女性グループ(ソムリエンヌ)大和三山PARTⅡ ―大和三山の中で一番高い畝傍山に登ろう!!-
2月23日(日)、女性グループ12名で「大和三山の中で一番高い畝傍山に登ろう!!」に出かけました。前回(2019年9月28日)の大和三山PARTⅠ(香久山)に続いてのハイキングでした。
前回の香久山は山というより小高い丘の印象がありましたが、今回は、三山中一番標高が高い199.2メートルの山で三等三角点が置かれています。瀬戸内火山帯に属する死火山で、噴火時は今よりも2倍以上大きかったそうです。それが長い年月をかけ浸食され、現在の形になりました。山麓は片麻岩、頂上付近は黒雲母安山岩からなる山です。また、藤原京が造営される時には大和三山の位置が重要な立地条件になったと考えられていて、歴史的風土特別保存地区にも指定されていました。そして平成17年には国の名勝にも指定された場所でもあります。
今回は気軽に登山できる人気のハイキングコースを歩き、下山後は『伝統食カフェ~楽膳~』にて体のことを考えた優しいお料理を堪能。しかも周辺の史跡巡りもした約3キロのウォーキングでした。
《コース》
橿原神宮前西出口→久米御縣神社→久米寺→橿原神宮→畝傍山(山頂)→眼福地藏 →神武天皇陵→昼食(楽膳)→生國魂神社→おおくぼまちづくり館 →国源寺・大窪寺跡→大久保神社→畝傍御陵前駅
この日は天長祭・厳粛な儀式が執り行われていました。
一番古い天皇を祀る一番新しい神社です。
明治23年に創建されました。
いよいよ畝傍山登山です。
寺田さんから登山コースの説明と注意点を聞きました。
大和三山で一番高いとは言え、登山道も整備されていて気軽に登れ、しかも頂上からの眺望もよいので、この日もたくさんの方と出会いました。現在、西麓にある畝傍山口神社がかつて山頂にあったという石碑を背にして写真撮影。(登山されてきたご夫婦に撮って頂きました。)
大阪の住吉大社の新嘗祭における埴使いの神事にも、この山の土が使われる事を思い出しながら下山しました。
傘をかけられ大切に祀られている眼福地蔵(がんぷくじぞう)
ここは、畝傍山口神社からの登山道と橿原神宮からの登山道の合流する辺りを南に少し下った登山道にあります。古いお地蔵さまがこちらを見て微かにほほ笑んでいらっしゃるようでした。
文久の修陵の頃は初代神武天皇の陵の候補が3つあり、山稜奉行相談役の谷森善臣の意見や奈良奉行の川路聖謨の『神武御陵考』などにより、現在地が選ばれて築造されました。文久3年(1863年)の修陵予算の五分の一である約1万5千両(現在の価値に換算して約3億円)をかけた修陵だったようです。そして、明治から昭和にかけてさらに拡張し現在の姿になりました。
また、神武天皇陵や橿原神宮、それにつづく橿原公苑の厳粛な雰囲気を醸し出す広大な森林は、神武天皇即位2600年にあたる昭和15年(1940年)までに、全国から延べ121万4千人の人達がただの田んぼだったこの土地に、7万6千本以上の木を勤労奉仕という名のもとに植樹されたものです。
現在、橿原の森は野鳥が飛び交い野鳥観察や森林浴に最適な場所です。しかし、そのような歴史にも目をむけたいと思いました。
1100円で、コーヒー付き。ご飯とお味噌汁のお替りは自由。会話も弾み楽しいひとときを過ごせました。
畝傍山の東北麓に洞村なる集落があり、神武陵を見下ろす場所であったこともあり、強制移住させられました。氏神様である『生國魂神社』も墓も一つ残さず移転したそうです。元の神社は神武天皇陵参道から山林に踏み入った所にあり、神社跡を示す『宮の柱』(石柱)と井戸跡があると、寺田さんの説明がありました。残念ながら「立ち入り禁止」になっていたため見学はできませんでした。
洞村から1920年に移転された旧丸谷住宅が資料館として活用されています。大久保地区のまちづくりの歩みの学習や、人権学習などをするための施設です。移転前の洞村の模型が当時の写真と共に展示されていました。館内の説明を聞いたり、洞村の歴史ビデオを視聴したりしました。
『日本書記』にある大窪寺は七堂伽藍の立派なお寺だったそうですが、伽藍配置は不明。金堂は現在の国源寺付近に推定されています。
現在、国源寺は浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。もとは畝傍山麓の神武天皇陵兆域の一部にあったのを、明治初年に現在地に移されたようです。
明和9年(1772年)の墨書きがある涅槃図(2m×2.5m)や国源寺縁起(巻物)が保存されています。
観音堂には本尊・一面三目八臂の不空羂索観音立像と、鎌倉後期に作られた国内最古の聖徳太子立像(南無仏太子像)、弘法大師像が安置されています。聖徳太子立像と、不空羂索観音立像は今秋、東京の三井記念美術館と京都龍谷ミュージアムに出展される予定です。その折には是非、足を運びたいと思いました。
岩井さんがこの仕事に就いたときに、『国源寺縁起』を読み下し文にし、観音堂の由来やそれぞれの仏像のいわれなどを紐解き、三年かけて冊子(全32ページ)を作り、町内の各家庭に配布されたそうです。
我々が訪問した日は、実際に『国源寺縁起』の巻物を開いて、大事な部分を分かりやすく説明していただきました。『国源寺縁起』の抜粋した資料も頂きました。
最後に大久保神社に行った後、畝傍御陵前駅で本日の行程は終了となりました。盛り沢山の内容でしたが、ゆったりと良い時間を皆さんと過ごせた楽しい一日でした。
大和三山を巡るウォーキングも、残りPARTⅢ(耳成山)となりました。今秋に計画されるそうです。次回も新しい発見が期待できそうで楽しみです。
文・写真 女性グループ(ソムリエンヌ)池田喜代