル(関東グループ)メンバーの全面的なご支援のおかげで、順調に推移しています。

この日のテーマは、「梟雄(きょうゆう)松永久秀」(1月11日)

当日の運営が県から「講座の実施団体」に変更され、最初は戸惑いもありましたが、講師の皆さんも慣れてこられ、当会の「唯一の恒常的な県外での発表の場」として、定着してまいりました。今後も引き続きこの場をお借りして、「奈良の素晴らしさのアピール」「奈良の観光振興への寄与」に取り組んでまいります。

外部の講座でも、当会会員が活躍!

当会は、外部の講演会にも、講師を派遣しています。1月11日(日)には、橿原市役所分庁舎4階で開催される「ミグランス歴史講座」で、当会会員の田村基樹さんが「飛鳥四大寺」を語りました。

田村基樹さんの講座(1/11)

また当会会員の新島弓美子さんは、2026年4月から9月までの毎月第4金曜日、大和八木駅前の近鉄百貨店橿原店「近鉄文化サロン橿原」で、「仏像の信仰と文化」をテーマとしたセミナーを開催されます。

4月は「仏像をもっとよく知る豆知識(1)」、5月は「わかると楽しい當麻マンダラ」、6月は「仏像をもっとよく知る豆知識(2)」、7月は「夏休みスペシャル(西洋美術)」、8月は「様々な神仏に出会う宝山寺」、9月は「人気の仏様をもっと知ろう」です。ぜひ、皆さんも、ご参加ください。詳しくは、同サロンへ(電話0744-25-5421)。

サロン・ド・ソムリエ(25.9.23)で講演される新島さん。この日のテーマは「西洋絵画」

新島さんはYouTubeの「奈良県公式総合チャンネル」にも登場。ガイド役として、奈良県出身俳優・井阪郁巳(いさかいくみ)さんをお相手に、豊臣秀長ゆかりの地を案内されました。

写真力向上講座(1)

前回、良い写真を撮るためのコツを少し書いたところ、「もっと学びたい」というお声をいただきましたので今回から、不定期にはなりますが、「写真力向上講座」を連載したいと思います。

悪い例:右端などに空白(塗り残し)がある

1.「塗り残し」のある写真は撮らない
風景写真を撮るときは、「密」に撮ることを心がけ、絵の具の塗り残しのような「空白」を作らないようにしてください。

良い例:空白(塗り残し)はない

2.「目の高さ」にとらわれない
写真を撮るときはどうしても、目の高さで撮ってしまいます。しかし、目から離して掲げ持って撮ったり(ハイアングル)、しゃがんで撮ったり(ローアングル)すると、目の高さでは見えなかったものを写し込むことができます。やや高等なテクニックですが、特にたくさんの人が密集しているような時、威力を発揮します。

悪い例:目の高さで撮ると、前の人などが邪魔になって、全体像がつかめない
良い例:カメラを目から離し、ハイアングルで撮ると、全体像がつかめる
悪い例:目の高さで撮ると、全体像が見えない(東京藝大のワークショップ)
良い例:ハイアングルで撮ると、全体像がよく分かる

3.「メイン」となるものは、必ず写し込む
写真は、御所市蛇穴(さらぎ)野口神社の「汁かけ祭り」です。このお祭りのメインは、縄で作られた大蛇です。主役となる大蛇の「顔」は、必ず写し込まなければなりません。そうしないと全く迫力のない写真になります。

悪い例:メインとなる蛇の顔が、隠れている
良い例:蛇の顔が、ちゃんと写り込んでいる

サッカーやバレーボール、ホッケーなどの球技を撮るときは、やはり「球」を写し込まないと、中途半端な写真になってしまいます。行事やスポーツの写真は被写体が動くのでタイミングが難しいですが、その場合は「連写」で撮ることをお薦めします。

悪い例:ホッケーの試合なのに、球が写っていない(東海学院大学 vs 南都銀行)
良い例:ちゃんと球が写っていて、次の動作が分かる

4.料理写真は、アングルを変えて何枚も撮る
麺類や丼物などの写真を「1枚だけ」の撮影で済ます人が、とても多いです。しかし、それでは十分には伝わりません。例えば私は、ラーメンの写真は4カット撮るようにしています。以下の写真を参考にしてください(北葛城郡広陵町「四川料理 金峰閣」で撮影)。

まずは全貌
トッピングをクローズアップ
スープの色を見る
麺はストレートか縮れ麺か、太さはどうか

5.神社の写真は「社殿」を撮る
前回にも書きましたが、毎日新聞の「やまとの神さま」では、写真は1回に1枚しか使えません。それで写真は、神社の社殿(本殿または拝殿)の写真を基本としています。どちらの方がイメージが湧くか、鳥居の写真と拝殿の写真を、見比べてみてください(写真は、鉄田がテスト撮影したもの)。

悪い例:鳥居は神社のシンボルではない(桜井市の笠山荒神社)
良い例:古社の雰囲気が漂う。拝殿は、神社のシンボルとなり得る

瀨川泰紀

丙午生まれで今年還暦を迎えますが、乙巳の変の次の年が丙午だと最近知りました。出生数が極端に少なく、広き門ばかりをくぐってきたツケでしょうか。奈良まほろばソムリエ検定は苦労して苦労して馬車馬の如く第1回から受け続け、第15回でようやくソムリエ級合格。史上最低のソムリエだと思われます。今、古代磐余に関心を持っているのですが、まだ誰も言っていない新事実に気づいてしまいました。これは論文を書くしかないなと思い、書き始めております。今年の目標は論文を書き上げる事です。サロン・ド・ソムリエで発表するのが最終目標ですが、お尻に火がつかないと行動できない性分なので、昭和のスターホース、ミスターシービーのように後方から追い込みたいです。  

