関東グループ ウォーキング「鹿島神宮とその周辺を歩く」

関東在住者からなる関東グループでは、懇親会やウォーキングをそれぞれ年に2,3度開催しています。2024年10月13日(日)に実施したウォーキングでは奈良との関わりを探して、茨城県鹿嶋市に坐す鹿島神宮とその周辺を訪ねました。
春日大社の第一殿に祀られる武甕槌命は、他の三柱の神様よりも一足早く鹿島から白鹿に乗って御蓋山頂に降臨しました。異名同神の武甕槌大神が鹿島神宮に祀られています。

晴天に恵まれたこの日は、東京駅から高速バスに乗り2時間程で鹿島神宮に到着。今日はこのメンバーで歩きます。

タイマー撮影した集合写真では画角調整が不十分で、肝心の大鳥居が切れてしまいました。

鹿島神宮では本殿に参拝する前に、摂社の高房社にお参りするのが習わしです。御祭神は建葉槌神(たけはづちのかみ)で、武甕槌大神による葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際、服従しなかった天香香背男(あめのかがせお)を屈服させた神様です。

そして、本殿にお参りします。3連休の中日ということもあり参拝者の行列ができていました。

天気が良く木々が生い茂った境内は、歩いていると気持ちがいいです。緑豊かな境内を進んでいくと鹿園があります。奈良公園の鹿と異なり、こちらでは囲いの中で飼育されています。天然記念物ではありませんが、昭和32年(1957)この鹿園の開園に当たり、奈良から神鹿を迎えたそうです。

さらに参道を進み分岐点を右へ進むと要石(下の写真矢印の先)が祀られています。この要石は地中深くまで埋まっていて、地震を起こす鯰の頭を押さえつけていると伝えられています。

要石を拝見したら先程の分岐点へ戻り、今度は左へ進みます。坂を下っていくと御手洗(みたらし)池に到着。

1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が見渡せるほど澄みわたっています。昔は参拝する前にここで禊をしたそうです。

以上、境内を歩いたルートを以下に示します。境内図を鹿島神宮の公式サイトからお借りしました。

御手洗池から大鳥居まで戻りました。全部で1時間15分程度の鹿島神宮の散策でした。大鳥居前から延びる大町通りで昼食を取ったらウォーキング再開です。時節柄「月末からの正倉院展は見に行きますか?」などと話しをしながら(ほとんどの人が見学予定でした)、今度は聖徳太子の開基と伝えられる臨済宗妙心寺派根本寺を目指し、鹿島神宮から西南西方面を歩きます。

大鳥居前から徒歩15分ほどで根本寺に着きました。静かな山裾にあるお寺です。

ご本尊は薬師如来で、本堂は公開されていませんが、本堂前には薬壺を持った石造の御前立が鎮座しています。お寺の説明板には、「推古天皇21年(613)聖徳太子が勅を奉じ鬼門鎮護と衆民修法に依り、護国興隆の発願を以って本尊に東方薬師如来を安置して建立された勅願寺である」とあります。
また、松尾芭蕉が、貞亨4年(1687)に月見のため鹿島を訪問したことが『鹿島紀行』に記されており、境内には、
"寺に寝てまこと顔なる月見かな"
"月はやし梢は雨を持ちながら"
の句碑が建てられています。

続いて根本寺のすぐそばにある鎌足神社を訪ねます。

中臣鎌足の生誕地と言えば、奈良検定合格者は明日香村の大原神社を思い浮かべると思いますが、意外にも鹿島を生誕地とする説もあります。江戸時代から明治時代にかけて編纂された『新編常陸国誌』の鹿島郡・宮中の項に「鎌足社」が記載され、この地が鎌足の生誕地であるという説が紹介されています。
神社の建立時期は不明ですが、境内には明治25年(1892)に建てられた「大織冠藤原公古宅址碑」の石碑があり、鎌足は皇極天皇の御代に都へ上ったとされています。

鎌足神社から南西方向に歩くこと約10分で、大船津にある鹿島神宮の一之鳥居に到着。霞ヶ浦ともつながる北浦の上に立つ水上鳥居で、写真映えするスポットです。この日も写真撮影する人が来ていました。

鹿島神宮から少し離れた東西南北に4つの一之鳥居が設けられており、ここは西の一之鳥居です。ちなみに、上述の大鳥居は二之鳥居です。鎌倉時代に鹿島地域の土地隆起が起こり、上述の御手洗(みたらし)池近くまで入っていた船の往来ができなくなり、ここ大船津が船着き場となりました。この場所に三宅町出身の忍性が鳥居を建てたのが起源とされています。現在の鳥居は平成25年(2013)に再建されたものです。忍性が建てたということで、ここにも奈良との関わりがありました。

来た道を戻り高台に上がり鹿島城址に到着。この辺りは標高25mで眺めがよく、北浦や西の一之鳥居が見えます。今では鹿島城山公園として整備されています。

公園は広々としていて、鹿島城の規模が大きかったことを想像させます。鹿島城は平安時代末期に鹿島三郎正幹が源頼朝より総追捕使(そうついぶし)に任命され造られました。その後天正19年(1591)、鹿島清秀の代に常陸太田の佐竹義宣に謀殺され落城しました。ここからJR鹿島神宮駅まで歩き、東京駅行きの高速バスで帰路に着きました。

今回は、下記の地図に示す通り、武甕槌大神が祀られる鹿島神宮、聖徳太子の開基と伝えられる根本寺、中臣鎌足の生誕地とされる鎌足神社、さらには、忍性が建てたとされる西の一之鳥居を回りました。鹿島と奈良の関りを味わう一日でした。

関東グループ  文章作成及び、写真撮影:川原範弘