WEBソムリエの風
52号 令和8年(2026年)9月7日


目次
- 7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録されました!
- 新入会員自己紹介
- グループからのトピックス「柿の葉寿司とかき氷」
- 奈良まほろばソムリエ奮戦記「『飛鳥・藤原の宮都』登録」
- みんなの広場「太宰府の地より」
- シリーズ「豊臣秀長」
- シリーズ「おすすめのミュージアム」
- シリーズ「奈良の自然を楽しむ!」
- おすすめの本
- 編集後記
7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録されました!
前号で「世界遺産に王手!」と紹介した飛鳥・藤原の宮都が、2026年7月26日(日)、正式に世界遺産に登録されました、おめでとうございます! これで奈良県の世界遺産は4件となり、日本でダントツの件数を誇ります。
早速ガイドグループでは「荘厳なる山田寺跡と石川麻呂の物語」(11/7)というツアーの募集を9/15(火)からスタートさせるとともに、他のグループでも、これに関連する講演・講座の実施を準備中です。



今回の世界遺産登録を目前に、第3回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」でただ1人「上級」に合格された橋本厚さん(=写真)が、7月6日(月)「飛鳥・藤原と東アジア~仏教伝来前夜を中心に~」の演題で、「奈良シニア大学IN東京」(会場=奈良まほろば館)で、講演してくださいました(当会創立15周年記念の寄付講座として)。
受講生からは「大陸ー半島ーヤマトとダイナミックに生き生きとした話で、ワクワクしました」「内容が濃かったので、3回くらいに分けてじっくり聞きたかったです」などの声が寄せられました。
(専務理事 鉄田憲男)
第7回「ゆきまるQ」(王寺町クイズ大会)が盛大に開催!

7月25日(土)13時~、当会と王寺町観光協会の共催による「ゆきまるQ」が、今回も盛大に開催されました。今回は「大人チーム」が大いに力を発揮し、決勝戦では、「東横INN 奈良王寺駅南口」「王寺観光ボランティアガイドの会」「奈良交通」の3チームが15問中11問を正解して同点に。
延長戦の末、「東横INN 奈良王寺駅南口」が見事、初優勝を飾りました。
この模様はKCN(近鉄ケーブルネットワーク)の番組「Kパラ!」(8/18放送)でオンエアされるとともに、動画配信されています。ぜひ、熱戦の様子をご覧ください。

新検定テキスト編集委員会が、ひとまず終了

昨年7月から開催してまいりました新検定テキストの編集委員会、第一次原稿がほぼ固まったことを受けて、26年8月29日(土)にて、ひとまず終了といたしました。今後は編集委員の石田一雄さんと鉄田が再チェックし、編集作業を進めてまいります。皆さんのご協力に、感謝いたします。
不空院の定点ガイドに、たくさんのご応募をいただきました!

毎年春と秋、恒例の「不空院」(奈良市高畑町)の定点ガイドに、今秋は特にたくさんのご応募をいただき、一部の方には来春に回っていただくこととなりました。今回からは「ガイドマニュアル」も作っていただきましたので、今まで以上にスムーズにガイドしていただけると思います。


定点ガイドは、ソムリエ資格がなくても、ガイド経験がなくても、どなたでもトライしていただけます(謝金は、昼食代および交通費として1日3,000円)。なお説明会への出席は、必須ではありません。これからも、特に初心者の方のチャレンジに、期待しています。
奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」(第3木曜日17時半~)をご視聴ください!