礒兼史洋(広報グループ)

丙午(ひのえうま)の年に生まれ、今年再び丙午を迎えたことは、とても感慨深いものがあります。出生数が少なかったことで何かと話題になったことも、今では懐かしい思い出です。
今年は、奈良に深く関わる仕事に携わりたいと考えています。そして、少しでも地域に貢献していくことが私の目標です。
また、奈良で訪れていない場所や祭りがまだ数多くあります。當麻寺の練供養、長谷寺のだだおし、野迫川村の雲海── ひとつでも多く体験できたらと思っています。当会では広報Gに所属し、「歳時記」を担当しております。これからも奈良の魅力を感じていただけるような記事を書いていきたいと考えております。

西川年文(受託講座サークル)

私が奈良検定試験への挑戦を決めたのが、ちょうど定年を数ヶ月後に控えた午年のことでした。その1年後無事定年を迎え、受験会場の帝塚山大学で緊張しながら受けた受験当日のことは、今も鮮明に思い出すことが出来ます。その後順調に進み、検定支援講座のお陰もあり想定外のソムリエ級まで合格させて頂き、奈良まほろばソムリエの会にも入会させて頂きました。今では検定支援講座で受験生を応援する立場で活動をさせて頂いています。他にもガイドグループにも所属し、奈良の魅力を正しく発信をすることで、多くの方に奈良ファンになって頂くための活動を続けています。
月日は巡って2周り目の午年を迎えますが、お陰様で私のセカンドライフは充実した日々を送ることが出来そうです。あとは現在の肉体年齢48歳をどう維持するかが課題ですね(笑)

歴代広報担当理事からのメッセージ

ソムリエの風第50号発行を祝して

理事長(元広報担当理事) 豊田敏雄

ソムリエの風第50号の発行、誠におめでとうございます。私は2013年4月発行の第5号から2020年6月発行の第31号まで広報を担当し、紙面づくりを広報の皆さんと歩んだ日々を懐かしく思い出します。2012年10月から2015年3月にかけて産経新聞に連載された「奈良再発見」の推敲作業も共に行い、新書版『奈良の隠れ名所』として結実したことは大きな喜びでした。2014年3月発行『奈良「地理・地名・地図」の謎』の監修では、執筆者が東京在住のフリーライターであり、記事内容の確認に幾度か現地に行ったことも忘れられません。広報紙は仲間の知恵と努力の結晶であり、50号という節目はその積み重ねの証です。これからも奈良の魅力を伝える灯火として輝き続けることを願っています。

「ソムリエの風」50号お祝い

前広報担当理事 松森重博 

私がソムリエの会に入会したのは2012年です。以来、広報グループに属しています。当時からメンバーが喫茶店に集まり編集会議をしていました。4ページあるいは8ページで、会員のみなさんにも原稿依頼をして、4か月に1度のペースで発行していました。いま理事長の豊田さんや広岡さんが緻密に字数を合わせたり写真を入れたりして印刷所に発注して出来上がっていきました。
その後、ホームページが作られ、紙で発行の「ソムリエの風」のバックナンバーを掲載しました。2019年に私は広報担当理事になりました。理事会でも印刷代や郵送費などの見直しを言われました。そこで、風間さん、窪田さんらの尽力でホームページの組み直しに取り掛かりました。また「ソムリエの風」もWeb発行に切り替えることに成功しました。紙に比べ、費用が一挙に削減できると共に字数もレイアウトも自由になりました。また新しいメンバーも加わり、2024年担当理事を吉川さんが引き継いでくれています。今後とも、会の広報紙であると共に会の交流の場として「ソムリエの風」が続いていくことを期待しています。

投票結果

投票人数 103名でした。奈良まほろばソムリエの会全体の 1/4近くの方々に投票いただいています。ありがとうございます。
奈良好き・歴史好きの奈良まほろばソムリエの会のメンバーが「実際に仏像を見た」と答えた投票がほとんどでしたので、投票内容の信頼性は高いと思います。 
仏像は、現在編集中のテキストに記載予定の奈良県内の仏像一覧から87件を候補としてエントリーしています。
投票は、候補リストの中からそれぞれ1位~5位の仏像を選んでいただきました。
結果は 1位:5ポイント 2位:4ポイント 3位:3ポイント 4位:2ポイント 5位:1ポイント
でポイント合計で集計しています。

 

 

(1)21位以降の順位(21位~32位まで、33位以降10P未満は省略)
21位 法隆寺 大宝蔵院 国宝 九面観音:29P(ポイント)、22位 唐招提寺 金堂 国宝 千手観音菩薩立像:26P、23位 室生寺 寳物殿 国宝 十一面観音立像:24P、24位 秋篠寺 本堂 重要文化財 伎芸天立像:19P、25位 法隆寺 金堂 国宝 釈迦三尊像、 東大寺 南大門 金剛力士立像、 新薬師寺 本堂 国宝 薬師如来坐像、 五劫院 五劫思惟阿弥陀仏坐像:15P(4件同ポイント)、 29位 法華寺 本堂 国宝 十一面観音菩薩立像:13P、30位 法隆寺 大宝蔵院 国宝 夢違観音、 室生寺 寳物殿 国宝 釈迦如来坐像:12P(2件同ポイント)、32位 法隆寺 大宝蔵院 国宝 地蔵菩薩立像:11P

