第2回「奈良の食」勉強会 実施報告
平成25年5月15日(水)「自主勉強会」の奈良の食勉強会の第2回目を開催しました。
(開催場所:南都銀行 西大寺銀行クラブ)
講師は前回に引続き、現在平群町在住の「食品開発コンサルタント」でNPO法人「奈良の食文化研究会」の会員の「山根清孝」さんです。
第2回目の今回は「奈良茶飯」、「柿の葉ずし」、「お菓子のルーツ」、「素麵」、「蘇」の奈良の伝統料理や奈良がルーツとなったものについて説明があった。
<奈良茶飯>
米と炒った大豆を茶で炊いたもので、東大寺や興福寺の僧坊では古くから食されていたが、江戸時代に庶民の間で広まった。江戸時代最大の火事「明暦の大火」の直後、浅草の茶店でこの奈良茶飯にみそ汁や煮豆をそえた「一膳飯」(今の定食の始まり)を提供し評判であった。また、東海道の川崎宿にあった「万年屋」は、東海道を旅する人や川崎大師に参拝する人の間で、奈良茶飯で有名であった。
奈良でも興福寺境内にある「柳茶屋」などで提供されているが、川崎市では平成13年に開催された「大川崎宿祭り」で「万年屋」とともに、「奈良茶飯」が再現された。
<柿の葉ずし>
柿の葉ずしは、柿の産地の吉野川沿いと塩鯖の出会いであるが、これについては諸説がある。柿渋のタンニンは様々な用途に使われている。
地域的には吉野川沿いは柿の葉ずし、吉野山間地は朴の葉ずし、十津川郷ではさんまずし、さばずしと地域によって分かれる。
<お菓子のルーツ>
垂仁天皇の命により「非時香果」を探しに行った、田道間守が「橘」を持ち帰り、「果」と言えば果物であったことから、田道間守は「菓祖」として信仰されている。
「ぶと」とは春日大社の神饌であるが、そのままでは少し硬く、「萬々堂通則」で工夫しお菓子として売り出したのが、「ぶと饅頭」である。
奈良市の漢国神社境内には饅頭の祖、林浄因を祀った林神社がある。
<素麵>
長屋王の邸宅とされるところからは、木簡に素麵の由来とされる索餅(さくべい)と書かれたものが出土している。室町時代に現在の形になったとされる。
<蘇>
「延喜式」には牛乳を十分の一に煮詰めたものと書かれており、チーズのような味がする乳製品である。
前回話題となった、雑煮の餅を取り出してきな粉をつけて食べるという習慣に関して、分布図の説明があり奈良県北部から吉野川流域にかけて広く見られるのは事実であった。
講師の山根さんからは、奈良にはいろんな食品のルーツとなったものは多いが、十分な記録保存、継承がされてなかったことから、「奈良にうまいものなし」なんて言われることになるのではとの話があった。
山根さんの経験によれば、単独で商品を出してもだめで、競合他社が出てくることにより、売上が伸び利益の向上につながるのであり、奈良の伝統料理である飛鳥鍋や奈良茶飯などもいろんな飲食店で提供し、競合することにより売上の向上につながるのであり、いろんなところで提供できるように工夫したらどうかとの提案があった。
いよいよ、次回の勉強会と最終の食事会で終了となってしまうが、奈良の食についていろいろ話が聞けて本当に楽しいです。
次回の勉強会と食事会が本当に楽しみである。
啓発グループ 大山 恵功 記