2019年9月から、当会会員が交代で出演している「ゆうドキッ!」(奈良テレビ放送)、今も息長くレギュラー・コメンテーターを継続しています。会員が登場するのは、60分番組前半のうち15分です。視聴可能地域(奈良県全域、京都府南部、和歌山県北部)の方は、ぜひご視聴をお願いいたします。
新入会員自己紹介
2026年度に「奈良まほろばソムリエの会」に入会された42人の方々からメッセージを頂戴いたしましたので、ここに紹介させていただきます。※コメントは原文のまま掲載しています。
既に、グループに参加し、活動をされている方も多数おられ、その活動エネルギーには大いに期待されるものがあります。みなさんよろしくお願いいたします。
赤松健(アカマツケン) 奈良市
1951年生まれの75歳です。保存継承班を希望しました。自身の社会貢献として、大切な歴史・文化遺産の保存・継承に役立ちたいと思っています。知らない事が多々ありますが、先輩方のご指導を宜しくお願い申し上げます。
赤松浩子 奈良市
出身は香川です。引っ越した当初は、世界遺産が身近にあることが嬉しくて、県内を巡り歩き、万葉集ファンになりました。会の活動に参加し楽しみつつ奈良に貢献したいと思っています。
浅野郷子 生駒市
明日香村に友人ができたことをきっかけに、大和の歴史と文化の奥深さに魅せられました。二度目の挑戦で奈良まほろばソムリエに合格。地元奈良の魅力を多くの方に伝えていきたいと思います。
飯田浩美 大阪府松原市
大阪府松原市在住の地方公務員で、歴女・スー女・山女です。磐座、古墳、石造物、古代史の豪傑が大好きです。合格までずっと支援してくださった東エリアのOさん、ありがとうございました。
稲富雄一郎 熊本県
熊本から5度目の挑戦で合格しました.お気に入りは秋篠寺伎芸天さま,新薬師寺薬師如来さま,興福寺羅睺羅さまです.本会での活動を通じて,私を癒やしてくれた奈良を守るお手伝いが少しでもできますなら幸いです。
裏猛(ウラタケシ) 奈良市
大阪から奈良に移住して30年。勉強の中で、近所にある幾つもの魅力を発見、更にもっと知りたい思いです。ソムリエの会を通じての出会いに期待しつつ、「理系出身者が伝える奈良の魅力」についても考えたいです。
大脇亜矢子 神戸市
兵庫県神戸市の大脇亜矢子と申します。将来奈良の実家に住むことを決めた時にこの検定を取ることにしました。ちょうどこの夏から実家に帰ることになり、今から奈良での新生活と会での活動を楽しみにしています。
亀山良彦 岐阜県中津川市
中津川市で活動する「仏像探偵団」に誘われ、2013年から奈良に通い詰める自称奈良サポーターです。軽い気持ちで始めた検定も、ソムリエ級のゲット迄はイバラの道でした。ガイドGと保存継承Gで奈良を盛り上げたいです。
川西充 大阪市城東区
私は特に奈良の古代史に興味があり、なぜ葛城地域に出雲の神が祀られている神社が多いのか?の疑問を振り出しに大和出雲族と原始ヤマト政権成立の関係性、その経緯に興味深々。歴史事実を探りたいと思っています。
菊池薫 奈良市
古代史や考古学が好きで、奈良に住むことが長年の夢でした。その夢が叶い、今は奈良県に住んでいます。遺跡や寺社がさりげなく存在する奈良の風景と、ゆったりとした穏やかな時間の流れる佇まいが大好きです。
喜多裕 橿原市
八木出身、大学・就職ともに県外、機械メーカーの技術職で、奈良の歴史文化とは疎遠でしたが、古墳や城、明日香の風景が好きで時間があれば巡っていました。4年前に退職し、ソムリエのテキストブックと出会い、奈良をもっと知りたいと受検を決意しました。地元なのに知らないことばかりで戸惑いましたが、受検講座に通い講師の方々の励ましにより合格できました。ソムリエの会で更に知識を深め、ご恩返しできるよう頑張ります!
葛本美智子 大阪市
大阪に住んでいますが奈良が大好きで勉強をしてきました。諸先輩方のご指導を受けながら、楽しくインプットとアウトプットをしていきたいと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。
窪田忍(クボタシノブ)奈良市
名前で男性と思われがちですが、姫路生まれ、大阪育ち、奈良に住んで40年を経てなお、“大阪のオバちゃん”です。奈良博、朱雀、そしてソムリエの会で、奈良を深く学び、奈良の魅力を伝えたいきたいと思います。
藏野信行 奈良市
大阪府出身、奈良に住んで40年目。趣味は写真(フィルム・デジタル)、バイクツーリング、ウォーキング(東海道五十三次踏破)。「朱雀」で得た経験を「ソムリエの会」でご指導頂き活動の幅を広げて行きたい。
小林和能 奈良市
出身は三重県四日市市、奈良市に住んで35年余り。後期高齢者3年目、今も年に数回、妻と一泊2日の夕食・朝食バイキング食べ放題旅行を楽しむ。会での活動を通して役割を分担し、“奈良通”度をもっと深めたい。
河野滋彦(コウノシゲヒコ)奈良市
赤ん坊の頃に越してきて六十有余年奈良市在住のため、自然と郷土愛が身につきました。
中学から始めた登山で県内の山は詳しいのと、興福寺職員(御朱印書き)なのでこの寺のことは事情通なのが強みです。
駒田和久 奈良市
全国転勤の多い会社で定年を迎え、「終の棲家」として奈良に来て5年が経ちました。余裕のできた時間で、御朱印集めに嵌った際に手にした「奈良百寺巡礼」の「あとがき」に当会の紹介があり、誘われるように今回の入会に至りました。始めは試験勉強が「知識の補完」程度にと思っていましたが、今では奈良にどっぷりはまっています。これからは皆様と共に楽しく勉強できればと思います。好きなものは、葉巻とスコッチです。
菅野裕士(スガノヒロシ)愛知県 安城市
定年退職後、毎日遊びほうけている免罪符として桜井市でガイドを始めて3年目になります。その流れでソムリエ検定に合格できましたので、今後はこちらの会で活動の幅を広げていきたいと考えています。
髙松和代 御所市
御所生まれ御所在住で、4年前から明日香村ボランティアガイドをしています。忘却との戦いの中、これからは奈良県全体の知識を深めたいです。かるたサークルに興味深々です。
田口有希子 奈良県
奈良県に住んで44年が経ちましたが、本格的に向き合ってまだ3年で、歴史の重みに圧倒されるばかりです。諸先輩方から学びながら、そして楽しみながら奈良への知識を深め、魅力を伝えていきたいと思っています。
田中尚夫 生駒市
はじめまして。奈良の歴史、史跡、文化財の魅力に惹かれ入会することが出来ました。活動を通して見識を深めながら、奈良の魅力を伝えていけたらと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
谷奥吉康 相楽郡精華町
現在は京都府民(相楽郡精華町在住)ですが、奈良県生まれの奈良県育ちです。歴史や美術が好きで、県内の美しいもの・楽しいことを探して伝えることができればと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
出村千賀子 生駒市
幼い頃の家族の思い出がいっぱい詰まった奈良の地で、ソムリエの会の皆様の奈良愛に刺激を頂きながら、今後は外国の方や若い世代に奈良の魅力を伝えていけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
仲谷哲也(ナカタニテツヤ) 藤井寺市
既に講演講座グループで奈良検定受験講座のスタッフとして活動しています。
1級対策チームのメンバーにも加わり、これから1級、ソムリエ級を目指す方々のお役に立てるよう微力ながら頑張っていきます。
中西繁 生駒市
生駒市の中西繁です。今年は”飛鳥の世界遺産登録”も控えており、奈良への関心はより一層高まります。奈良県人として自然・歴史・文化・社寺などの情報を発信できるよう、ブラッシュアップします。
中橋洋一 大和郡山市
奈良県のタクシー業界に携わり、現在は運行管理者として配車及び観光研修業務などを担当する中橋です。昨今インバウンド観光の増加が著しく奈良の魅力をもっと広く深く発信出来ればと思い入会しました。
長谷川茂 葛城市
認知症予防にと、退職前からピアノを始め、退職後は仏像彫刻に没頭していました。仕事での思いが深い阪神大震災が30周年を迎えるのを前にした二年前、防災士に挑戦。年甲斐もなく向学心?に火がついた次第です。
早川安英 八尾市
私は、昨年会社を退職し、古代史を勉強したいと思い、3年前に、まず奈良のことを知るために奈良シニア大学に入学し、一方で奈良検定にも挑戦し、この度ソムリエ級に合格しました。これからは、奈良の歴史の語り部になるため、ガイドグループに入った次第です。
巴山幸恵(ハヤマユキエ) 池田市
軽い気持ちで挑戦したソムリエ検定ですが、奈良の魅力にどっぷりとハマってしまいました。奈良に行ってみたいけどよくわからないとよく言われます。そんな人たちに奈良の魅力をどんどん伝えていきたいと思っています。
廣瀬勝 京都市山科区
はじめまして、廣瀬勝と申します。京都市山科区在住です。よろしくお願いします。検定テキスト掲載の一部の古墳は行き方がわからなかった経験から、古墳のデータベースがあればいいなと思います。
藤村佳嗣 奈良市
奈良のことはほとんど知らなかった、奈良生れ奈良育ちです。奈良のことをよく知ろうとソムリエの勉強を始めました。今後、ソムリエの会の活動を通じて、奈良の魅力を伝えられる「奈良通」になりたいと思っています。
堀木昌彦(ホリキマサヒコ)生駒市
生駒市在住の堀木昌彦です。奈良まほろばソムリエ検定受験を契機に奈良県内の神社仏閣を訪ね回っています。昨年まで勤務した大阪府文化財施設での経験を活かし奈良県の魅力を多くの人に伝えてまいりたいと思います。
丸山章 大和郡山市
生まれも育ちも郡山。金融機関勤務を経て、郡山の町おこし活動に参加。現在、公民館歴史講座講師、観光ガイド、金魚マイスター他をしています。奈良県史等に興味があります。
三島亮彦(ミシマアキヒコ) 福山
奈良でサイクリング&フォトを行っていて歴史・建築・仏像等に興味が湧き、ソムリエを目指すこととなりました。奈良グルメも大好きで、奈良の地酒は全酒蔵制覇しました。いつの日か奈良へ移住したいと思っています。
宮武 里絵 西宮市
一言で「奈良」と言っても、その魅力は多岐で深い。仏像好きが高じて、博物館から寺社へ、其々の縁起や来歴等を通じて広く仏教へ。人々の興味の先を案内できる一員となれる様に入会しました。宜しくお願い致します。
森田政己 王寺町
王寺町へ引越して30数年、退職後に知った奈良の魅力に夢中です!地元のボランティアガイドや歴史研究会で活動をしています。これからも多くの人と語らいながら、奈良の良さを楽しく発信できればと思います。
山中輝明 橿原市
66才です。休日には飛鳥川沿いを飛鳥や斑鳩方面へサイクリングしております。寺社や遺跡巡りと鉄道が趣味です。県内外の人に奈良の魅力をより深く広く伝えられるよう学んでいきます。
横井明弘 生駒市
はじめまして、生駒市に住んでいます。仏像と古いお寺が好きで奈良に来た事を定年後再発見しました。会を通じて多くの人に奈良のお寺と仏像の素晴らしさを知っていただきたいと思います。
吉浦文音(ヨシウラアヤネ)京都府京田辺市
私は大学で文化財を学んでおり、特に保存科学に興味があります。奈良の豊かな自然と歴史ある文化財の魅力を感じ入会しました。本会での活動を通して、文化財を後世へと継承するお手伝いができればと思います。
吉田勝彦(ヨシダカツヒコ)生駒市
生駒市在住の吉田勝彦です。一昨年から地元の観光ボランティアガイドをしています。今後は、ソムリエの会の皆さんと一緒に奈良の魅力を発信し、また講座の講師にもチャレンジしたいと思っています。
余力謙司(ヨリキケンジ)斑鳩町
退職を機に地元と関わりのあることに従事したいと思い、法隆寺と奈良のガイドを始めました。ソムリエ入会後は奈良県全域のガイドが出来るようになりたいと思っています。
和田俊郎 河合町
私は4年前に奈良に引っ越し、奈良を知るために入ったシニア大学の級友と奈良検定を受け、皆様のお陰様で合格する事ができました。
今後は更に奈良の歴史、文化を学び、ガイドとして活躍したいと思っています。
グループからのトピックス
奈良のうまいもの~柿の葉寿司とかき氷~
令和8年6月7日(日)、平宗法隆寺店にて、啓発サークル企画による「奈良のうまいものを極める会」を開催しました。
平宗さんは、有名な老舗の柿の葉寿司メーカーであることは言うまでもありませんが、代表の平井宗助氏は、奈良に「かき氷」という新しい食文化を生み出した方としても有名です。
氏のプロデュースによる「ほうせき箱」は、全国各地からかき氷ファンの若い女性が集まる有名店になっています。
この度、平宗法隆寺店が改装され、柿の葉寿司作り体験をさせていただけるとのことで、早速お邪魔しました。