(2)1位 中宮寺 菩薩半跏像に関するコメント
・繊細なアルカイックスマイルと指先の細やかな表現がたまりません。
・何時間でも見ていられる
・お顔が最も美しいからです。
・優雅なお姿に魅了される。
・アルカイックスマイルの柔和な微笑みをたたえる表情と半跏で榻座に座る姿がとても美しい。

(3)2位 興福寺 北円堂 無著・世親菩薩立像に関するコメント
・無著の遠くを見つめる深遠なまなざしに強く惹かれる。
・内なるものが滲み出るかのような表現力
・今年、東博で2回目拝観したが、その表情に圧倒された。
(4)3位 聖林寺 観音堂 国宝 十一面観音菩薩立像に関するコメント
・間近で360度見ることができ、中性的な空気に魅了された。
・ただただ美しい
・すべて見透かされているような、それでいて、すべて許してくださるような眼差し。
(5)4位:八部衆立像(興福寺)、5位:百済観音立像(法隆寺)、十二神将立像(新薬師寺)に関するコメント
・(八部衆立像)阿修羅像が素晴らしい
・(八部衆立像)阿修羅像だけでなく沙羯羅像、五部浄像の憂いを帯びたお顔が大好きです。
・(百済観音立像)すらっとした姿とアルカイックスマイルの優しい顔
・(百済観音立像)フォルムが美しく、天女を見るよう。ただただ魅入られてしまう。
・(十二神将立像)躍動感が美しいと思う。
・(十二神将立像)迫力があり、表情も素晴らしいです。

1位の中宮寺の菩薩半跏像や3位聖林寺 の 十一面観音菩薩立像は、中世的な美しさに心を奪われたようなコメントが多くありました。
2位の無著・世親菩薩立像は人間味のある写実性に魅了された感想だと思いました。
4位~6位のそれぞれの仏像も美しさや躍動感に心惹かれるようですね。
他の仏像に対しても熱いコメントが数多くありました。
「仏像を見るなら奈良」・・・やっぱり奈良の仏像には魅了されます。

ちなみに、2012年の12月発行の「ソムリエの風 4号」に「私のベスト3・仏像編」が掲載されています。また2013年4月発行の5号には「私のベスト 3・寺院編」が、2013年12月発行の7号には「私のベスト3・祭編」が掲載されています。ご参考下さい。
また機会ありましたら、寺院や神社や建造物などの「お気に入りランキング」を行いたいと思います。ご期待ください。

(監修:広報 吉川和美、 調査集計:広報 かざまちはる  文:広報 福岡康浩)

広報 ー認定NPO法人ーシニア自然大学 会報紙寄稿

広報グループでは2025年11月より、大阪の認定NPO法人シニア自然大学校の会報紙『自然と仲間』に寄稿させていただくこととなりました。
寄稿は”奈良の自然と文化”を中心に情報発信をしていきます。シリーズの大タイトルは「奈良の自然と文化を巡る12か月」で、当グループ並びに保存継承グループより寄稿者を募り開始しました。
第一回目(11月)は~「観音峰とみたらい渓谷」絶景の紅葉ハイキングへ~(広報:吉川和美))、第二回目(12月)は~奈良の冬を彩る「春日若宮おん祭り」と高畑散策~(保存継承:鶴田吉範)、第三回目(26年1月)は~奈良のお正月「奈良の雑煮と伝統野菜」~(広報:東宏行)まで寄稿しています。
外部団体との交流も深め積極的な活動を展開していきたいと思います(広報グループ:吉川和美)

公民館講座サークルー奈良検定受験講座奮闘中

奈良検定受験講座は、受講生が奈良ソムリエとしての実力をつけるため、試験問題を詳しく学習しながら挑戦を続ける場です。検定試験は3月初旬にありますが、私たちスタッフの活動は2月の担当問題の振り分けから始まります。この時点ではまだ出題内容がわからないので、どんな問題が自分に回ってくるのか、想像をめぐらせながら試験日を待ちます。試験問題が判明すると、すぐさま講座資料の作成に取りかかります。そこからわずか2か月ほどで講座開始。限られた時間の中で、受講生に本当に役立つ内容を届けるために、構想をたて、現地調査、文献研究、ネット検索等を駆使し、解説用のパワーポイントや配布資料を何度も練り直します。持ち時間は50分。初めて講座を担当する人も多く、発表直前には緊張感が張り詰め、まさに真剣勝負の場となります。5月から11月までは、会場選びやCGI受付システムの運営まで自分たちで分担し、延べ26人が次々と発表に挑みます。仲間と力を合わせ、試行錯誤を重ねながら準備する期間は、苦しくも充実した日々です。

そして12月から1月は「ソムリエ級支援チーム」「1級支援チーム」が総力を挙げて試験対策特別講座を準備します。私たちも試験問題は全くわかりませんので、各チームが受講する奈良商工会議所の認定支援セミナーでは、講義内容はもちろん、講師の話し方や表情、声の調子まで一瞬たりとも見逃さず、出題のヒントをつかもうと必死に耳を傾けます。恐らくセミナーの全受講者の中でこのメンバーたちが最も真剣に聴いているのではないでしょうか。過去のセミナーとの比較分析も行い、1月の特別講座(座学・ウォーキング)に全力で臨みます。

