奈良市都祁吐山:下部神社「吐山の太鼓踊り」見学記
大和高原南部にある奈良市都祁(つげ)吐山(はやま)町の下部(おりべ)神社で11月23日に秋祭りが執り行われました。この祭りでは昭和60年(1985年)に奈良県無形民俗文化財に指定された「吐山の太鼓踊り」が、7つの垣内から7張の大太鼓が集まり奉納されました。
昼すぎ、祭りの参加者が公民館に集合し記念写真を撮ったあと、3方向に別れて打ち上げ花火を合図に出発。途中で合流し、各垣内の幟(のぼり)を先頭に大太鼓、踊り手、シデ振り、鉦叩き、歌出し、役員の方々が、太鼓を打ちながら下部神社に向かって進んでいきます。
途中、恵比寿神社前で合流し神主のお祓いを受けたあと、「辻太鼓」を打ち鳴らします。ここからは、厄払いの天狗が先導し「打ち込み踊り」を演奏しながら下部神社の境内へ入っていきました。
拝殿前に7張りの大太鼓が並び最初の「干田(ひんだ)踊り」が始まりました。1曲目が終わると裃姿の「シンボウウチ」の口上があり、「宝踊り」と「長崎踊り」が演奏されました。これらの踊りは各曲の1番から3番を3人が1組になって1人ずつ交代で叩いていきます。これが7張りの大太鼓で一斉に行われるのです。
踊り手は曲打ちや背面打ちなどの技を見せたりもしていました。シンボウウチはその間、青いシデを振りながら全体の指揮をとって歩いています。また、天狗は自由に動きまわり囃子方を務めていました。
奉納演奏が終わると「納め踊り」で太鼓を打ちながら鳥居をくぐり、再び天狗の先導で神社を後にして終了となりました。
吐山の太鼓踊りは元禄6年(1693年)の歌本が残っているということです。干ばつが起こった時に雨乞いの祈祷を行い、祈願成就のお礼に氏神様に太鼓踊りを奉納してきたものです。治水対策や農業技術の向上などにより、何十年も太鼓踊りが行われないこともあり、少しずつ記憶から遠ざかることになっていました。
昭和59年(1984年)に吐山太鼓踊り保存会が結成され、平成6年(1994年)からは小学校で郷土学習として太鼓踊りが取り入れられています。また、小学校の放課後、子供教室でも「太鼓踊りクラブ」として活動しているそうです。この子供たちの何人かは中学進学後も練習に参加し、「吐山太鼓踊りヤングクラブ」として活動しています。練習を頑張った子供たちの発表の場としてイベントへの参加もしているそうです。そして、集大成として秋祭りで成果を発表することとなるのです。
今年は小学生が14人、中学生が8人参加の総勢60人ということでした。地域の太鼓踊りの伝統を受け継いでくれています。
保存会では、機関紙「雨たんもれや」=雨よ降ってください、の意味=を発行し、太鼓踊りの歴史や伝統、継承などについて情報発信に努めておられます。
このように、地域と学校が連携し、伝統文化に関して継承者の育成や秋祭りに組み入れるなど他の地域にも参考になる新しい取り組みではないかと思います。
文・写真 保存継承グループ 仲谷裕巳