柿の葉寿司
柿の葉寿司は、いまでこそ、お店で買うものになりましたが、元々は五條や吉野地方の家庭で作られていた郷土食です。
私は、奈良県五條市の出身で、子どもの頃、夏のお盆休みなどには、家で柿の葉寿司を作るのが普通でした。本格的な作り方だと、塩サバを買ってきて捌くところから始める家もあるでしょうが、我が家では、さすがに魚を捌くことまではせず、近所の魚屋さんに頼んで、柿の葉寿司用にスライスしてもらっていました。柿の葉は、庭にある木から摘んできていたのか、あるいは近所の方にいただいたのか分かりませんが、買ってきたものではなかったと思います。お店の柿の葉は塩漬けにして1年ほど寝かせたものを使う直前に塩抜きをして使うそうですが、我が家の柿の葉はけっこう青々としていましたので、木からそのまま摘んできたのだと思います。
お寿司の作り方はシンプルです。ご飯を多めに炊き、酢飯を作り、ご飯を握り、魚を乗せて、柿の葉でくるくると巻き、木箱に詰めていきます。一杯になったら、重しをします。そして、少し時間を置くのが美味しい寿司になるコツなのですが、待ちきれずに、できた端から食べていた記憶があります。今は断然サバの方が好みになりましたが、子どもの頃はサバより鮭が好きで、包みを開けてサバだった時は、そっと元に戻したり。
そんなことを懐かしく思い出しながら、平宗さんの体験に臨みました。
平宗の歴史
まず最初に、平井社長から、柿の葉寿司や平宗の歴史についてレクチャーをしていただきました。
平宗は、江戸末期文久年間の1861年、吉野の上市に創業との記録があるそうで、160年以上の歴史を持つ老舗です。
最初は川魚、すしなどを製造販売し、その後、鮎料理やすしなどの料理旅館となりました。料理の一品として郷土料理の柿の葉寿司を提供していたのですが、明治になってから駅弁を手始めに柿の葉寿司を販売するようになったそうです。
現在では、柿の葉寿司を家で作る人は少なくなり、メーカーさんの商品を買うことが多くなりました。「ゐざさ中谷本舗」、五條の「たなか」、「ヤマト」と「平宗」の4大メーカーで、市場の大半を占めています。
使用される柿の葉は、お寿司専用に葉だけを農家の方に作っていただいているとのこと、柿の実を育てると葉は育たないと聞いて、なるほどと感心しました。

さて、お話をうかがった後には、いよいよ柿の葉寿司づくり体験です。机の上には、スライスしたサバと鮭、ごはんと柿の葉、お持ち帰り用木箱が用意されています。
我が家では、ご飯の上に先に魚を乗せていましたが、平宗さんでは、柿の葉にまず、魚を置き、ごはんを反対向きに乗せて、くるくると巻くとのこと、真ん中にご飯が来るようにやってみるのですが、これが意外と難しい。食べるときに見たら、少し偏っていましたが、おいしかったのですべてよし!

