10月4日(土)浅田隆先生文学講演会(漆胡樽)
浅田隆先生による“名作文学で奈良を楽しみませんか”の講演会第二回目は 井上靖『漆胡樽ほか』であった。折りしも今月から正倉院展が開かれる好タイミングか46名の参加があった。
「漆胡樽」は井上靖が新聞記者時代、丁度戦後初めて正倉院の御物を一般人が拝見できる「正倉院展」で、発行予定のグラビアの表紙を飾る美物を探しているとき、目に付き「心にしみ入って消えない」安らぎを覚えた器物だった。その後作家になって、散文詩で「漆胡樽」を書き、その後最初の歴史小説として表わしたものである。
木製黒漆塗の一対の容器でその形は異様で、西域でラクダや馬の背に振り分けて吊るし、水や酒などを入れた皮袋を模った生活の道具と考えたとき、しかもこれが遣唐使によって持ち帰られた数多くの品々の一つで、日本にもたらされてからも千二百年の間、正倉院の中でほんの時たま外気に触れるだけでじっと存在している。この得体の知れぬ“地球に落ちた隕石”のような器物はしかも日本に来る以前の、西域での長い歴史を潜ませている。砂漠地帯で旱魃で河が干上がると、オアシスの水を求めて集落ごと移動する。そして東トリキスタン、匈奴、中国、日本と気の遠くなるような年月を想起させる。
井上靖がこの歴史の重みを踏まえた数々の小説・評論を表わし、「悠久なものへのあこがれと、おそれ」を感じて、人間のドラマとか歴史のドラマとかを全部そこへ象徴的に盛り込んだ手法が凄いと評論家尾崎秀樹氏が対談で述べている。そして井上靖は歴史小説の舞台は「自然のすそに人間が触れている、その接点に何かある」とも述べている。
先生の熱弁が最高潮に達し、時おり甲高い声でこの点を強調されると、小説を読むとき、単にストーリーを追うだけでなく、その底に流れる時代背景と長い時間の流れ、人々の営みなどを思い起こしながら、その文学に浸るべきだと思いました。
さあいよいよ次は11月15日、第三回目「堀辰雄~奈良への傾斜」楽しみに。
(小野哲朗 記)