ひとりでも多くの仲間が合格し、ソムリエの会に加わってくれるように――。

その一心で、私たちは一年を通じて奮闘し続けています。(公民館講座サークル:吉田雅幸)

奈良市長表彰受賞-喜多志乃さん

保存継承グループの喜多志乃さんが令和7年度の奈良市長表彰で表彰されました。誠におめでとうございます。介護認定審査会委員として20年にわたる活動が認められたものです。以下喜多さんの喜びのお声です。

令和7年11月3日、奈良市介護認定審査会委員20年目の年に有功表彰として表彰されました。

介護認定審査会委員とは、要介護度判定の2次判定部分に携わる人達の事で、私はこの20年間社会福祉士として、申請された奈良市民の方々の主に福祉分野を担当し、合議体メンバーと共に要介護(支援)度の最終決定をしてきました。

この仕事に就いて20年、当初と比べて「介護の社会化」が進んだとも言われてますが、まだまだ身内の介護で苦しんでいる人や、自分の介護の事で思い悩んでいる方が多いのも実情です。この介護保険制度がこれらの方々の救いになる制度であることを願うばかりです。

表彰式は10時から始まり、市長から直接に表彰状を授与されます。とても厳かな雰囲気の中、私はその雰囲気をワクワクしながら自分の表彰の順番を待っておりました。

今後も地域のために頑張って参りますので、宜しくお願い致します。(保存継承グループ:喜多志乃)

天正13年(1585)9月3日、秀長公は、大和・紀伊・和泉の太守として百万石を領して郡山城に入城しました。第二回目の今回は、亡くなるまでの城主秀長公の6年間について、公儀之事(領国統治など政権運営全般)を中心に話を進めてみたいと思います。

【町づくり】 大和の経済の中心を奈良から郡山に、そして町人自治制度を導入

秀長公は、郡山城に入城まもなく、城下の商業を発展させるため、奈良における商業活動を制限または禁止し、郡山の商人に営業上の独占権を与えました。また、地子銭、今でいう固定資産税を商人に免除するなどし、商業の保護に努めました。その結果、奈良、堺、今井などからも商人が集住し町を形成するなど、城下町は大いに発展しました。また、城下町の各町に自治責任(治安・消火・伝馬・裁判など)を負わせ、外堀内十三町『綿町・紺屋町・本町・今井町・奈良町・堺町・藺町(いのまち)・柳町・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町(ざこくまち)』の権限を認めた文書を朱印箱に収め、一月ごとに持ち回りで管理させました。この町割りと持ち回り自治制度を合わせて、「箱本十三町(はこもとじゅうさんちょう)」と呼びます。地子銭免除の秀長公朱印状を納めた朱印箱は、秀長公菩提寺の春岳院に今も残っています。 

箱本十三町の案内板
紺屋町の箱本館紺屋
【刀狩り・検地】 公平な課税と寺社の武装解除により領国の安定を

秀長公は、領国の検地と刀狩りを推し進めました。検地は領国の土地面積や生産高を正確に把握し、適正な年貢の徴収基準を定めるとともに、領民に対する公平な課税により領国の安定化を図ることを目的としました。大和国は興福寺・多武峰など寺社勢力が強く、それぞれ数千石の領地と数多くの僧兵を抱えていましたが、秀長公は寺社勢力に金銀を渡して懐柔しながら、検地により不正を正すと同時に、彼らの持っている薙刀、槍、刀などを没収し武装解除を推し進めました。当然寺社勢力からは抵抗もありましたが、結果的には大きな混乱なく巧みに成し遂げたのは、秀長公の人柄と行政手腕によるものと言えるでしょう。

【洞泉寺・源九郎稲荷神社】 城の守り神を祀る

洞泉寺は、もとは三河国拳母(ころも)にありましたが、僧宝誉(ほうよ)により天正9年(1581)長安寺村(現在の大和郡山市長安寺町)に建立されました。宝誉は、ある夜、源九郎と名乗る白狐が白髪の老人姿で現れ、「郡山城の南に荼枳尼天(だきにてん)を祀れば城の守護神になる」と告げたという話を秀長公にしました。名僧の宝誉に深く帰依していた秀長公は、その話を聞き早速お堂を建てさせるとともに、宝誉上人が住職となり、荼枳尼天を自ら彫って安置したのが、現在の洞泉寺の始まりです。また、城内には源九郎稲荷明神も祀られました。享保4年(1719)、城内にあった稲荷社は源九郎稲荷神社として、洞泉寺に隣接する現在地に移転しました。このような伝説が残る秀長公は、信仰心の篤い人だったと思われます。

洞泉寺
源九郎稲荷神社
【茶会】 兄も大名も茶会でおもてなし

秀長公は折に触れ茶会を催しており、入城間もないころ開催したと思われる兄の秀吉を迎えての茶会では、入城の際に連れてきたとされる菓子職人菊屋治兵衛(じへい)にひとくちサイズの餅菓子を献上させました。秀吉はその餅をたいそう気に入り「鶯餅(うぐいすもち)」と名付けたのが、本家菊屋の銘菓「城之口餅」の始まりです。