皆さん、真剣な面持ちで、柿の葉寿司を巻いていきます。サバが4個、鮭が4個、専用の木箱に入れて、しっかりと輪ゴムで固定し、押しをかけました。1日寝かすことで美味しくなるとのことで、これはお土産としてお持ち帰りです。今年限定の特別バージョン秀長さんのイラスト付き包装紙で包めば、まるで売り物のようだと自画自賛です。


体験が終わると、柿の葉寿司を含め、三輪そうめんなど「奈良のうまいもの」のたくさん入ったランチをいただきます。飲み物も「古都華サイダー」や「富有柿サイダー」などが用意され、まさに「奈良のうまいもの」を味わうことができました。

かき氷
豪華なランチの後には、平井社長肝入りのかき氷です。
「平宗法隆寺店」では、今回のリニューアルを期に、「ほうせき箱」監修のかき氷をいただくことができるようになりました。
法隆寺だけに、その名も「柿氷」。また、以前からも人気だった「柿ヨーグルト」も提供されています。今回は、特別にハーフバージョンでお願いし、好きな方を選びました。


柿の葉寿司とかき(柿)氷、奈良の新旧のうまいものを堪能し、皆、満足して帰っていただきました。
次回の「うまいものを極める会」もぜひ楽しみにしていてください。
(啓発サークル 西橋奈穂)
奈良まほろばソムリエ奮戦記
「飛鳥・藤原の宮都」登録
今回の「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録の構成資産は19資産。そのうち14もの資産を有するのが明日香村です。「飛鳥・藤原の宮都」登録に該当する市町村の中で人口規模の一番小さいのも明日香村です。7月26日小さな明日香村が世界遺産登録で湧きました。その明日香村の文化財課長として、世界遺産の登録最前線で奮戦されたのが、明日香村参事の小池香津江さんです。小池香津江さんにお話を伺ってきました。


(1)小池さんが歴史に興味を持った経緯
子供の頃から「大河ドラマ」大好きで家族でよく見ていたようです。そして子供の頃に出会った漫画が、山岸涼子の『日出処の天子』。もしかしたら同じ…と同意される会員もいるかも知れません。奈良まほろばソムリエの会の会員とかなり共通するお話ですね。
出身の長野県の考古学と言えば茅野市の尖石や土偶(縄文のビーナス)に代表されるような縄文時代が主体です。少し違うと感じて、勉強するならばと奈良に来られたようです。専門は弥生時代で、後に橿原考古学研究所に入所。奈良県内…桜井市、三宅町、宇陀、吉野などあちらこちらの発掘作業を行ったとお聞きしました。また橿原考古学研究所附属博物館でも5年ほど勤務されたとのことでした。
(2)世界遺産に関わるまで
小池さんは橿原考古学研究所の職員=県の職員ですので、定期的に文化財行政事務に関わります。文化財保存課に所属し、2010年辺りから世界遺産と関わり、「法隆寺」「古都奈良」「紀伊山地」などの世界遺産とも関わっています。その後、知事部局の世界遺産担当となりました。「飛鳥・藤原」が暫定リストに載ったのは2007年です。暫定リストに掲載された後の担当ですので、暫定リストとは直接は関わってはいませんでした。
(3)「飛鳥・藤原」当初の苦労
飛鳥と言えば時代区分として一つの時代を築いた時代。多くの遺跡があり…簡単に世界遺産登録されるという雰囲気がありました。「法隆寺」「古都奈良」「紀伊山地」が比較的速やかに登録が進んだ経緯もあり、かなり楽観的な予測があったようです。ところが「飛鳥・藤原」に比べて、知られていない地域の候補地が、日本の世界遺産として登録されていきます。「飛鳥・藤原」は観光地として、既に知名度があったのですが、存在するのは「礎石」や「柱穴」などの埋蔵物ばかり。深い歴史と伝承や記述がたくさんあるのに、現物がない。この辺りが意外と苦労された経緯のようです。国内だけではなく海外(中国や韓国、その他欧州)の専門家とも交流を重ね対策していきました。
登録基準(評価基準)に関しては、当初から東アジア圏内文化的交流の(ⅱ)と中央集権体制を築く宮都の変遷の(ⅲ)をイメージして、それはそんなにぶれずに進んでいったとのお話しでした。
(4)明日香村の職員
2020年に小池さんは県から明日香村に派遣されました。国からは作田さんが明日香村に派遣されています。
派遣された当初の数年は、村の方たちの世界遺産の反応が非常に乏しいことに苦労されたようです。「世界遺産」の講習会を小池さんと作田さんで村の中央公民館のホールで実施したところ、参加人数があきれる程に少ない状況でした。
ところが、世界遺産登録推薦が決まってから徐々に関心が高まり、ICOMOS勧告以降、そして登録前後どんな講座も満席状態。世間の関心も村民の関心も急激に上がっていきました。本当に世界遺産効果ってすごいと実感されたようです。
(5)船頭多く
「飛鳥・藤原の宮都」の遺跡に関しては、国で言えば文化庁や国交省、宮内庁、地方行政で言えば、県、橿原市、桜井市、明日香村、その他いろんな団体の利害がからむところもあるようでした。けんか腰のような打合せもあったようです。目的が同じなので、立場は違っても最後には協力体制ができたとのことでした。
(6)今後
世界遺産には、持続可能な「保存、保全」と「活用」の両立という課題があります。
「保存、保全」には行政や専門家によるものと、地域住民や来訪者の意識(敬愛の心)の向上が必然となってきます。また「活用」は観光資源としてだけでなく地域振興や教育における活用により、保存や修理に掛かる費用や人材などを持続的に生み出すしくみ作りが必要となってきます。「文化財担当としても行政としても、まだまだこれからが大変なのです」と少し厳しそうな表情をされました。
最後に小池さんの方から「人との関わりの最前線にいる人々や団体の方々のご理解と奮戦も、期待しています」との言葉も頂いています。
(広報グループ 福岡 康浩)
みんなの広場
史跡探訪サークル所属の原統一(のりかず)さんに、遠く太宰府の地から日頃の活動ぶりをレポートしていただきました。太宰府と奈良とのかかわり興味深いですね。奈良県内だけの探求にとどまらず日本全国にある奈良(ヤマト)の痕跡をひろく見ていくのもより深く奈良を知るうえで面白いと思います。
(広報グループ 吉川和美)
太宰府の地より 大宰府史跡解説員:原統一
こんにちは。大宰府(注1)史跡解説員の原統一です。福岡生まれ福岡育ちです。現在は大宰府政庁跡から、歩いて10分ほどの所に住んでいます。
政庁跡そばに大宰府展示館があり、そこに私の所属する公益財団法人古都大宰府保存協会の事務所があります。保存協会は昨年度、創立50周年を迎えました。
活動内容は大宰府の史跡案内です。太宰府の展示施設(3つ)、政庁跡・観世音寺などのフィールドワーク、その他諸々です。大人・学生の案内はもちろんですが、特に小学4年生の政庁跡案内が多いです{小学社会4年生の教科書(教育出版)に活動のようすが掲載}。
とはいえ、太宰府天満宮の観光客の多さには到底かないません。道真さん、人気ありますね。もともと、大宰府政庁跡が歴史のメインと思いますけど、政庁跡はまだまだ人が少ないです。令和の元号が決まったときには、さすがに来客は多かったのですが、その後、コロナ禍で訪問客は以前に戻りました。

