保存継承グループ 平群町椣原の勧請綱掛行事見学記
1月3日(火)、保存継承グループメンバー5名で平群町椣原(しではら)の勧請綱掛(かんじょづなかけ)行事を見学しました。綱掛神事といえば、明日香村大字稲淵・栢森が有名ですが、県内には他に何か所か綱掛神事が行われており、椣原の勧請綱掛は県内で新年いち早く行われるものです。
勧請綱を掛ける場所は近鉄生駒線元山上口駅から北へ約3分の竜田川上ですが、今回は午前中の勧請綱製作(綱打ち)から見学しました。
現地にある「勧請綱(かんじょづな)」の解説板によると
1.勧請綱
一般的に古来より村の境界から悪霊や厄病(伝染病)等が入ると信じられていた。それを阻止すると同時に身体堅固、五穀豊穣、子孫繁栄等を願って村の境界に勧請綱を張った民俗行事の一種。
2.椣原の勧請綱
・起源については、明治時代以前は確かだが起源は不詳。
・規模は長さ約27m太さ約25cmで奈良県一といわれる。
・形状は、雄(おん)づなに雌(めん)づなが巻き付いている。雄づなには松の枝を取り付けた2本の龍の足(長さ9m30cm)、男根、フグリもつけられている。これには豊作・子孫繁栄を祈願する意味が込められている。
・勧請綱を製作することを「綱打ち」といい、毎年1月3日に椣原自治会が実施する。
3.龍神信仰
椣原の勧請綱は龍神信仰と結びついている。龍神は水の神といわれ、水害より農作物を守り、村の人々を守ると信じられてきた。この近くに大正末頃まで龍が住むと言われてきた龍穴が残っていたが鉄道敷地となり現在はない。
綱打ち
午前8時30分に金勝寺境内に人々が集合します。椣原自治会は8班に分かれていてその年の当番に当った班が担当します。人数は作業員10人に長老が4人。用意するのは、藁60把、荒縄2巻(太さ3分)、これらが綱打ち用。その他に御神酒1本、黒豆・栗の煮物1鉢。御神酒は薬師堂に御供え。煮物をつまみに酒を飲みお浄め用。
作業の中心は、雄づな(約27m)と雌づな(約12m)づくり。全員で綱をなっていきます。
横に固定した丸太を軸にして、雄づな、雌づなとも3本ずつなっていきます。藁の束を次々と突っ込みながら、より合わせて、荒縄でとめていきます。
3本の綱をそれぞれねじり、さらに3本を1本により合わせていきます。
自治会長老や熟練者が担当するのが、雄づなのシンボル(約30cm)作りと龍の足・御幣用竹づくり。
つくったシンボルを雄づなに荒縄でとめます。ようやく綱が完成しました。既に午後3時、昼休みを含め作業開始から6時間かかりました。
雄づなと雌づなの組み合わせ
芯として作業員1人が入り、雌づなに雄づなをからませ、丸い大きな玉のような状態にします。
芯になった作業員は下から抜け出します。
お祝い行事
年男などお祝いに当たる人が、藁敷きの上にうつぶせに寝ると、雌づなと雄づなのからんだ玉を上へころがせます。上から数人が乗ってお祝いします。
お祝いに当たる人がいなければ、子供も下に寝ます。上にものって参加します。行事の中で一番楽しい瞬間です。
薬師堂での祈願
雌づなと雄づなの玉を薬師堂へ備えて一同で祈願します。
なお、薬師堂に供えるには石段の上を皆で運び上げますが、一気に運び上げずに、上げたり下げたりしながら上げます。その時の掛け声は「チョウサジャー」。
綱の移動
軽トラックに雌づなと雄づなの玉を積み込み現地へ運びます。
現地での綱掛け
近鉄の敷地内で、電車の線路の側での作業なので、近鉄社員が立ち会います。電車が通る間は作業を止めます。
綱掛の完成は、午後4時になりました。見えているのは雄づながほとんどで、雌づなは支柱の根元に巻いてあります。綱は今年12月25日までかけておきます。
綱の一方は岸の木に結わえ、一方は電信柱に結わえられています。
文・写真 保存継承グループ 石田一雄