「国宝興福寺仏頭展」にて仏頭様に会う

現在、上野の東京藝術大学大学美術館にて、「国宝興福寺仏頭展」が開催されています(11月24日まで)。
4年前、大ブームとなった「阿修羅展」が興福寺の西金堂がテーマだったのに対し、今回は東金堂です。人気、知名度ともに抜群の阿修羅に比べると地味かな、と思っていましたが、
上野公園では他に華やかな展示がたくさんある中で、連休中の会場は多くの人で賑わいを見せていました。

最初の展示室は、法相宗の経巻や版木、ゆかりの僧の頂相などの展示です。
次の展示室は板彫十二神将像。興福寺国宝館でおなじみのユーモラスな平安時代の十二神将像ですが、今回は東金堂の本尊台座に貼られていたと想定し、十二体すべてが立方体の周囲に貼られた形で展示されています。この展示方法の違いだけで、わずか厚さ3cmの神将たちが立体的に立ち上がって、より躍動的に見えるのには感動しました。
いよいよクライマックスの「白鳳の貴公子」仏頭の展示室へ。
白鳳仏としては非常に大きく、しかも作られた年代(685年)が判明している貴重な像。数々のドラマに彩られ、破損仏としては珍しい国宝指定……と語ると尽きないこの仏頭ですが、今回のトピックスは南都焼き討ち後の復興時に山田寺から興福寺に連れてこられた仏頭と、その眷属として鎌倉時代につくられた十二神将像すべてが、1411年の被災以来600年ぶりに再会する、ということです。まあ、1937年に仏頭が台座の下から発見されるまでは同じお堂の中にはいらしたわけですし、現在もお隣の建物にいらっしゃるのですが、わざわざ遠い東京で、東金堂よりはるかに広いスペースで、堂々の再会です。
展示室に入ると、中央奥に仏頭様。その左右に六体ずつの十二神将像が縦に並び、その間を歩いていくと、仏頭様の真下へとたどりつくのです。
何度もお会いしているとはいえ、わざわざ東京にお出ましになり、大スターとなっている仏頭様の姿は感慨深いものがあり、その周囲をゆっくりと回ります。痛々しい右の横顔。凛々しい左の横顔。後ろ姿は上部の破損がはなはだしいのがよくわかりますが、それでも、その向こうに透けて見える個性的な十二神将を従えて、まったく揺るぎなく頼もしいお姿です。
その後ろには、東京の白鳳仏として名高い深大寺の釈迦如来椅像。白鳳仏らしい、かわいらしいお顔のお釈迦様です。比較すればかなり小ぶりとはいえ、仏頭様の全身像を思い描くよすがとして、ということなのでしょう。その裏では金色の仏頭様の元の姿(頭のみ)のCG復元映像です。
それらをじっくり見てから、再び仏頭様のもとに。周囲を歩きつつ元のお姿を思い浮かべますが、なかなか難しい。
そして、十二神将の間を歩いて遠ざかり、振り返ると、仏頭様は私をじっと見ておられる。まるで「もう帰るのか」と話しかけるように。
それは、時が止まったような、私と仏頭様だけの世界でした。その微笑みは、受難の上に生まれ、数々の受難を超えてきたからこその今のお姿を受け入れ、すべてを超越しておられる。
私はそこを離れがたく、何度も何度も振り返り、そのたび仏頭様は私だけを見つめ、見守ってくださるように思える。きっと、あの会場にいた何人もの人が同じ思いになったことでしょう。
ちょうどこの日、上野公園の広場では、仏頭展のPRを兼ねて、「奈良フェスタin上野公園」が開催されていました。奈良の各市町村によるPRや物販のブース、鹿せんべい飛ばし大会、そしてステージでは講話や武術の披露。私が通った時間は、せんとくんをはじめご当地キャラ大集合。ゆるキャラたちがそれぞれの地域をアピールしていました。ステージが進むにつれ、観客はふえて盛り上がり、最後の「奈良へ行きたくなった人!」の問いかけには大勢の人が手を挙げていました。
このような機会をきっかけに、奈良の魅力を知り、訪れる人が増えるよう、願ってやみません。

(AYU)