奈良と太宰府は今でもとても深い関係です。奈良市とは友好都市ですし、また、歴史上いろんな方が来られています。斉明天皇・中大兄皇子・粟田真人・大伴旅人・山上憶良・小野老・吉備真備など限りがありません。
- 斉明天皇・中大兄皇子は白村江の戦いのため、福岡の地に来ています。中大兄皇子(天智天皇)は大宰府観世音寺の創建を指示しました。
- 粟田真人は大宰府の条坊制の建設に携わります。ただ、1辺2kmほどで、平城京より小さいです。
- 大伴旅人は大宰府の帥として赴任し、「令和」の元となった梅花の宴を主催しました。
- 山上憶良は筑前守(国府は大宰府)で、大伴旅人とともに大宰府でも活躍しました。
- 小野老は大宰少弐として赴任し、「あおによし・・」の万葉歌を大宰府で詠んだと言われています。
- 吉備真備は大宰府の学校院を整備しました。また、怡土(いと)城を建設しました。
その他、玄昉は観世音寺で亡くなっていますし、鑑真も観世音寺に立ち寄っています。
その後の太宰府も重要な歴史があります。奈良とは少し離れますが、簡単に紹介します。
菅原道真が流されてきたことはご存じの通りです。足利尊氏は室町幕府を開く直前、太宰府にいました。幕末、三条実美も太宰府天満宮で3年ほど過ごしました。


もし、太宰府へ興味を持って下さったら、太宰府へ来て頂けると幸いです。案内いたします。
私が案内するとき、心がけていることがあります。
まず、笑顔です。お客様に安心感を与えます。そして皆さんに聞こえる大きな声です。もう1つ、時間を守ることです。
ソムリエの皆さんも、同じようなことを心がけていらっしゃることと思います。私はこの3つのうちで、時間を守ることが一番苦手です。声の大きさは場合によりますね。室内の案内では大きな声は禁物です。でも、油断するとすぐ出てしまいます。私は九州国立博物館で展示解説も行っていました。ついつい大きな声が出てしまって(熱弁?)注意を受けたことが何度もあります(笑)。
(注1「大宰府と太宰府」の表記の違い)
太宰府と大宰府の区別はなかなかわかりづらいものです。大宰府は古代役所に関する事項、太宰府は太宰府市や太宰府天満宮など一般的なものに使います。
(史跡探訪グループ 原統一)
シリーズ「豊臣秀長」
シリーズ豊臣秀長もいよいよ最終回を迎えました。最終回では、秀長公の死とその後の時代についてお話したいと思います。
【秀長公の葬儀】 葬儀には20万人の人々が参列
秀長公は1591年1月22日大和郡山城で51歳で亡くなりました。葬儀は2月に大和郡山城で執り行われましたが、親族や諸大名、大和国の各寺院の僧侶に加え、領民など非常に多くの人々が駆け付け、その参列者は20万人にも及んだと記録されています。葬儀では、千利休の師で秀長公とも交流が深かった大徳寺の住職・古渓宗陳(こけいそうちん)が導師をつとめました。古渓宗陳がしたためた「引導法語」には、『徳は文武を兼ね(文武両道の人)、道は君臣合す(家臣とは厚い信頼関係)、威ありて猛からず(権威はあるが威張らず)、靄然して仁有り(穏やかで思いやりがある)』とあります。同じく古渓宗陳が秀長に授けた戒名位牌には、『大光院殿前亜相春岳紹英大居士』と記され、「春のように暖かく穏やかな人柄で、険しい山のような厳しい人生を歩み、豊臣家に大繁栄をもたらした」との意味が込められています。以上のことから考えますと、秀長公は戦国大名の中で、類まれなる人格者として誰からも愛される存在であったことが判ります。
【秀長公の墓所と菩提寺】 大納言塚と春岳院
秀長公の墓所は、郡山城の南西方向約1.6km、現在の箕山町にあります。秀長公は病死後にここに埋葬されました。第1回目でご紹介した大納言塚と呼ばれるこの墓所は、1777年に郡山町民の協力により土塀が整備され、中央には高さ2mの五輪塔が建立されました。また、秀長公の没後まもなく、墓所の南には、菩提寺として大光院が建立されました。秀長公のあとは甥で養子の秀保が二代目城主となりますが、1595年十津川で温泉療養中に急死します。これにより大和郡山秀長家は断絶となり、五奉行の一人増田長盛(ましたながもり)が郡山城主となりますが、長盛の時代には、秀長公の墓所・菩提寺とも手入れが行き届かず荒廃していきました。そこで、立ち上がったのが「道は君臣合わす」主従の代表格で家老として秀長公に仕えた藤堂高虎です。高虎は、大光院を京都の大徳寺の塔頭として移し替え、秀長公の位牌を鎌倉時代創建の古刹東光寺に預けるとともに、墓所大納言塚の管理も同寺に託します。それは1599年、天下分け目の関ケ原の戦い前年のことです。東光寺は、以降、秀長公の戒名にちなみ春岳院と名前を変え、秀長公の菩提寺となりました。


