「アジサイの寺、矢田寺から東明寺、長髄彦伝承の添御県坐神社へ」ウォーク・・6/15実施
「交流グループ史跡等探訪サークル」ウォークの記 参加者21名
朝、降水確率50%で雨が心配されましたが、近鉄郡山駅についてみると数名の女性が既に待っておられ、ホット一息着きました。駅から商店街をチョット抜けると奈良交通のバス停で、こんなに近道があるなんて知らなかったなぁー!バス停では10人ほどでしたが、集合場所は矢田寺ですし、バスの発車時刻も迫ってきましたので出発しました。
本日のコースは、矢田寺前バス停(10時集合)~矢田寺(アジサイ園・閻魔堂)~子供交流館~添御県坐神社へ・・・解散15時30分予定 ※総行程約8キロ
【矢田寺】・・・途中、大門坊の沙羅双樹の白い花が目に止まりました。
まだ咲きかけで数輪の花しか咲いていませんが、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり、沙羅双樹の花の色、生者必滅の理あり・・・」が浮かんでききました。
京都の東林院では、今が盛で白い花が首から散って、深緑のコケの上にいかにも「生者必滅」を演出していますが、ここでは己(おのれ)の感性で受け止めなさいと演出もなく、いかにも奈良らしくてイイですね。
【東明寺】
東明寺副住職のお話から
本尊薬師如来坐像の特徴は左肩が右肩より下がっていること。腰の上から「くびれ」があり、腕と胴とが離れで脇が空いている、お顔の彫りが深く鼻が高いなどの特徴があって、ガンダー仏の影響と思われますと。(あるメンバーから、ガンダーラ仏の最大の特徴は頭髪が巻き毛であるが、本仏像はそれがないのでガンダーラ仏影響とはチョット行き過ぎではないかと、密かな意見がありました)。「雷さま」の「おへそ」がありました。雷さまが東明寺で昼寝をしていたら、人間に「おへそ」を捕られてしまった。だから、「雷さま」は仕返しに人間の子供の「おへそ」を狙うことになったそうです。メンバーの「おへそ」をみせて頂いた感想は「干し椎茸」のようだとの声が上がっていました。(隕石みたいだの声もありました)
【子供交流館】
東明寺から、曇り空のもと矢田丘陵の森の中を登り降りしながら進むと、こどもの森の芝生広場が見えてきました。芝生広場の端に子供交流館があります。ここで昼食にしました。子供交流館は屋根付きですので、昼食中、雨は気になりませんが、昼食を終えて霊山寺へ向かう頃には本降りになりかけてきましたので、皆さん傘を開いて進むことになりました。
【追分】
追分本陣村井家住宅前で、「西に降れば暗峠へ、東に降れば三条通り、このまま富雄の霊仙寺方面へ降ればすぐ、追分梅林の横を過ぎてゆきます」と、あるメンバーから説明がありました。(梅林は土壌改良工事か宅地造成工事かわかりませんが工事中でした。)
【添御県坐神社】
添御県坐神社では、とうとう雨がふりだしました。
「添御県坐神社」が、岩波新書のベストセラーになっている「出雲と大和」村井康彦著に記載されています。みなさんもぜひ一読されては?
神官のお話から
本殿は、室町上期の創建で、特徴は本殿に覆い屋が付いているところです。そのためによく保存されてきました。また本殿の基礎部分に、土台として一木の角材が流してあり、その上に本殿が建っている。珍しい形式です。
(あるメンバーから土台が腐食することを防ぐための覆い屋で、本殿を保護しているのであろうと)
屋根は檜皮で葺かれ、しばらく前に葺き替えた時には1㎡当たり5万円ほどでした。当神社は長髄彦が祭神ですが、神武の逆賊とされていますので、古事記に現れる神で、あまり知られていない武乳速之命(たけちはやのみこと)を表向き祭神としています。長髄彦伝承は、土地の古老が元気なうちに、集めておきたいと思っています。
歌姫町に同名・同神の神社がありますが、何故かよくわからないが、鬼門と裏鬼門でないかと思われます。
紙垂(しで)・・・・しめ縄などに数箇所垂れ下がっている神事の紙のつくり方を教えていただいた。また、榊での参拝儀礼を教わりました。
三碓(みつがらす)の地名について・・・・・
三碓(みつがらす)の地名について本神社の隣にお寺の根聖院があり、横長の石に三ヶ所穴が穿ってあり、これが三ツ碓(うす)といいます。米を搗(つ)いたと伝承されていますが、当地に薬草が採れたことや碓の穴が小さいことなどを考えると薬草を挽いたのではないかと考えられています。
碓という字は「からうす」と読み、三碓はなまって「みつがらす」と発音するようになり、このあたりを「みつがらす」と呼ぶようになりました。
元来、当神社に備わっていた碓と思われるが、流れ出してとなりのお寺に移動したものと思われます。
根聖院(添御県坐神社に隣接しています)前で現地解散となりました。
雨に降られても、メンバーの意見も聞かれて幸いな一日でした。
文:交流G史跡等探訪サークル 加藤宣男 写真:同 小林俊夫