天正16年(1588)には、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家を郡山城に招き茶会を開いた記録が残されています。上洛した徳川家康や上杉景勝なども茶会に招いたとの記録が残ります。矢田寺の北僧房には、郡山城から移築されたと伝わる秀長公の茶室があります(現在の茶室は昭和に修復)。この小さな空間は、戦国大名達のいわば社交場でした。

本家菊屋
矢田寺北僧房の茶室
【文武両道】 不敗の戦功、最後の戦いは九州平定

以上のように行政手腕にすぐれ、茶の嗜みもあったとなると文人のイメージが強いですが、秀長公は一方で歴戦の強者でもあります。郡山城主となる直前には、四国の雄・長宗我部元親との戦いがありましたが、ここでは秀吉の出陣を押しとどめて、秀長公が総大将として出陣、知略を駆使して元親を降伏に追い込み、戦後は元親の臣従の礼と引き換えに、なにかと元親に対し面倒を見るようになります。秀長公の武将としての最後の戦いは、大友宗麟の救援要請を受けた天正15年(1587)の島津義久を相手にした九州攻めでした。九州の西側を秀吉が、東側を秀長公が攻め下りましたが、秀長軍が藤堂高虎らの活躍により日向国の要衝の高城を攻め落とし、義久の降伏を導きました。ここでも、島津に薩摩・大隅と日向一部の領有を許し、戦後の豊臣政権の安定を目指した施策が図られました。

大和郡山城ホールの秀長公銅像

このように、武士としての秀長公は、藤堂高虎のような勇猛な家来の獅子奮迅の活躍と、秀長公自身の知略の発揮により不敗の戦功を誇りました。一方で、信長のような苛烈な戦後処理よりも、先を見据え、時には敗者に寄り添った姿勢で臨んだ(秀吉に進言した)ことは、百姓から身を転じた秀長公らしさだと思います。

【諸大名との関係】 兄秀吉以上の人たらしだった秀長公

天正14年(1586)大友宗麟が島津軍の攻撃に対し秀吉に救援を要請するため上洛した折、国元の家臣に送った書状には、秀長から大阪城で歓待を受け、万人が注視する中で秀長が自分の手を取り、「内々之儀」は宗易(千利休)、「公儀之事」は秀長が心得ていると述べた、と記されています。私的なことは千利休、政権運営に関する全般は秀長が承るとのことであり、秀長公が、秀吉と諸大名の関係を良好に保つ役割を任されていたことがわかります。

天正16年(1588)、毛利輝元一行が奈良を訪れた際には、5キロ以上の道のりを一人馬を飛ばして出迎えに行き、郡山城で能や茶の湯などで手厚く接待しました。輝元が「この段 筆にこれを記し難し」と書き残すほどでした。かつては敵対した毛利輝元も徳川家康も長宗我部元親も、秀長公の心のこもった接待攻勢の前に、改めて白旗を上げることになったのではないでしょうか。つきあいが良く温厚で誠実だったとされる秀長公こそ、真の「人たらし」だったかも知れません。

以上、今回は、城主秀長公の「公儀之事」(政権運営全般)を見てきましたが、次回は、城主秀長公の「内々之儀」(家族・家臣団・恋愛物語・健康問題など)を中心にお話したいと思います。

 (広報グループ:藤田道夫)

その後の飛鳥・藤原

元明天皇治世の710年に都は平城京に遷りました。首都の座を明け渡した飛鳥・藤原の地はその後どのようになっていくのか述べてみます。

【奈良時代】

710年の平城遷都によって多くは奈良に移りましたが、川原寺や岡寺、坂田尼寺などはまだ寺勢を保っていました。この奈良時代、坂田尼寺の尼僧の信勝が、東大寺大仏殿の東側脇侍(観音菩薩像)を造立寄進したことはよく知られています(現在の東側脇侍の如意輪観音像は江戸時代に造立された像です)。一方、飛鳥宮跡は奈良中期まで更地管理され、嶋宮や小墾田宮は奈良後期までは「離宮」として機能していました。淳仁天皇が小治田宮に行幸した記録(『続日本紀』や雷丘東方遺跡出土墨書土器)にもあるように、奈良時代の王族や貴族は、嶋宮や小墾田宮を利用して飛鳥を訪れ、遠く初瀬や吉野、高野山などを参詣していたのです。

雷丘東方遺跡の井戸から出土した奈良時代の墨書土器
【平安時代】

 平安遷都後は活気が薄れて田園地帯に変化しますが、11 世紀初頭、藤原道長が金峯山・高野山の参詣の途中、飛鳥に立ち寄ったことが『扶桑略記』に記されています。金峯山・高野山、長谷寺、壺阪寺などが信仰を集め、都が奈良の地を離れた後も、飛鳥は貴族たちが社寺へ参詣する通路となっていました。

【鎌倉時代】

 鎌倉時代に入り日本は武家社会となりますが、幕府は大和に守護を置かず、興福寺は自らを大和の守護に任じて、名実ともに大和の支配者の地位を確立しました。ただ飛鳥地域は、多武峯などの興福寺に対抗する勢力があり、完全には興福寺の支配下に入りませんでした。飛鳥地域には、興福寺、東大寺、多武峯、大乗院、一乗院、皇室などの所領が入り混じった状態が続き、大和の支配者となった興福寺と吉野との狭間にある独自の地域という性格をもっていたのです。 現在の集落の母胎となる中世集落も、鎌倉時代から室町時代頃には、ほぼ現在の位置に成立したと考えられています。