【秀長公の肖像画と木像】 時代を超え愛されてきた秀長公
春岳院には、秀長公の位牌の他に、1788年秀長公の200回忌を前に柳沢藩3代目藩主柳沢保光公が狩野派の絵師の梅軒員信(ばいけんいんしん)に描かせた肖像画があります。秀長公の肖像画としては、亡くなって間もない安土桃山時代に描かれた肖像画が、大徳寺大光院と長谷寺に残されてますが、いずれも口ひげ・長い顎鬚・もみあげがある柔和で素朴なお顔の秀長公です。それに対し春岳院に残る肖像画は口ひげを左右に分け整え、顎鬚が短く・もみあげが無い威厳に満ちたお顔の秀長公です。描かれた前年1787年が天明の大飢饉で、荒みがちだった人心を和らげるために、200回忌を前倒しで行い、当時もなお人々に慕われていた秀長公の肖像画を力強く威厳ある姿で描かせたのではないかと想像します。春岳院には、1989年に秀長公400回忌を前に郡山市民の浄財を集めて作られた秀長公の木像(奈良教育大学小川清彦先生による)も位牌の横に安置されています。秀長公は、江戸時代に入っても、そして現在に至るまで時代を超えて慕われ愛され続けてきた人物であると言えるのではないでしょうか。


【秀長公亡き後の豊臣一族】 豊臣一族の不幸の連鎖
1591年秀長公死去 千利休切腹、秀吉嫡男鶴松の死
1592年朝鮮出兵開始、大政所の死、豊臣秀勝死去
(1593年豊臣秀頼誕生)
1595年豊臣秀保急死、豊臣秀次切腹
1596年慶長伏見地震で伏見城倒壊
1598年豊臣秀吉死去
1615年大坂夏の陣で豊臣秀頼死去・豊臣家滅亡
秀長公の死を契機に、豊臣一族には次々と不幸が襲いかかります。ある意味、秀吉が自ら招いた不幸の側面も大いにあると言えますが。姉のとも(NHK大河ドラマでは宮沢エマ)の子、秀次(切腹)、秀勝(朝鮮出兵で病死)、秀保(十津川で温泉療養中突然死)の三人が次々と亡くなります。恐らく、秀長公が存命であれば、これらの不幸はなかったかも知れません。
秀長公の側室だった光秀尼は1622年、秀吉の正室ねね(高台院)は1624年に亡くなり、不幸に散った三兄弟の母とも(日秀尼)は1625年に天寿を全うします。それぞれ豊臣の天下統一の栄光から大坂夏の陣での滅亡まで見届け、その後尼としてどのような思いで余生を送っていたのか、心情を察するに余りあります。
【秀長公の家臣団のその後】 徳川家康に味方した秀長公家臣団
・藤堂高虎(1556~1630)
高虎は秀長公亡き後、補佐役として二代目城主の秀保を支え続けました。若い秀保の名代として朝鮮遠征にも参加しました。1595年秀保の突然の死により秀長家取り潰しとなると一旦は出家して高野山に上るも、高虎を高く評価していた秀吉に召喚されて還俗し伊予国板島(宇和島)7万石を与えられます。しかし、1598年秀吉の死去後は加藤清正、福島正則らの豊臣政権武断派とともに徳川家康に味方し、関ケ原の戦いでは東軍の勝利に大きく貢献します。そしてその後は徳川家の重臣として仕え、最終的には津藩32万3千石の大大名となりました。高虎が築いた名城の多くは日本百名城としてその名を留めています。
《藤堂高虎が手掛けた日本百名城》
江戸城、伊賀上野城、二条城、和歌山城、今治城、大洲城、宇和島城、篠山城
・桑山重晴(1524~1606)
賤ケ岳合戦で秀長軍の別動隊大将として活躍し、藤堂高虎と同じく軍事・外交面で秀長公を支え、紀伊・和泉で4万石の領主となった重晴は、秀長公の死後秀吉の直臣となりますが、関ケ原の戦いでは東軍に属し、和歌山城主として西軍から和歌山城を守りました。江戸時代に入り、長男一重の子一晴は大和新庄藩の初代藩主、次男元晴は御所藩の初代藩主となりました。
・小堀正次(1540~1604)
藤堂高虎と同じく、浅井長政家臣から秀長公に取り立てられ、検地奉行として検地をリードし財政面で秀長公を支えた小堀正次は、秀長公の死後秀吉の直臣となりますが、関ケ原の戦いではやはり東軍に属し、戦後は備中松山藩1万4千石を与えられ、幕府の検地を担当し功績を上げました。長男政一(別名小堀遠州)は、茶人、建築家、作庭家、書家として有名で、宮中や幕府関係の作事奉行として活躍しました。
・横浜良慶(一庵)(1550~1596)
秀長公より筆頭家老に抜擢され、秀長政権の財政面や寺社支配など内政面を担当していた横浜良慶も、秀長公の死後秀吉の直臣となりますが、不幸にも慶長伏見地震で圧死するという悲劇的な最期を迎えました。
・羽田正親(生年不詳~1595)
当初から秀長公に仕え賤ケ岳合戦で活躍し、軍事・内政両面で秀長公を支えた羽田正親は、小泉城主や宇陀松山城主を務めましたが、秀次事件に連座して越前国に追放となり、秀次の後を追って殉死しました。
以上、秀長公の家臣団のその後を見てきましたが、お分かりの通り、関ケ原の戦いの時点で存命だった家臣達は、最終的には東軍、即ち徳川家康に味方したことが分かります。それは、秀頼誕生後の秀長家に対する扱いに、皆我慢できなかったからだと思います。秀長公が強く反対していた朝鮮遠征の強行、秀保の葬式に秀吉が来ず「隠密に済ませろ」との指示、そして秀長家の取り潰し、阿鼻叫喚の秀次事件、増田長盛が入城後の秀長公菩提寺と墓所の荒廃。それらはすべて秀長公の生前の願いや尊厳を踏みにじるものであり、その首謀者こそ、秀吉の権力を笠に着た石田三成だと、家臣団の面々は思ったのではないでしょうか。そして石田三成率いる西軍への反旗は、今は亡き秀長公の意思でもあると確信していたのでしょう。
【本稿終了にあたり】
さて、本稿をもって、豊臣秀長シリーズは終了します。執筆に際し、子供の頃から長く住み慣れた大和郡山の城下を改めて訪ね歩き、私の中ではありきたりの大和郡山が、お宝満載のとても魅力的な町に様変わりしました。様々な発見がありましたが、その中で特に印象深かった二寺院を最後にご紹介しておきます。一つは徳川家康の絶大な信頼のもと数々の名城や建物を建築した大工棟梁中井正清が中井家菩提寺として建立したと伝わる実相寺です。本堂は江戸時代初期の建築で、平安後期の作ともみられる(1994年の調査)本尊阿弥陀如来立像や鎌倉末期の十三重石塔などの市指定文化財を有します。また讃岐地方の神社から運ばれてきたとの伝説のある天狗像が有名です。正清の父正吉は法隆寺の大工棟梁で、郡山城や大坂城の天守閣などの建築に深く関わったとされます。秀長公の郡山城天守閣の建築現場には、現場を指揮する父正吉とともに、当時20歳の若き正清の働く姿があったに違いありません。しかし、何と言っても正清の功績は、徳川家康の指名を受け、時に藤堂高虎とも二人三脚で造った江戸城や二条城などの名建築の数々です。残念ながら当時のまま現存するものは少ないものの、再建された建物から正清の偉業を推し量ることができます。
《中井正清が建てた主な建築物》
江戸城、二条城、名古屋城、駿府城、知恩院、日光東照宮、増上寺、方広寺大仏殿など

