記紀万葉サークル6月9日例会-飛鳥を巡るツアー-
誰もが何回となく訪れている“飛鳥”、5月例会で「飛鳥のいろは」というテーマで日置雅夫さんに丁寧に説明をして頂き、現地で確認しようとこのツアーになった。当日は飛鳥京ボランティアガイドの谷口清和さんの案内と解説もあり、違った角度からの気づきもあった。
暑くもなく絶好の散策日和でした。当サークル以外の3人を加え総勢22人で、皆今日はどんな解説をしていただけるのか興味津々。
「飛鳥坐神社」では力石を握って願をかけ参拝。2月第1日曜の「おんだ祭」の神事にも是非と。 途中飛鳥寺の瓦を焼いたと言われる最古の窯跡はあの辺りとの説明。
かつて一塔三金堂を誇った伽藍が鎌倉期に落雷焼損した「飛鳥寺」では、塔の心礎跡がここなどと遺構について確認する。更に645年の“乙巳の変”で、中大兄皇子は此処の西門に陣を張り甘樫の丘の蘇我蝦夷と対峙したと。遠く橘寺の甍が見通せて、田植えシーズンで植えられたばかりの水田と畑地が見渡せ、何というのどかで平和な風景かと、あらためて明日香の良さに感動を覚える。又今立っている畑地のあぜ道の下から、土管が発掘され(苑池遺構の一部か)たという。後刻訪れた「明日香村埋蔵文化財展示室」で実物の確認ができた。この辺りは何も建てられないし、瓦の一片を拾って持ち帰っても罪に問われるとか。
「水落遺跡」「埋蔵文化財展示室」に立ち寄ったあと、今は昔の面影はない飛鳥川沿いを歩き、推古帝期の「伝小墾田宮跡」と言われる“雷丘東方”や榎木が1本立つ“古宮土壇”などを遠望しながら「向原寺」へ。
その前に「甘樫丘坐神社」に寄り、“盟神探湯(くがたち)”の神事が今も行われる3mの立石を見る。始まりを告げる木板と、それを打つ木槌が何の造作もなく板壁に引っ掛けてあるのに驚き、伝承という事の自然さを思う。
「豊浦寺」「豊浦宮跡」では、豊浦宮と寺の、二層の発掘状況が見られる。宮の柱穴と寺の敷石がまざまざと観察できる。寺の住職の奥様の案内で、本堂の、話題の“金堂観音菩薩立像”も間近に拝観できた。盗難にあった仏像が36年ぶりに見つかりオークションで買い戻されたそうだ。ちょっと身をよじらせた菩薩像の童顔の表情に見入ってしまう。奥の、廃棄された仏像が善光寺に安置されるまでの絵巻も興味深い。
“難波の堀江”はどこかと意見を交わしながら、昼食の「国営飛鳥歴史公園豊浦休憩所」に到着する。確かに明日香は観光散策者への設備が充実している。
昼食後、甘樫丘のふもとから飛鳥川べりを進む。川向うに「苑池遺跡」の石積みを眺めながら、「川原寺跡」に北からとりつく道は、確かに車道を避けた、地元に住む人ならではの明日香ののどかさを満喫できるルートだ。「亀石」を経て、「野口王墓古墳(天武・持統合葬陵)に。根拠が確実なだけに安心して参拝できる。「鬼の俎・雪隠」といわれる、離れ離れに露出した石槨はいつ来ても巧い表現だと思う。
最後の「飛鳥歴史公園」では、ちょっと足を伸ばして、タイミングよく今咲きかけの“ささゆり”を見られた。可憐というか風に揺れる花の清楚さが疲れを癒してくれる。触ってはダメ。土手に行き着く通路にも工夫が。
公園内の施設で、さあ楽しみな“勾玉づくり” 滑石に形を描きヤスリで削る作業。説明を聞くより先に手が動く。歴史の説明を聞く顔と比べ何と穏やかな、子供に帰ったいたずら好きの表情で一心不乱、削って研いて出来上がった勾玉を得意そうに首にかける。太いのやらずんぐりやら、それなりに自慢の一品か。
特に目新しい場所ではないが、明日香は確かに古代と現在とがうまく調和した歴史散策に相応しい所だと、そして地元の行政・住民のその土地への愛情が見られるところだとあらためて思う。
記紀万葉サークル 小野哲朗
(写真提供:田中昌弘)