【室町時代】

 室町時代の「大和永享の乱(1429年~)」で、大和の衆徒・国民は南大和の越智氏、北大和の筒井氏の二大陣営に分かれて戦い、飛鳥は軍勢の行き交う戦場となりました。この乱で越智方の多武峯は全山焼亡し一旦没落しますが、越智家栄を当主として復活すると、次の「応仁の乱(1467年~)」では再び筒井氏と越智氏は大和を二分して戦います。応仁の乱で筒井氏は没落し、興福寺の実権を越智家栄(南大和)と古市澄胤(北大和)が握りました。

【戦国、安土桃山時代】

 越智氏は、越智谷(高取町~明日香村の東西の谷)に居城(越智城)を構え、戦時拠点としては、貝吹山城や巨塁高取城などを築いています。明日香村域にも、小山城、雷ギヲン山城、飛鳥城、岡城などの多くの砦が築かれており、特に小山城は、越智氏に従属した国民小山氏によるものと考えられます。しかし、他の城跡は小さい土豪の城で明日香村域には小山氏以外に国民は見当たりません。
 明日香村大字小山~雷にかけて、大字小山の名前の由来通り北から南に小さな山(西山、ギヲ山、雷ギヲン山、雷丘)が並んでいます。その西山の丘陵に小山城が、雷ギヲン山や雷丘にもそれぞれ砦レベルの城が建てられていました。この近くには、小山廃寺や雷北方遺跡、古宮遺跡、雷丘東方遺跡などの古代遺跡も多くあります。同じ地域に築かれた中世の砦の乱立も古代の人と同じ考えによる必然の立地だったのかも知れません。
(注:雷ギヲン山城…雷ギヲ山城や雷ギヲン城とも表記されている。西山…小山とも表記されている)

(明日香村小山~雷)近くには、小山廃寺、高市大寺跡候補のギヲ山東方遺跡、古宮遺跡、雷東方遺跡など多くの古代遺跡が点在している。

ちなみに、高松塚の近くにも平田城跡があります。高松塚壁画館から北に向かった見晴らしの良い広場が平田城跡と言われています。何の記録もありませんが、郭とおぼしき台地状の広場が数個並んでいます。また、天武持統天皇陵(野口王墓)の道を挟んで東側に野口植山城や野口吹山城があります。ここにある野口植山古墳は額田王の墓と伝わり、額田王の歌碑も立てられています。古代の遺跡のすぐ隣に中世の城跡があるのも飛鳥の面白い魅力かも知れません。(民宿脇本さんに連絡を入れると、野口植山城跡(野口植山古墳)の上までご案内いただけます)

高松塚古墳の北側にある見晴らしの良い広場
小泊瀬稚雀神社辺りが野口吹山城跡である

 筒井順興により復活した筒井氏は筒井順慶の時代に越智氏を滅ぼしました。その後、筒井氏、十市氏が大和統一を進めましたが、松永久秀が大和に進入して掌握。織豊時代(今年の大河ドラマ…豊臣兄弟の時代)を経て、江戸時代を迎えました。 一方、室町時代の飛鳥の寺院は、小規模な堂だけになっていましたが、依然として吉野や高野山への主要な通路になっていました。岡の観音の賑わいの様子や橘寺で太子像を礼拝したことを記す資料も残されています。

【江戸時代】

 近世になると、岡の集落が西国三十三カ所の岡寺門前町として賑わいをみせます。奈良の尾崎三右衛門の『和州南都之図』刊行をはじめ、林宗甫『和州旧跡幽考』、貝原益軒『和州巡覧記』、並河誠所『大和志』など、大和一円の観光案内記や地誌が出版されました。『西国三十三所名所図会』からは往時の社寺や旧跡、名所の様子を知ることができます。
また、日本の古典を学問的に読み解くことで社会、国家の理想の指針としようという国学の考え方が生まれました。『万葉集』『古事記』の舞台である飛鳥の地と歴史は重要な意味を持ちます。契沖の万葉研究からはじまり、賀茂真淵を師とする本居宣長の『古事記伝』は国学研究の集大成とされて『古事記』研究の注釈書として価値を保ち続けています。宣長はその執筆の途中に飛鳥の地を訪れ、紀行文『菅笠日記』を残しています。
 一方、飛鳥・藤原より北に位置する橿原市の今井町や八木町は江戸時代に繫栄しています。今井町に関しては「大和の金は今井に七分」と呼ばれ、八木町も古代からの街道の下ツ道と横大路の交わる札ノ辻を中心に賑わいをみせていました。

【近代、現代】

 奈良時代から江戸時代まで一気に時代を下りましたが、飛鳥地域が輝いていたのはやっぱり古代です。
明治時代には、石神遺跡で「須弥山石(しゅみせんせき)」と「石人像」が石神遺跡からみつかりました。大正時代には、飛鳥京苑池跡から出水の酒船石などの石造物が出土したのをはじめ、多くの遺跡、古墳が調査されています。昭和に入り、県立橿原考古学研究所や奈良国立文化財研究所が設立され、奈良県一帯…特に飛鳥藤原地域が埋蔵物研究の最前線として調査されてきました。
明治~大正~昭和、平成、令和と古代遺跡の発掘が連綿と続き、古都保存法や明日香法によって文化財や景観が守られてきた成果がようやく「世界文化遺産」登録に結びつくのでしょうか。今年の夏が楽しみです。

(広報グループ:福岡康浩)