次にもう一つご紹介したい寺院は、秀長公の死を悼み当時の住職(超宗)が詠んだ六首の和歌が直筆で残されている光慶寺です。元は山城国で平安時代創建された寺院で、秀長公の入城直後の1588年に大和郡山に移転し、江戸時代は大和国北部の浄土真宗の中心道場として栄えました。本堂は江戸中期の建築で、大変迫力ある豪壮な構えです。1674年の作品である梵鐘は市指定文化財となっています。超宗の和歌は、今年春から名古屋、大阪、東京の順で大河ドラマ特別展に出展中ですが、ここでは6首のうち最初の和歌をご紹介しておきます。
なげきても其のかひ今は涙河 かへらぬ水のあはれ世の中 釋超宗
なお、6首の各最初の韻をつなぐと、なむあみだぶつ(南無阿弥陀仏)となります。


NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、この秋いよいよ舞台が大和郡山に移ります。これまでお話してきました「城主秀長公の時代」の放映が始まり、ドラマはクライマックスを迎えます。秀長公が行った箱本十三町の町づくり、大名への接待攻勢で人たらしの本領を発揮する場面、秀長が菓子職人菊屋治兵衛に作らせた餅菓子を秀吉が食べ「鶯餅」と名付ける場面などの他、母なかや姉妹の愚痴聞き役の秀長公、側室光秀尼との出会いなど、取り巻く女性たちとの関わりがどのように描かれるのかにも期待が膨らみます。
これまで4回にわたりお話してきました「シリーズ豊臣秀長」が、少しでも皆様の『豊臣兄弟!』視聴のご参考になれば幸いです。ご愛読ありがとうございました。
(広報グループ、ガイドグループ 藤田道夫)
シリーズ「おすすめのミュージアム」
【高松塚壁画館】
高市郡明日香村平田439 入館料 大人300円(詳細は本文下部に記載)
https://www.asukabito.or.jp/hekigakan.html

高松塚壁画館は高松塚古墳(特別史跡)に隣接している展示館です。
高松塚古墳の石槨の内側に描かれた壁画が発見されたのは1972年の3月。それを契機に飛鳥に古代史ブームが巻き起こり、観光客が押し寄せていました。実物の壁画は一般公開できないとの方針があり、一般の方々の理解を得るため翌年の1973年に寄付金付記念切手が発行されました。その切手の寄付金を建設費に建てられたのが高松塚壁画館です。高松塚壁画館は1976年に竣工して1977年3月から開館しました。
館内では、平山郁夫監修、守屋多々志総監督の「現状模写」「一部復元模写」及び寺田春弌制作の「再現模造模写」、実物の石槨を再現した「石槨模型」および副葬品などの出土品のレプリカを展示しています。「一部復元模写」は、今井珠泉、入江正巳、月岡栄貴、蓮尾辰雄など総勢9名の著名な日本画家たちが描いています。その画家たちが色紙に描いた絵も「一部復元模写」の下に展示しています。
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最初に描かれた模写壁画は飛鳥資料館に保管されています。
一般公開をしない方針のため、文化庁が模写作成を前田青邨、平山郁夫、守屋多々志たちに委嘱します。そして色調カードを持って高松塚古墳の石槨内に入り、画家たちの目で色を確認しました。中の壁画はすべて京都の便利堂が撮影していました。それを越前和紙に原寸大モノクロでコロタイプ印刷し、そこに胡粉を塗布して漆喰の質感を再現します。あとは、それぞれの壁画を日本画家たちが手仕事で再現していきます。
高松塚壁画館の模写壁画はその後に作成されました。
「現状模写」は平山郁夫の門下生の東京藝術大学出身の若手の画家たちが描きました。「現状模写」は既に一度経験あるため、その作業を守屋たちが忠実に教えて、最初の模写壁画に劣らない出来栄えに仕上がりました。
「一部復元模写」は、そのコンセプトから論議が起こりました。飛鳥時代当時の壁画を「再現するべき」との完全復元グループと「想像で補うのは良くない」との一部復元グループに分かれましたが、結局一部復元グループの意見が通りました。実物壁画を赤外線カメラで撮影し、その赤外線カメラの写真を元に作られたのが「一部復元模写」です。「一部復元模写」は制作未経験のため、担当したのはべテラン日本画家集団です。実物以上に実物に近い「一部復元模写」を是非ご覧ください。

