「文学の小窓からの風景 第4回目――森鷗外の奈良」 講演会感想記
参加者60名「三和大宮ビル 6階会議室」
8/3(土)に前回と同じく三和大宮ビルで、浅田隆先生による「文学の小窓からの風景 第4回目 森鷗外」講演会が開催された。とても暑い日だったが、60名の参加、先生のお話に熱心に耳を傾けた。
鷗外は1862年に津和野藩曲医の家に長男として生誕。津和野生まれの東京育ち。現在の東大医学部を19歳で卒業し、軍医となる。陸軍軍医総監となるが母峰子死去を契機?に辞任。その後、帝室博物館総長兼図書頭となる。
奈良へは同総長の公務として5回来訪されている。正倉院の開封に立ち会うために来ており、雨で開封しない日は、寸暇を惜しんで奈良を散策している。その時の作品が「奈良五十首」であった。鷗外が逝去した60歳のとき年初に発表されている。鷗外の遺作である。
浅田先生が10首ほど詠んで楽しく解説してくださった。以下にその首を記す。番号は記載順、()内は浅田先生が付記したジャンル、<>内は詠まれた場所を示す。
1.(学者鷗外 知識欲)
京はわが先づ車よりおり立ちて古本あさり日をくらす街
2.( 学者鷗外 知識欲)
識れりける文屋のあるじ気狂ひて電車のみ見てあれば甲斐無し
9.(奈良への感動 驚異)<正倉院>
勅封の笋の皮切りほどく剪刀の音の寒きあかつき
10.( 奈良への感動 驚異)<正倉院>
夢の国燃ゆべきものの燃えぬ国木の校倉のとはに立つ国
13.(学者への崇敬) <正倉院>
見るごとにあらたなる節ありといふ古文書生ける人にかも似る
17.(崇敬と反発) <正倉院>
み倉守るわが目の前をまじり行く心ある人心なき人
6.(風土の発見)
奈良人は秋の寂しさ見せじとや社も寺も丹塗にはせし
7.(成金批判 奈良観)
蔦かづら絡む築泥の崩口の土もかわきていさぎよき奈良
33.( 成金批判 奈良観)<元興寺址>
いにしへの飛鳥の寺を富人の買はむ日までと薄領せり
39.( 成金批判 奈良観)<白毫寺>
白毫の寺かがやかし痴人の買ひていにける塔の礎
註解は平山城児氏の「鷗外「奈良五十首」の意味」が素晴らしいとのこと。鷗外は厳格な性格で未発表の作は一切残していないとのこと。そのため、書簡が少なくなった晩年の足跡は知られていない。ただ、鷗外は歴史好きで別号「漁史」を名乗っており、北浦定政の墓を訪ねるなどソムリエ並のマニアックな一面もあったそうだ。
次回は10/5(土)です。場所、時間は今回と同様です。役行者について熱く語られますので乞うご期待です。是非奮って参加して下さい。
文:交流G史跡等探訪サークル 森原嘉一郎 写真:同 小林俊夫