保存継承グループ 調田坐一事尼古神社おんだ祭り見学記
3月6日、葛城市(旧新庄町)疋田の調田坐一事尼古(つくだにますひとことねこ)神社のおんだ祭りを見学させていただきました。
近鉄南大阪線尺土駅から南へ、大田川に沿って10分程歩きます。ほぼ正方形の境界線をもつ疋田の集落の中ほどに位置しています。すぐ隣には公民館もあり、集落の人々の中心的な場であることがうかがえます。
古く『延喜式』神名帳に載せる式内大社で、神護景雲4年(770)には封戸を与えられ、貞観元年(859)には従五位上を与えられた、由緒ある神社です。
時を経て無住となっていましたが、今の宮司様の3代前からは常住されています。
御祭神は一事尼古大神と事代主大神です。前者は一言主神と同神で、「尼古」とは高貴な男神を示す語だそうです。
おんだ祭に先立ち、祈年祭が執り行われました。
本殿前の拝殿内には、20名ほどの氏子代表の方々が参列されていました。
拝殿の中には、文久元年(1861)の大きな絵馬をはじめとして、現代のものまでたくさんの絵馬が奉納されています。
祈年祭の最後に、御神楽「浦安の舞」が奉納されます。
小学校5年生の女の子が巫女を務めることになっています。
祈年祭に続いておんだ祭(御田植え祭)が行われます。
言うまでもなく、春先の農作業の開始前に、五穀豊穣を祈念して、農作業を模擬的に演じる予祝儀礼です。
神社境内に、結界をめぐらした模擬田が作られています。
模擬田の中で、改めて祝詞奏上などを行ったあと、いよいよ牛の登場です。
牛は唐犂と馬鍬を引いて、何度も模擬田の中を回ります。田の縁を氏子が、木製の鍬と鋤で耕す所作をします。
そのあと、牛は田をとび出して、境内を歩き回ります。
現在使われている牛面は昭和36年に奉納されたものですが、神社には明治31年に奉納された牛面も残されており、この頃から今のおんだ祭りの形ができあがったのではないかということでした。
牛が耕したあとは、田植えです。
松葉でできた模造の稲苗を、神官や氏子が模擬田に並べていきます。
杉葉でできた稲苗は、神官によって周りに投げられます。
この模造の稲苗は持ち帰られて、苗代作りの際に水路の水口に供えられ、水路を通じて疫神が入り込まないよう、結界する役割を果たします。
最後がお待ちかねの餅まきです。
境内はビニール袋を手にした人々でいっぱいになります。子供たちもたくさん来ていました。
もち米2石3斗(約345㎏)をついて、薄い円盤状の紅白の福餅にしています。作業に8時間ほどかかったとのこと。
櫓の上から休みなく大量の餅がまかれました。その間約15分。
筆者も控えめに(?)後ろのほうにいたのですが、たくさんいただくことができました。
神社関係者の皆様、お話を聞かせて頂いた上にお餅までいただき、ありがとうございました!
最後にひとこと。最初は「調田」と書いて「つくだ」と読むとは?と思いましたが、「調」は「みつぎ」「みつき」なので、「みつぎだ」「みつきだ」から転じたのではないでしょうか。
文 保存継承グループ 岡村幸子 写真 岡村幸子・亀田幸英