中将姫ゆかりの青蓮寺とエウカシを祀る宇賀神社をたずねる
女たちの守る寺③ -日張山青蓮寺・宇賀神社・宇太水分神社-
交流部会・奈良再発見サークル
12月8日(土)実施 参加者15名
不運なことに近鉄榛原駅では、雨が降り出しました。いつかは晴れるだろうとメンバーの願いもむなしく・・・。
しかし、ソムリエメンバーのあくなき探究心で雨も風もちらちら舞う雪もなんのそのでした。
今回のコースは、近鉄榛原駅・・・バス停・菟田野→宇賀神社→青蓮寺→バス停・菟田野・・・水分神社前→宇太水分神社→水分神社前・・・近鉄榛原駅で解散(「・・・」はバス移動)でした。
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本日参加のソムリエ中西厳さん(宇陀市在住・社寺探訪サークル)によると「ロート製薬」、「ツムラ」、「笹岡薬品」などの創業者の出身地が宇陀市だということです。
※ツムラの製品名は、「中将湯」、発売から100年、現在も販売され続けるロングセラー商品です。
宇賀神社・・・祭神「宇迦斯神魂」「天照大神」
古事記によれば、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)は、熊野からヤマトへの東征の途次、宇陀の地をおさえるべく、八咫烏を遣わした。八咫烏は、「天神の御子が来られる、汝らは仕えよ」と地元に通知してきた。エウカシは、鳴鏑を以って遣いを射た。そうして軍を集めようとしたが集まらず、策を講じて仕えると偽り大殿にワナを作って待ちかまえることとした。オトウカシは、「兄が大殿におびき寄せて打ち取ろうとしています」と兄を裏切った。大伴連の祖の道臣と久米の直の祖の大久米の命がエウカシを大殿に先に入れて押し殺し、死体を八つ裂きにした。八つ裂きにされたエウカシの血が流れたこの地を血原という。
宇迦斯神魂は、外からの征服軍と戦った地元の英雄だ。宇賀志には、かつて水銀鉱山があり、土壌が赤い色をしていたことから血原とも。
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青蓮寺 (日張山成就院青蓮寺、浄土宗総本山知恩院派の尼寺、本尊は中将姫十九歳像)
奈良朝天平宝字4年(760)横佩の右大臣・藤原豊成の息女、中将姫が継母の讒言により14才の身をもってこの山に流されたが、嘉藤太の情により危うきを助けられ、「なかなかに山の奥こそ住よけれ、草木は人のさがを言わねば」と2年6か月の念仏三昧をされ、奈良の都へ帰られ、その後當麻寺に入り出家剃髪の身となり法如尼へ。
当麻曼荼羅を感得され、19才の夏再びこの山に一宇の堂を建立し、自らの彫像と嘉藤太夫婦の形像を刻み安置して青蓮寺となったという。
※世阿弥の謡曲「雲雀山」は中将姫伝説に基づく
阿弥陀堂の奥に中将姫の命を守った松井嘉藤太春時とその妻・静野の墓がある。
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宇太水分神社(式内大社)
芳野(惣社・上社)・古市場(中社)・下井足(下社)の3社で宇太水分社をなす。
創立は崇神天皇の時代で、大和の東西南北に祀られた神社のうち東に当たるのが中社とされる。
本殿は、2003年の社殿塗り替え時にわずかに残された色彩が発見され、それをもとに復元された。
本殿3棟、第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、他の2棟も同時の建物と推定される。3棟は隅木入春日造で建立年代が明らかなものでは最古のもの。国宝。宇陀市には、上記宇太水分3社の他に大宇陀平尾と室生田口に水分神社があり、計5社の水分神社がある。
春日神社本殿、宗像神社も重要文化財、宗像神社の蟇股のカニの彫刻、境内にある丹波の佐吉(幕末の石工で石匠照信)の狛犬も注目。
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ちょっとお得な気分です。この後、熱い茶と「絵葉書」もいただきました。
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両部鳥居形式。上部の瓦屋根から神仏習合の跡がみてとれる。
※宇太水分神社では、毎年10月の第3日曜日には、例大祭(神輿渡御祭・太鼓台練合わせ)が催行されます。
菟田野古市場の米谷家
明治に入り、街道筋に商工業が発展。宇陀郡吉野郡の木材集散する在郷町。
米谷家住宅は、豪商屋敷で正面の建物には、2層の袖卯建が装飾的についている。東側から見ると母家に併設した漆喰壁の蔵がある大きな建物。
これだけの大きなたてものは、古市場のほかではみることができない。
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写真と文・・小林俊夫
※解説は当日配布資料(藤村清彦さん作成)から参照させていただきました。