ワニのいた道-謎の豪族和珥氏の居住区、北山辺の道を巡る-

記紀万葉サークル例会(3月9日)

 春めいた天気の日、例会「ワニのいた道-謎の豪族和珥氏の居住区、北山辺の道を巡る-」に参加しました。1月例会の田中昌弘氏(記紀万葉サークル・リーダー)の報告『「ワニ」の来た道』を踏まえての屋外活動です。
 櫟本駅を出発し、まず、和珥一族が築いたと思われる東大寺山古墳群を見て歩きました。近世の墓標が林立する櫟本墓山古墳、前方後円墳の後円部の上に神社がある和爾下神社古墳、そして赤土山古墳です。赤土山古墳は、後円部の「造り出し」が復元されて埴輪が並べられており、築造時を想像させてくれます。古墳の東側はシャープ総合開発センターの敷地で、リストラで誰も住んでいないシャープの社宅棟が幾つもあり、世の移ろいをしみじみと感じました。

赤土山古墳(4C~5C初め)後円部にて

 白川溜池で昼食休憩のあと、和爾町の集落内にある和爾坐赤坂比古神社を訪ねました。 田中氏によれば、ご祭神の阿田賀田須命と市杵島比売命は筑紫の宗像君が祀った神であり、和珥氏の出自も九州ではないかとのことでした。少し歩いたところに、神武紀に登場する和珥坂下(さかもと)伝承地の碑が立っており、このあたりが和珥氏の本拠地と思われます。
 そこから北に歩き、陵墓参考地黄金塚古墳を経て、山町の塔の宮廃寺跡(八坂神社)を訪ねました。このあたりは武烈紀の影媛の歌に「....物多に大宅過ぎ 春日春日を過ぎ...」と詠われ、興福寺大乗院領「大宅庄」の記録もあって和珥系大宅(おおやけ)氏の居住地域だったと思われるところです。境内に数個の礎石があり、氏寺「大宅寺」かと思われます。

天理市・奈良市境界辺りをゆくメンバー達
陵墓参考地「帯解黄金塚古墳」を見学

 皆さん健脚ぞろいで予定時間より早く到着したため、円照寺の門前を拝見した後、山村町バス停・JR帯解駅にて解散しました。黄砂や花粉が舞散る日でもありましたが、和珥氏の存在を実感できるコースを楽しむことができました。ご案内頂きありがとうございました。ガイドグループの『まほろばソムリエと巡る大和路』ツアーのコースにしたいと思いました。

記紀万葉サークル・安井 永 (写真:田中昌弘)