神武天皇東征の聖蹟 2

孔舎衙坂も盾津も東大阪市に現存する地名です。
私見ですが、このような地名の起源がこの東征に係っており、記紀の編纂においてもこの地名を用いていることを考えますと、東征の話も全くの作り話ではないと思えてくるのです。

盾津(日下町)にある聖蹟顕彰碑 (盾を立てて雄叫びここを盾津と名づける)


このあとイワレビコは紀伊半島を南下し熊野から山を越えて大和に入ろうとしましたが、この間に3人の兄たちを亡くします。
疲れ切って倒れたイワレビコは高天原の助けを借りて八咫烏の先導で大和入りを果たしました。
ちなみに、この八咫烏は鴨氏の祖先で宇多の八咫烏神社の祭神は鴨建津之身命(カモノタケツノミノミコト)です。
イワレビコはついに大和を平定し畝傍の白檮原で神武天皇として即位しました。
東征のあらましは以上のとおりですが、その足跡を「聖蹟」として日向から大和まで19カ所が選定され、紀元2600年記念事業として顕彰碑が建立されました。
これが現在も各地に残り地元の教育委員会や篤志家によって大事に保存されています。

以下に19か所の顕彰碑の所在地を記しておきます

名称所在地
菟狭(うさ)大分県宇佐市 宇佐神宮
崗水門(おかのみなと)福岡県芦屋町 神武天皇社
挨宮(えのみや)広島県府中市 多家神社
高嶋宮(たかしまのみや)岡山市宮浦
難波埼(なにわのみさき)大阪市中央区 大阪天満宮
盾津(たてつ)東大阪市日下町
孔舎衙坂(くさえのさか)東大阪市日下町
雄水門(おのみなと)大阪府泉南市
男水門(おのみなと)和歌山市 水門吹上神社
名草邑(なくさのむら)和歌山市広原
狭野(さぬ)新宮市
熊野神邑(くまのかみのむら)新宮市 阿須賀神社
菟田穿邑(うだのうかちのむら)宇陀市大宇陀
丹生川上(にぶのかわかみ)奈良県東吉野村 丹生川上神社中社
鵄邑(とびのむら)奈良県生駒市
磐余邑(いわれのむら)奈良県桜井市吉備 春日神社
鳥見山中霊畦(とみやまなかのまつりのにわ)桜井市 等弥神社
狭井河之上(さいがわのほとり)桜井市茅原 狭井神社