全国各地には現役を引退した様々な鉄道車両が保存されています。

奈良県内にも7カ所で8両の車両が保存されており、他の都道府県に比べて決して多くはないですが、客車やケーブルカーなどの珍しい車両もありますので、今回ご紹介させていただきます。

D51 895 王寺町船戸児童公園内

船戸児童公園内の D51 895
D51 895の運転台

 D51(デゴイチ)は1000両以上製造された、国鉄を代表する貨物用蒸気機関車です。Dは動輪の数が4組であることを示します。

895号機は1944(昭和19)年に製造され、鳥取・福知山などを経て1971(昭和46)年、奈良に配置、関西本線で活躍後、1972(昭和47)年に廃車となり、その後、現在地で保存されています。大和路線で王寺を出て法隆寺駅に向かうとすぐに左側の車窓から見ることができます。

山間部を走るSLは長いトンネル内で煙が運転席に入り込むのを防ぐため、煙突上に「集煙装置」装置をつけているのが特徴で、関西本線を走るすべてのD51に装備されていました。この895号機は当時の姿をそのままに残して保存されています。

2024(令和6)年に王寺町の指定文化財になりました。近年、塗装などが再整備され美しい姿になりました。オリジナルのナンバープレートは王寺町で保管されています。

【王寺町指定文化財】D51形蒸気機関車895号機/王寺町

Ð51 691 + オハ61 930 天理市田井庄池公園内

天理 田井庄公園の D51 691
客車のオハ61を Ð51が牽引するように展示されています。

691号機は1942(昭和17)年に製造。吹田・盛岡などを経て1948(昭和23)年に亀山、1949(昭和24)年に奈良に配置され、1971(昭和46)年の廃車まで長い期間、関西本線を走りました。

895号機と同様に、現役時代は集煙装置を取り付けていましたが、現在はそれを外したオリジナルの煙突が見える姿で保存されています。

Ð51が牽引しているように並んで保存されている客車が オハ61-930 です。大正時代に製造された木造の客車の部品を流用して戦後に鋼製の車体に改造されました。このタイプの客車は昔は全国各地で見られましたが、今ではすっかり姿を消しました。

客車の保存は全国でも珍しく貴重です。

都市計画公園 田井庄池公園/天理市

C57 160 三郷町立三郷小学校内

C57 160 たもん号 の愛称がつけられています

C57は旅客列車用に製造された蒸気機関車です。Cなので動輪数は3組。貨物用に比べ大きな動輪、細いボイラ(本体の円筒形の部分)のスマートなスタイルで「貴婦人」の愛称を持つ、人気のSLです。

160号機は1942(昭和17)年に製造。宇都宮、千葉、和歌山を経て、1971(昭和46)年、紀伊田辺を最後に廃車となり、その後、三郷小学校で保存されています。

三郷小学校の敷地内にありますが近くの公道から見ることができます。

78675 五條市民俗資料館前 公園内

 天誅組や明治維新の展示がある資料館前に置かれた 78675 

このSLは、C・Ðなど動輪の数での形式表記ルールができる前の8620型(通称ハチロク)という形式で、一号機のナンバーが8620、以降8621・22と続き、8699の次は18620 となります。78675というナンバーからもわかるように大正から昭和にかけて600両以上が製造され全国の主にローカル線で活躍しました。

78675号機は1925(大正14)年に製造され、中国地方の新見・三次(みよし)などを経て1972(昭和47)年に和歌山を最後に廃車となり、その後五條市で保存されています。

近鉄 東信貴鋼索線 コ9形(コ9) 近鉄生駒線 信貴山下駅前

信貴山下駅前の コ9型
コ9型の内部

以前、紙の「ソムリエの風25号」でも紹介した「東信貴鋼索線」(東信貴ケーブル)の車両が2020(令和2)年、三郷北小学校から今の場所に移設されました。東信貴ケーブルは1983(昭和58)年に廃止されるまで、「信貴山下」駅前から「信貴山」までを往復していたので里帰りしたことになります。移設時に塗装も塗り替えられ、車両内部の見学も可能になりました。

近畿日本鉄道旧東信貴鋼索線車両 - 三郷町公式ホームページ

近鉄 生駒鋼索線 コ1形(コ1) 生駒山麓公園内

生駒山麓公園内のコ1型
コ1型の説明板

日本最初のケーブルカーとして1918(大正7)年に開業した、近鉄生駒鋼索線(生駒ケーブル)宝山寺線の車両として1928(昭和3)年に作られ「いのり」「めぐみ」と名付けられました。

その後、現在の「ブル・ミケ」の登場に伴い2000(平成12)年に廃車。「いのり」が開業当初の塗装で生駒山麓公園に保存されていますが、屋外での屋根なし状態での保存のため、塗装の剥がれ等、痛みがひどく、2026年1月現在、内部への立入りができなくなっています。

生駒鋼索線 | 近畿日本鉄道

大軌デボ1形(14号車) 近鉄五位堂検修車庫内

五位堂検修車庫の一般公開時のデポ1型

 前回の「ソムリエの風49号」でも書いた通り、近鉄は、前身の様々な会社が吸収・合併を行って現在の路線網ができています。その前身のひとつが「大軌」(大阪電気軌道)です。

大正時代の初期、大軌の上本町~奈良間の開業時に製造されたのがこのデボ1型です。生駒トンネルを越えるために当時としては強力なモーターを装備しており、戦後の近鉄発足後も活躍しましたが1964(昭和39)年に廃車となりました。