「再現模造模写」制作は当時東京藝術大学教授だった寺田春弌と東京文化財研究所の岩崎友吉や江本義理などの科学者たちが担当しています。模造の石は、同じ大きさの二上山凝灰岩が入手できないため、小さめの二上山凝灰岩をつなぎ合わせ忠実に成形して制作されています。そこに漆喰を塗り、壁画を再現しています。
実物の高松塚古墳壁画は、飛鳥歴史公園内の修理施設で石ごとばらばらに平置きで保管されています。約4年間「高松塚古墳壁画保存管理公開活用施設(仮称)」の工事が続きますので実物を当分見ることができません。
高松塚壁画館は丘陵の下を洞窟のように掘って造られており、古墳に入ったような雰囲気で、立て置きの原寸大の壁画にはリアル感があります。
高松塚古墳の全貌を知るには、現在最適の展示館です。
(開館日時)
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:12月29日~翌1月3日及び4、7、11、2月の第2月曜日(祝日の場合は翌平日)
(入館料)
大人300円、学生(高校・大学)130円、小人(小・中学)70円
団体料金(10名以上) 大人250円、学生100円、小人50円
※開館日時、入館料は2026年8月現在の情報です
(広報グループ 福岡 康浩)
シリーズ「奈良の自然を楽しむ!」
第2回目は「二上山のこんな歩き方・噴火口の推定」です。
二上山は奈良県と大阪府にまたがる双耳峰で、雄岳と雌岳の2つの山頂を持ち、秀麗な山容は遠くからでもひと目でわかります。山中には古墳や小滝があり、四季折々の花も見られますが、見どころはそれだけではありません。二上山は約1500万年前に噴出した多様な火山岩類からできていて、小石を拾い、岩を見ながら行くのも興味深い歩き方です。
私のお勧めは太子町の「万葉の森」からの登山です。「万葉の森」の駐車場の真上には溶結凝灰岩の露頭があります(写真1)。二上山の凝灰岩は通常少し柔らかいのですが、溶結凝灰岩は火砕流で積もった高温の火山灰が自身の熱と重みで再び溶けて固まった岩石で、硬くなっています(写真2)。黒い縞模様は火山灰が溶けて固まる際に火山灰が火山ガラスとなり、自身の重さで堆積面に平行なレンズ状になったものです。これをユータキシティック構造と言います。


万葉の森の近くの鹿谷寺跡では通常の凝灰岩の露頭があり、これを彫り残した十三重石塔が見られます。さらに登り、岩屋峠の凝灰岩には多量の細礫が含まれていて、触ればザラザラしています。これは一度爆発があった証拠です。岩屋峠あたりで地層が変わり、馬の背から雌岳では流紋岩が見られます。二上山の流紋岩は流理構造が明瞭で美しく、見とれてしまいます(写真3)。流理構造とは流動したマグマがほぼ平行に固まり、縞模様を呈する構造です。

流紋岩質マグマは粘性が高いためあまり遠くまで流れず噴出点周辺にたまりやすいこと、この流紋岩溶岩や流紋岩質岩脈が雌岳およびその東部に分布していること、西側には火山灰が降り積もった凝灰岩があることから、噴火口は雌岳の東側付近と推定できます。この火山を二上火山と呼びます。
雄岳まで行けば黒くて硬くて緻密なデイサイトが目に入ります。これも粘り気の高いマグマが噴き出してできる岩石で、流紋岩との違いは二酸化ケイ素(SiO2)の含有率です。
一つの山でなぜこうも石の性質が違うのか? それは二上火山が何度も噴火を繰り返し、その都度異なる成分の火山物を噴出したからです。ザクロ石やサヌカイトもこうしてできました。その火山も約1000万年前に噴火活動を終え、堆積した火山噴出物が隆起や沈降を繰り返し、約200万年前に二上山の今の形になったらしいです。縄文人や弥生人もこの山を見て、美しいと思ったことでしょう。
(広報グループ 井原義二)
おすすめの本
平安時代の大祭が唯一連綿と続く春日若宮を宮司が綴る
花山院弘匡著
中央公論新社 2100円(税別)

著者花山院弘匡(かさんのいんひろただ)氏は平成20年(2008)より春日大社宮司を務めておられ、花山院家第33代当主です。本書は令和4年(2022)10月におこなわれた43次若宮御造替を記念して令和8年3月に上梓されました。春日大社の御本社の御子神である若宮にスポットを当て若宮の歴史、春日若宮おん祭、若宮の式年造替の詳細について宮司自らが筆を執られています。
本来若宮の式年造替は御本社と同時に20年に一度の式年制によって斎行されていましたが明治に入って流動的な斎行になっていました。このたび20年の式年制に戻すために前回の平成14年の御造替から20年目の令和4年に御造替をおこなったそのあたりの経緯も書かれています。江戸時代までは大宮、若宮がそれぞれ御本社の扱いだったのが、明治政府が大宮だけを御本社とし、若宮を御本社の摂社の一つとしました。このことにより若宮の御造替は御本社と切り離されて20年ごとの御造替が流動的に斎行されることになったのだそうです。
また毎年12月17日に斎行される「春日若宮おん祭」は900年連綿と続く日本最大の芸能祭典ですが、春日若宮おん祭の章は50ページにわたり豊富な写真とともに詳細が記されていて春日若宮おん祭を知るのに最良の書のひとつと言えるかもしれません。
2016年に刊行された『宮司が語る御由緒三十話-春日大社のすべて』(花山院弘匡著 中央公論新社)は春日大社全体について30話が語られていますが、本書はそのうち第7話若宮社と第8話春日若宮おん祭を中心により詳細に解説した続編といった位置づけです。
両書をあわせ読むことで春日大社をより深く理解できると思います。
(広報グループ 藤崎俊彦)
編集後記
9月に入り秋の長雨が続いているせいか、夜はたいへん過ごしやすくなりました。一気に秋に入ってくれればいいのですが。9月は和風月名でいうと「長月」といいますが、夜がだんだんと長く感じる時間を意味する「夜長月」(よながづき)が縮まったという説が有力です。
直近の奈良の大ニュースは、やはり7月26日に「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録されたことにつきます。それを見越し、会報紙では「飛鳥・藤原の宮都」をシリーズで掲載してきましたが、いかがでしたでしょうか。今号がしめくくりです。世界遺産登録後、私も何回か明日香村を訪れましたが、意外と閑散としています。静かです。このまま静かに時間が過ぎ去っていくのでしょうか、飛鳥はそれでいいとも思います。
今号では遠く九州の地(太宰府)から奈良とのかかわりをレポートしていただきましたが、このように地方と奈良とのつながりを掘り下げてみるのも結構みなさんの興味をそそるのではないでしょうか。
ソムリエの会会員で奈良県外の方々からのこのようなレポートを期待しています。
(広報グループ 吉川)
(広報編集者)礒兼・井原・風間・佳山・窪田・小林(誠)・阪本・島田・中村・西橋・野原・廣岡・福岡・二上・藤崎(俊)・藤岡・藤田・松原・松森・森田・吉川

これから色づくコキア in 馬見丘陵公園
