史跡探訪サークル「世界遺産 秋の斑鳩三塔をめぐる」
史跡探訪サークルは11月16日(水)、参加人数12名で斑鳩三塔を訪れました。
斑鳩の里三塔と秋晴れに踊る色とりどりのコスモスを堪能、心洗われる半日を過ごしました。
集合はJR法隆寺駅です。集合時間になると参加される皆さんが三々五々駅に集合。
参加された方は、このコースをもっと深く楽しみたいとワクワクされていました。
今日は、ベテラン斑鳩の観光ボランテイア2名の方から夫々斑鳩の隠れたお話しを 聴けると皆さん期待感MAX!
では、駅のロータリーから天理軽便鉄道跡に向かいますよ。
天理軽便鉄道:天理教信者の旅客輸送を目的として1915年法隆寺と天理を結ぶ 軌間762mm距離9.01kmの軽便鉄道として建設されたが、大阪電気軌道の路線延長に伴い買収され、1945年 法隆~平端間は廃止。平端~天理は現在の近鉄天理線(標準軌間)
ここから、廃線跡の一部を辿り、大和路線のガード下で、先ほどの橋脚跡より詳しく歴史遺産のレンガの積み方を見ることができ往時の技術の粋再発見。(イギリス積)ガイドさんの名調子に納得。
大和路線を越え県道天理・斑鳩線を過ぎると阿波神社が見えてくる
道中の安全祈願と丹波佐吉作の狛犬を見ておこう。
神社の由来:
阿波の東部に鎮座し、素佐之男命をまつる。もと素佐之男神社といった。常夜灯に牛頭天皇と刻し、木造鳥居に「素佐男社」の額がある。当社の由緒は不詳。本殿は春日造り一間社檜皮葺の朱塗りである。
前方に朱の鳥居、そして朱玉垣をめぐらす。拝殿は平屋瓦葺きである。境内社には、多度・多賀・野水の三社が 鎮座している。石灯には宝暦二年(1752)九月吉日、同四年九月廿日阿波村からそれぞれ奉献したものがある。
(-斑鳩町史-より)
ここから更に進むと成福寺跡、「飽波葦垣宮」跡の伝承地と伝わり、太子が膳苔岐美郎女(カシワデノホキキミノイラツメ)と 晩年を過ごした場所、今は見る影もありませんが太子の面影を偲びましょう。
前方に上宮遺跡公園が見えてきました。
平成3年(1991)の発掘調査で平城京や地方の官衙(カンガ;役所)跡が見られるものに類似した。
堀立建物遺構が発見。後殿(コウデン)と呼ばれる建物群も確認され、その跡がよく判るように整備されています。
尚、遺跡の名称は聖徳太子一族の「上宮王家」からきている。聖徳太子16歳像、在原業平、会津八一などの歌碑もある。
次のスポット史跡中宮寺跡を目指しましょう。
途中には、太子の従者と愛馬を葬ったという2基の古墳を眼に納め、北上してゆくと、秋の青空に揺れ動くコスモスの花々が、我々を出迎えてくれます。中宮寺跡に到着です。
中宮寺は飛鳥時代にこの場所に創建され、室町時代の大風で倒壊し、法隆寺の東に移設されています。昭和38年(1963)の発掘調査で、南北に並ぶ土壇が発見されました。南側が塔で北側が 金堂という四天王寺式伽藍配置であったことがわかりました。北門や南門の柱穴は見つかっていますが、その他の遺構は発見されていません。平成29年(2017)に整備され、周辺に広がるコスモス畑とともに訪問者の目を楽しませてくれ、斑鳩三塔が同時に眺望できる場所も設置されています。
今日も、幼稚園の園児や、コスモスを撮影される人々が楽しそうなひと時を楽しまれていました。
法起寺は古くは『岡本寺』『池後寺』とも呼ばれ、国宝三重塔背景にコスモスを楽しむことが出来る。太子の岡本の宮を遺言により子の山背大兄王がお寺に変えたものです。国宝の三重塔(現存する。最古(飛鳥時代)の三重塔)。706年に完成したとされ、飛鳥時代の様式を伝えています。
旧伽藍は法隆寺とは逆で東に塔が 西に金堂が建っていました。県道の脇にひっそりと佇む世界遺産を構成する資産です。この日も、国宝三重塔にコスモス、さすがに映えるスポット!
