第1回「記紀を愉しむ」勉強会 参加報告

本日(7月17日)から勉強会「記紀を愉しむ」~記紀から古代大和の歴史の深層を見る~がスタートしました。講師は奈良県観光ボランティアガイド連絡会会長の木村三彦さんです。
これまで幾度となく講師をしていただいた人気講師の勉強会だけに、申込は45人を超え、会場も満員、参加者の熱意であふれていた。

今回のテーマは「蘇我氏の興隆と滅亡」ということで、武内宿禰から始まる蘇我氏のルーツから、稲目・馬子の全盛期を経て乙巳の変(大化の改新のクーデター)による入鹿の暗殺、蝦夷の自害と滅亡の歴史を講話いただいた。
古代豪族の最大の謎である蘇我氏に想いを馳せることができた、あっという間の90分であった。
≪蘇我氏は反動勢力だったか?≫
歴史、ヒストリーとはヒズストーリー。今に伝わるのは、勝者が書き換えた物語であるといわれている。
蘇我氏は戸籍の管理や財政など三つの蔵の管理を司っており、大和朝廷の中央集権化の進展に大きな功績がある。この氏族が、大化の改新の理念である中央集権化に対峙したとは、考え難いとのご意見であった。
近頃の歴史教育では、こういった観点から645年は「大化の改新」ではなく、「乙巳の変」と呼んでいる。
≪乙巳の変のくだり≫
今日の勉強会の大半の時間を使って、日本書紀の皇極天皇紀にもとづき、「乙巳の変」が起こった当日および前後の日々の記載を読んで内容を説明していただいた。原典を読み、中大兄、中臣鎌子、蘇我入鹿、古人大兄、倉山田麻呂などの登場人物の動きを頭に描くことによって、いままでいろんな本で紹介されている乙巳の変ことが、非常に明晰に理解することができた。これが講師の狙いであったような気がする。
日本書記に見られる「乙巳の変」の記載については、飛鳥板葺宮ではなく藤原京をモデルに記載されているのが、非常に良く解った。
≪蝦夷と入鹿の墓所≫
今木の双墳と伝えられている蝦夷・入鹿の墓は今もって不明である。水泥古墳、菖蒲池古墳、宮川原1号・2号古墳、小谷、小谷南古墳などいろいろな説があるが、今もって定かではないとのことである。
日本書紀の記載を十分理解した講師の木村さんの、蘇我氏に対する思いが参加者に伝わり、非常に有意義な勉強会であった。次回のテーマは「雄略天皇物語」ということで、こちらも非常に楽しみである。

文:交流G史跡等探訪サークル 大村隆清  写真:同 小林俊夫