記紀万葉にみる忍坂・粟原地区を体験する

「記紀万葉サークル」10月例会 10月13日(土) 参加者25名

スタート前の集合風景

 秋らしい爽やかな好天に恵まれました。粟原バス停から、いきなり前半の最高地点である粟原寺跡(白鳳~奈良時代)まで一気に登り、粟原寺三重塔伏鉢(国宝、奈良国立博蔵)に刻まれ銘文に「寺壹院四至 限東竹原谷東岑 限南大峯 限(西)樫村谷西峯 限北忍坂川」とある寺領を目の当りにしました。
 それにしても銘文にある建立者比売朝臣額田とは何者でしょう。やはり謎は残ります。 塔跡などに累々と残る礎石に私達の意識は奈良時代に瞬間移動します。

粟原寺跡での説明風景

 続いて越塚古墳・赤坂天王山古墳と巡ります。築造年代は同じ6世紀ですが後者の方がやや下ります。寝転んでやっと入れる天王山古墳の開口部はタイムトンネルです。6畳間を少し細長くしたような巨石積みの玄室はもう6世紀末の世界です。懐中電灯の明りに浮び上る重量感溢れる繰抜き式の家形石棺に心臓を鷲掴みにされるような感銘を受けるのです。この立派な方墳は、立地からしても崇峻天皇倉梯岡陵として腑に落ちるものです。

天王山古墳 説明風景
天王山古墳 玄室の繰抜き式家形石棺

 忍坂区の石位寺では重文の三尊石仏(白鳳期)を特別間近で拝観させて貰いました。元々粟原寺にあったものだと言う説があります。粟原流れと伝わる仏像は意外に多く、隣の外山(とび)区報恩寺に伝わる丈六の阿弥陀如来坐像(奈良国博寄託、平安中期)もその一つです。
 石位寺で昼食と休憩を摂り舒明天皇陵などを巡った後、愈々本日最後の難関である外鎌山越えに挑みました。

流れの中の万葉歌碑「秋山の木の下隠り行く水の・・」
登山中の一行

 外鎌山は横大路の東の目標であったとされる形の良い300m程の山です。急峻な30分の山道は「敬老会ご一行」にはかなり過酷な試練でありましたが、結局全員揃って山頂に立つことが出来ました。
 この日、山頂からの眺めは本当に素晴らしいもので、奈良盆地の南半分が一望できました。足下には西に外山・磐余そして北に纒向・磯城・朝倉と王権揺籃の地が鎮まります。

外鎌山より西望む
外鎌山より北を望む

 この忍坂の地が初瀬谷、粟原谷という盆地への東の進入路を分ける要衝に当ることを改めて実感した次第です。やはり弥生時代後期の覇者は此処から侵入しこの辺りに拠点を持ったのでしょう(この部分は独り言です)。
 大和朝倉駅への帰着は予定より30分程遅くなりました。しかし天候が素晴らしく、見所も多い今回の催しは参加の皆さんにとって充実した1日になったことと思います。

西方より外鎌山を望む

10月16日 「記紀万葉サークル」田中昌弘