その後「あやめ池遊園地」で保存されていましたが閉園に伴い「五位堂検修車庫」に移設されました。普段は非公開ですが、車庫の公開イベントなどで見ることができます。(もう一両 デボ1型が生駒山頂付近にあるようですが私有地内なので割愛します)

大軌デボ1 | 近畿日本鉄道

以上、奈良県内の保存鉄道車両をご紹介しましたが、その保存状態は様々です。今は良好なものでもその状態を維持するためには、費用も人手もかかり継続も容易ではありません。「近代遺産」として将来に残していくためには課題が多いといえます。

最後に、これまで、紙で発行していた時代も含めて奈良の鉄道にまつわる記事を書かせていただきましたが、そろそろネタも尽きてきました(これ以上はマニアックすぎるので・・・)。この間、「初めて近鉄の謎が解りました」「記事のもっと深い内容を聞きたい」などのご質問やご意見をいただきました。ありがとうございました。今後は不定期で何か話題があれば書こうと思っています。知りたい鉄道ネタ等のリクエストがございましたら、広報Gまでご連絡ください。 (広報グループ:小林 誠一)

若林稔著『昭和二十年から三十年代の 今井町の商い』(自費出版) 頒価 1,000円(税込み)

2025年8月、当会会員の若林稔(梅香)さんが、B5版44ページの冊子を自費出版されました。ご自身のFacebookには、〈この本で書いている頃の今井町は、商店が300軒を超えて商いをしている商店集団の町の様子です。近隣の人たちが、買い物かごを下げて往来をされた商店の町の様子を記録しています〉(25.9.26付)。

ウチの親戚の澤井薬局(本町筋)も、南都銀行畝傍支店(北尊坊通り。もと畝傍銀行本店で今は橿原支店と共同店舗化)も、ちゃんと載っていました。読んでいてふと「そういえば、ずいぶん以前、畝傍支店に勤務していた先輩が、南都銀行の社内報にこの町のことを書いていたな」と思い出し、社内報編集部にムリをお願いして、探していただきました。

そこには、〈支店の隣には『八方元』という茶舗があり、店先には数百年の歴史を数えて余りある古い壺が、うすら埃(ほこり)の中に並べられています。これらが店の主人であるおばあさんとうまく調和しているのです〉(1979年7月号)とありました。

「数百年とは、また大きく出たな」(笑)と思いましたが、屋号の「八方元」の読み方も意味も分かりません。本書にはお店の写真が出ていて、「八方元 山本茶舗」という看板も写っています。「四方」という姓は「よも」と読みますが、「八方」だと「やも」なのかな、と考えましたが、どうも自信が持てません。そこで若林さんにお尋ねしました。若林さんは早速、ご当主(山本家に嫁いでこられた1944年生まれの女性)に聞いてくださいました。

結果、〈山本家の祖は後醍醐天皇が賀名生に南朝の宮を置いたとき、従者の一人としてお仕えし、天皇が吉野に遷都される折にも随行したが、中増(なかまし=大淀町にある茶の名産地)まで来て足を痛めたため、中増に居着き茶舗を生業とした。その茶舗に高取城主の植村公から八方元(やまもと)の屋号を賜った。今井の茶舗は中増の分家で、八方元山本茶舗を名乗ってきた〉ということが判明しました。茶舗の屋号から、後醍醐天皇、南朝、高取城主までが一本の線でつながりました。

さらに、こんな話も若林さんから伺いました。江戸時代の話ですので本書には出ていませんが、今井町の「惣年寄」ナンバー2だった尾崎家(塩販売業。大地主で大名貸もした)の支店が、江戸にありました。それが1657年の「明暦の大火」で焼け落ち、苦境に立たされます。しかし今井町を治めていた代官からは、「そのまま、惣年寄の職を継続して良い」とのお達しがあったそうです。全く今井町は、知れば知るほど面白いです。

本書は一冊1,000円(税込み)。今井町町並み保存会の事務所、今井まちや館、華甍(はないらか)で購入できます。若林さんへの直接のお問い合わせは、「syodou-yamakitiman@nifty.com」へお願いいたします。
(鉄田憲男)

会報紙「ソムリエの風」も2011年11月18日に創刊号を発刊以来14年の年月が経過し、本号で50号を迎えることができました。心よりうれしく思っています。会としての日々の活動やトピックス・ニュースを中心に情報をまとめお届けしていますが、今では会報紙自体も紙媒体からネット社会相応のデジタル媒体に変化し、パソコン・スマホ携帯でいつでもどこでも閲覧できるよう進化しました。
そのおかげで50号記念として今回取り上げた「お気に入り仏像ランキング」のアンケート結果もグラフ化して視覚的にお見せすることもできています。どうですかみなさんお好きな仏像はBest10に入っていましたか?いろんな企画やアンケートを実施したい時は遠慮なく各グループ担当の広報担当にお声がけください。
さあ、いよいよ2026年度は設立15周年です、いろんなイベントも企画されています。広報では15周年記念誌の発行に全力を注いでいます、情報提供よろしくお願いいたします。

 (広報グループ:吉川和美)

(広報編集者)東・礒兼・井原・今中・風間・柏尾・佳山・窪田・小林(誠)・阪本・島田・中村・野原・廣岡・福岡・二上・藤崎(俊)・藤田・松原・松森・吉川