カメラマン・カメラマン、この風景を写し取る絵描きさんと大人気の場所でした。
法輪寺に向かいましょう。
岡本ポケットパークを過ぎると岡之原地区にはいります。この場所は太子の皇子、山背大兄王の 墓所として「富郷陵墓参考地」に治定されている処で岡之原の遠望が美しい場所です。
頂上付近が墓所で、民有地を通って行くことになりますが、訪れる人は極めて少ないようです。機会があれば是非とも訪れてみたい場所のひとつです。
ここで暫らく休憩。法輪寺三重塔を撮影できるスポットを抑えておこう。
法輪寺は、三井寺とも言います。 622年聖徳太子の病気平癒を願い皇子山背大兄王創建と伝えられる。
伽藍配置が法隆寺式で、大きさは法隆寺の3分の2。 斑鳩三塔の一つ。
昭和19年(1944)落雷により塔は全焼し、その後住職の努力と浄財により、1975年飛鳥様式そのままに 見事に再建されました。講堂にはまじかに拝観出来る御仏が安置、ご本尊は法隆寺の釈迦如来と大変よく似た飛鳥時代の薬師如来(重文)ですが、壇上の中心にはこの講堂の本尊:十一面観音(重文)が 安置され、3mを超えるお像がひときわ目を引きます。(十一面観音8体からなる大和秀麗八十八面観音の一つに数えられている)
法隆寺鎮守4社を祀り鬼門を守る。平安時代に法隆寺の高僧が菅原道真公の後裔で あったため、境内に公をお祀りし後に現在の場所に移された。
さあ、ウオークもいよいよ大詰めです。斑鳩神社から法隆寺の方へ坂を下って行くと最終ゴール法隆寺は目前。
法起寺、法輪寺と塔をめぐり、法隆寺に入ってきました。観光客の数も段違いですね。
観光客、修学旅行生と本当に秋のシーズン真っただ中といった様相。
案内してくださるボランテイアの方のガイドの説明もいよいよ最終段階に入り、案内にも一段と熱を帯びて こられました。斑鳩の地は本当に知らないことばかり、太子が残された歴史の奥深さ、隠された謎をもう一度紐解きたいとおもうことばかりです。
670年、一屋余すところなく焼損した(日本書紀)とされる太子建立の法隆寺、その再建時期に明確な答えはありません。明治以降再建、非再建論争が続いてきたが、昭和14年(1939)の発掘調査で若草伽藍といわれる場所から、塔跡、金堂跡が見つかりました。今では再建論が有力となっていますが、いろいろ論議もあるようです。8世紀初めに再建されていたとされています。
この五重塔は1300年以上、雨風や地震に耐え建ち続けています。
西円堂(国宝)からの五重塔 素晴らしい!西院伽藍の小高い場所 峯の薬師と呼ばれ、薬師如来を安置。八角堂 創建は718年橘夫人の発願により行基が建立したと伝承、八角形の裳懸け座に座す(脱活乾漆)奈良時代 国宝 上御堂 舎人親王発願 釈迦三尊像(国宝)
皆さん、斑鳩の面白さ、ガイドさんによる斑鳩あるあるといったエピソード 楽しんでいただけましたでしょうか?
今回は、少人数の活動となりましたが参加されました皆さん、お疲れ様でした。
史跡探訪サークルはこれからも魅力ある楽しい史跡巡りを計画したいと考えております。
来年3月には楽しい企画を予定しております。いちど史跡探訪サークルの催しに顔を出してみてください。きっと楽しい出会いがあると思います。
史跡探訪サークル 文章作成者 海部 和子 写真撮影者 石川 雅司