保存継承グループ 大和神社秋季大祭「紅しで踊り」見学記

奈良盆地は昔から渇水に悩まされており、農民にとっては死活問題で、このため各地で雨乞いの行事が行われてきました。そして雨に恵まれ豊作となれば、感謝の踊りなどが奉納されてきました。天理市の大和神社<主祭神は、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)>でも、豊作感謝の「紅しで踊り」が、例年9月23日の秋季大祭に合わせて奉納されています。またこの踊りは、「大和郷しで踊り」として、平成9年市無形文化財に指定されました。

保存継承グループでは、祭礼見学とし「紅しで踊り」を見学することになりました。同神社はJR万葉まほろば線長柄駅から徒歩10分余りのところにあります。創建時期ははっきりしませんが、崇神天皇の頃ではないかと思われます。 

本番に備えて、8月17日(土)から同神社「参集館」で「紅しで踊り保存会」の方たちの練習が始まるため、その前に取材をさせていただき、練習前にお話を聴くことができ、練習風景も拝見させてもらいました。

紅しで踊り保存会の練習風景(大和神社参集館)

「紅しで踊り」の起源は江戸時代で、雨乞い祈願が成就した時に村人が奉納した「しで踊り」です。当時は男性が主体の勇壮なものでした。その後、水の便がよくなったことで雨乞いがなくなり、大正時代に廃れたのですが、昭和30年代に、地元婦人会や地域の人の協力で復興することになりました。その時、地元婦人会が中心となったため、踊りに用いる「白しで」を女性が踊りやすいように丈を短くし、女性らしくと紅をつけたことから、現在の「紅しで踊り」と名付けられたそうです。手にする「紅しで」の「しで」部分は、紙ではなくヒノキを薄く削り取ったもので、紅色に染めてあります。

祭礼当日、心配された天候も回復。保存継承グループ12名が祭礼を楽しみました。JR長柄駅から大和神社一の鳥居まで徒歩約10分。一の鳥居から拝殿までは「戦艦大和」の全長と同じ270mです。

大和神社拝殿

秋季大祭は10時半から1時間余り、五穀豊穣を感謝する祭礼が行われました。祭礼には天理市長や地元自治体の首長の姿も見られ、玉串奉奠をされていました。 

秋季大祭で舞いを奉納する巫女さん

「紅しで踊り」の奉納は午後1時半から行われます。奉納に先立ち、神職からお祓いを受けるため、拝殿前に保存会メンバーや地元幼稚園児が勢ぞろいしています。
保存会の資料によれば、大和盆地の雨乞い踊りとして唯一残っている紅しで踊りは、近世より連綿と続き、農業と水の関わりにおいても極めて重要な民俗芸能として、文化的意義の高いものとのことです。

お祓いを受ける保存会メンバーと地元幼稚園の園児の皆さん
入場する保存会メンバーの方々

「紅しで踊り」の奉納は、30数名で行われましたが、メンバーの中には仕事を持つ方もおられ、本番1月余り前から毎週土曜日に集まって、練習を積み重ねてこられました。伝統を継承するためのご苦労がしのばれます。  

奉納される紅しで踊り

踊り手は、着物姿に鉢巻き、手甲、脚絆、赤色のたすきにワラ草履のいでたちで、太鼓・鐘のお囃子に合わせて、太鼓の周りを反時計回りに踊っていきます。「紅しで踊り」の歌詞は、「ヨイトコ、ヨイトコ、ヨーイヤナー」で始まり、雨乞いや降雨への感謝などを表す内容となっています。
この踊りは神社に奉納されるだけでなく、地元幼稚園の運動会で園児と一緒に踊ったり、天理市内のイベントなどでも披露されています。また大立山まつりにも参加したことがあるそうです。
当日は、新聞社やTV局も取材に訪れており、奈良テレビの夕方のニュースで踊りの模様が放映されていました(飛び入りで踊りの輪に加わった保存継承グループのメンバー2名の姿も)。

踊りは、保存会メンバーを中心に奉納が始まりますが、終わると地元幼稚園児も参加した可愛い踊りが奉納されました。踊りに参加した園児たちが、将来成長して保存会の活動に理解を示し、貴重な伝統行事を受け継いでいってもらえればと願わずにはいられません。
最後に見学者からも参加を募り、今回祭礼見学に参加していた保存継承グループの2名も踊りの輪に加わることになりました。最初は少しぎこちない動きでしたが、すぐに慣れて踊りを楽しんでいるように見えました。

地元幼稚園児も参加 この中から将来の担い手が出るかも
保存継承グループの勇気あるお二人 

天候に恵まれ、無事奉納が終了しましたが、時代の流れとともに、このような雨乞い神事などは年々廃れてきており、どのように次世代に継承するかが問われています。「紅しで踊り」は、保存会を中心に地元住民に根付いており、今後も世代を超えて受け継がれて行くことでしょう。

文)保存継承グループ  河添正雄、 写真)同 グループ  大谷巳弥子・河添正雄